ページ

2代・北条氏康が河越夜戦


日本三大奇襲(日本三大夜戦)の一つ  

河越夜戦  河越城の戦い
日本三大奇襲(日本三大夜戦)


河越夜戦は、2代北条氏康軍と上杉憲政・上杉朝定・足利晴氏の3者連合軍が武蔵国の河越城付近で戦闘し、北条軍が勝利を収めた戦いである。


年号 1546年

・・・・・・・・・・・

河越夜戦(よいくさ)は日本3大夜戦(よいくさ、やせん)のひとつです。
<※ 「河越」は江戸時代になり「川越」となります。>


1457年、太田道真・道潅が、上杉氏の命により、河越城を築きます。

以降、上杉と北条間で争奪戦が続きます。



河越夜戦のヒーローは、2代・北条氏康(うじやす)です。

相手は、
1. 扇谷(おうぎがやつ)上杉朝定(ともさだ):鎌倉市
2. 山内(やまのうち)上杉憲政:
3. 古河公方(こがくぼう)足利晴氏:茨城県古河市
です。古河公方は関東・足利氏です。

1 扇谷上杉朝定、山内上杉憲政、古河公方足利晴氏が連合を組み、河越城を包囲します。


1545年、扇谷(おうぎがやつ)上杉朝定(ともさだ)は、8年前に北条氏に奪われた河越城を奪回するため、

山内(やまのうち)上杉憲政、
古河公方(こがくぼう)足利晴氏

と連合し、8万以上の軍勢で河越城をとりかこみます。

2 兵力3000の河越城は、半年以上もちこたえます。

1546年、北条氏康が小田原から8000の軍勢を率いて救援にかけつけます。
北条氏康は、「むこう傷・氏康」といわれた猛将です。
夜襲をかけ、8万以上の軍勢を打ち破りました。

扇谷上杉朝定は戦死します。
山内上杉憲政は上野(こうずけ、群馬)へ、
古河公方足利晴氏は下総(しもうさ、茨木)へ、敗走します。


・夜戦は、暗闇で敵味方がわからなく、冒険性が高いので、おこなわれるのはまれです。
・鎌倉あたりでは、低い山々が造る谷のこと「やつ(谷)」といいました。
・河越城は、江戸時代になると川越城で表記されるようになります。
・北条氏康は、2代・氏綱に次ぐ3代目です。
・北条氏康の戦勝後、大道寺政繁が城将として赴任し、復興に尽力します。
・河越城は、上杉6代80年、北条4代50年、徳川15代260年の歴史を刻んでいます。
・関東平野に、支城、出城ではなく、大規模な本城を築いたのは、徳川家康が最初です。
これにより、関東が安定しました。
・川越の東明寺(とうみょうじ)河越夜戦跡の石碑があります。
  松本清張の『黒い空』は河越夜戦が事件を握る話です。
  東明寺、河越夜戦跡と門前(志多町)