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川越の仙波東照宮は、なぜ三大東照宮に選ばれた?

徳川家康公400年御遠忌(ごおんき)法要。喜多院。
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東照宮・石鳥居、1638年堀田正盛・奉納
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川越の仙波東照宮は、1617年、天海僧正82歳の時、家康の遺骨を久能山から日光へ運ぶ途中、江戸ではなく、わざわざ天海の喜多院へ4日間逗留し、供養したことにより創建されました。

当初から独立した社格をもたずに、喜多院の一隅に造営されました

    日光東照宮、
    久能山東照宮、
    仙波(せんば)東照宮
を3大東照宮とよびます。

仙波東照宮は、喜多院の敷地内にありますが、神仏分離令のため、お宮の東照宮は、川越八幡宮の管理となっています。
随神門(ずいしんもん)
随神門(ずいしんもん)は、8本の柱に屋根がかかっています。
以前は、後水尾天皇筆の「東照大権現」の額が掲げられていました。



葵の御紋の扉
葵の御紋は川越の風物詩になっています。
拝殿
本殿
石灯籠の寄進者。松平信綱など
松平信綱が植えた伊豆桜(エドヒガンザクラ)。坂上の東照宮より撮影   
東照宮の権現(ごんげん)造りとは
本殿

合いの間

本殿
の形式です。

ファイル:Gongen Zukuri.png
上から本殿、合の間、拝殿
喜多院と東照宮 【地図】

1617年、天海、家康の遺骸を日光へ 遺骸のコース