ページ

軽便鉄道が走っていた川越・霞が関駅付近

霞ヶ関交番横のまくら木の塀
2004年撮影

交番横のまっすぐな路地、軽便鉄道の線路跡
川越・霞ヶ関駅交番の横の塀は、枕木でできています。
交番横の路地だけが、まっすぐです。
ここに軽便鉄道の線路が通っていたからです。

その昔、入間川の砂利を沖縄に軍用空港をつくるために運んだ跡です。
沖縄の読谷(よみたん)飛行場の建設には、ここからの砂利も使われました。

川越も読谷もイモで有名です。
それ以外に、上のようなつながりもあります。

読谷(よみたん)のすぐ南の嘉手納飛行場の砂利は多摩川から運び出されました。

◇                    ◇                    ◇

川越から運んだ砂利で建設の読谷飛行場跡。2003年8月

今も残る旧陸軍の掩体壕(えんたいごう)。
掩体壕(えんたいごう)とは、射撃がしやすいように射手などの行動を掩護(えんご)する壕(ごう)のことです。

読谷におしよせる米軍艦、上陸した戦車群。1945年4月1日
米軍は飛行場の占領を第1目標としました。
米軍の上陸戦闘  <沖縄戦史

沖縄戦 ウィキペディア