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藤森照信:縄文時代の伝統が生きる諏訪で育つ(NK2012/11/2)

【メモ】
・牛山正雄先生 =ウシマサ

学びのふるさと建築史家 藤森照信さん 「おまえは南方的だな」気質見抜いた高校の恩師

 長野県茅野市で生まれ育ちました。一般的に諏訪と呼ばれる地域です。実家のある70戸ほどの集落には御柱祭で有名な諏訪大社で神官を務める守矢家があり、縄文時代の伝統が生きていました。記憶にあるのは正月の神事。元旦に当主が冬眠中のカエルを捕らえ、木の枝で作った矢で射るんです。山の神とか木の神の存在は日常の一部で、自然信仰への感覚は私の中に深く残っています。
 進学した諏訪清陵高校(同県諏訪市)でお世話になったのが理科の牛山正雄先生です。霧ケ峰高原の自然保護運動を描いた新田次郎の小説「霧の子孫たち」の登場人物のモデルでもあります。教師だった父が先生の子供を教えた縁もあり、入学後にあいさつに行ったのですが、顔を見ただけで「普通の先生じゃないな」と思いました。
 明るく元気な人でしたが、人格的な力がにじみ出ているというか深みがある。相当自由な学校だったので僕らは新聞を作って校長批判をやったりするんですが、「ここは違う」と指摘されることはあっても怒られることはありませんでした。そういう学校の雰囲気の精神的な中核に先生がいたんだろうと思います。
 諏訪地方は冷涼ですごく寒い。ドイツのような寒さで、観念的な人が多い議論好きで、クラスの討論会があると、原理主義者みたいな人がいて論理的で抽象的な発言をする。そんな同級生に若干の違和感を持っていた僕に、先生は「おまえは南方的だな」と言ったんです。
 当時は意味が理解できませんでしたが、僕の一面を言い当てています。建物を造るようになってわかりましたが、僕はクールで涼しい北方的なものは好きじゃない。自然界の色がついたものが好きで、楽しむことがうんと好き。南方的なんです。
 先生は自分の経歴を語らない人でした。亡くなった後、奥さんから聞きましたが、戦争で派遣された南方で敵の攻撃に遭い、多くの同僚を失ったのに、自分が生き残ったことが心の問題となっていたそうです。学生を信頼し、自由にさせてくれたのは、深い意味での運命や死を見据えていたからだと思います。
 高校時代の自由は仏様の手の中で孫悟空をしていたようなものです。ただ、この時期の経験のおかげで、制度に頼らず、自由に自分でやるという仕事のスタンスが決定的に身につきました。その仏様の手が牛山先生だったと今にして思います。
(聞き手は江口博文)
 ふじもり・てるのぶ 長野県出身。工学院大教授、東大名誉教授。近代建築史研究の第一人者。建築家としても活躍し、日本建築学会賞など受賞多数。著書に「日本の近代建築」など。65歳。