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小栗忠順(おぐり ただまさ)。幕府側で明治 近代化の父。5月27日没。42歳

小栗忠順(おぐり ただまさ)。幕府側で明治 近代化の父。5月27日没。 42歳 
(※)NDL
・1827年~ 1868年5月27日没。42歳。高崎市

小栗忠順(ただまさ)は、1860年、
遣米使節団のリーダーとしてアメリカに渡りました。

32歳でした。

サンフランシスコで勝海舟らと別れ、パナマ運河を経て、
日本人として初めて
アメリカ大統領に会いました。

不平等条約の撤廃を交渉しました。

地球を一周して帰国しました。

日本初の株式会社を設立しました。


日本の近代工学の源、横須賀製鉄所を建設しました。

幕府側から近代化政策をおこないました。

明治政府の殖産興業の模範となりました。

有能なこともあり、70数回職務を変わりました。


薩長に対する主戦派の代表です。


勝海舟の和平論に敗れ、1868年引退しました。

高崎市で斬首されました。



大隈重信
「明治政府の近代化政策は、小栗上野介の模倣にすぎない」

東郷平八郎
日本海海戦に勝利できたのは製鉄所、造船所を建設した小栗氏のお陰である」


【+19】 小栗忠順 近代日本の先駆けとなって散った男の物語 



【名言】

「幕府の命運に限りがあろうと、日本の命運に限りはない」
















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小栗忠順   【+21】




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