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第25回 杉田玄白・本居宣長~江戸時代の学問と教育~

第25回 杉田玄白・本居宣長~江戸時代の学問と教育~

■ scene 01 『ターヘル・アナトミア』の翻訳

医者であり蘭学者(らんがくしゃ)でもあった杉田玄白は、仲間といっしょにオランダ語の解剖(かいぼう)書を翻訳(ほんやく)して『解体新書』を作りました。
その解剖書『ターヘル・アナトミア』という本には、人間の体の中の内臓や筋肉、骨格などがくわしくえがかれていて、玄白たちはおどろきました。
医者である玄白も、それまで体の中を見たことがなかったのです。
そうやって始めた翻訳は大変な作業でした。
辞書などなかったからです。
玄白たちはどのように翻訳を進めたのでしょうか。


■ scene 02 解剖書『解体新書』の発行

今からおよそ240年前、杉田玄白は、人の体の解剖(かいぼう)書『解体新書』を発行しました。
そのもととなったのが、オランダ語で書かれた『ターヘル・アナトミア』という解剖書です。
この本は、オランダ人が長崎の出島に持ちこんだものです。
当時は出島を通して、ヨーロッパの進んだ知識や文化が入ってきました。
江戸で医者をしていた玄白が『ターヘル・アナトミア』を手にしたのは、39歳(さい)のときです。
中にえがかれている骨格や筋肉、内臓の図は、今までに学んだものとはちがっていました。


■ scene 03 西洋医学の正確さにおどろく

ある日、処刑(しょけい)された囚人(しゅうじん)の解剖(かいぼう)に立ち会う機会を得た玄白は、『ターヘル・アナトミア』にかかれている解剖図の正確さにおどろきました。
玄白はこのときの気持ちを書きのこしています。
「基本的な人の体の中も知らずに医者をしていたとは…、面目もなき次第…」。
当時の医者は、主に患者(かんじゃ)の様子を外から見て病気を判断し、薬を使って治していました。
そのため、体の中がどうなっているかという知識はあまりありませんでした。


■ scene 04 困難をきわめた翻訳作業

玄白は仲間たちと『ターヘル・アナトミア』の翻訳(ほんやく)を開始します。
しかし辞書もなくオランダ語がわからないため、作業は困難をきわめました。
玄白は語ります。
「鼻は顔の中でフルヘッヘンドしたもの」という文章がありました。
しかしその「フルヘッヘンド」がわかりません。
ある本には、「木の枝を切り取るとそのあとがフルヘッヘンドとなる」、また「庭をそうじするとごみが集まりフルヘッヘンドする」とあります。
考え続けた玄白がふと思いつきます。
それは「うず高くなる」ということではないのか。
「鼻は顔の中でうず高くなっているもの」と、ようやく訳すことができたのです。


■ scene 05 ドキリ★『解体新書』の出版で蘭学が発達した

このような苦労を重ねて4年。
日本語に訳された『解体新書』が完成しました。
この本の出版で日本の医学は大きく前進することになります。
またオランダ語の翻訳(ほんやく)技術が進み、医学以外の学問も盛んになります。
このような西洋の学問を「蘭学(らんがく)」と呼びました。
『解体新書』の出版をきっかけに蘭学を学ぶ人が増え、発達します。
またこの時代には、農民や町人の子どもたちが学ぶ「寺子屋(てらこや)」ができました。
武士や医者などが先生となって読み書きやそろばんを教える寺子屋は、子どもたちの学問の場として全国に広がりました。


■ scene 06 日本古来の考え方を研究する国学

江戸時代の中ごろ、西洋から学ぶ蘭学(らんがく)とは別に、日本の古典を研究する「国学(こくがく)」も発達します。
本居宣長は、『古事記』や『源氏物語』の研究をした国学者です。
日本人は長いあいだ、中国や朝鮮、西洋の国々から、仏教やキリスト教、儒教(じゅきょう)などの影響(えいきょう)を受けてきました。
外国からの影響を受ける前にもどれば、日本古来の考え方がわかるのではないかと宣長は考えました。


■ scene 07 ドキリ★江戸時代中期に国学が発達した

宣長が注目したのが『古事記』。
日本をつくったとされる神々の物語が書かれたものです。
宣長の使った古事記には、たくさんの書きこみがあります。
宣長は、そこに書かれているひと文字ひと文字をていねいに読み解きながら、日本古来の考え方をさぐったのです。
そして、35年かけて完成させたのが、『古事記』の解説書、『古事記伝』です。
日本古来の考え方を追求した国学は、のちに、天皇を中心とした国づくりをめざす人たちに影響(えいきょう)をあたえました。

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