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第30回 勝海舟~幕末の動乱(幕府側)~

第30回 勝海舟~幕末の動乱(幕府側)~

■ scene 01 日本の未来をえがく

勝海舟は、江戸幕府の「軍艦奉行(ぐんかんぶぎょう)」という海軍の責任者を務めていました。
幕府の役人ですが、全国のいろいろな藩(はん)の人たちとつきあいがありました。
そういう人たちと日本の未来について語り合ったのです。
イギリスの公使パークスとも親交があり、外国人との人脈も大切にしました。
勝はアメリカのサンフランシスコにも船で行ったことがあります。
勝はどのように日本の未来をえがいていたのでしょうか。


■ scene 02 海軍の創設を幕府に提案

勝海舟は、今から150年ほど前の幕末に活躍(かつやく)した、江戸幕府の役人です。
1853年、アメリカからペリーの艦隊(かんたい)が来航し、日本に開国を要求してきました。
国を開くべきか否か。
なやんだ幕府は、全国の大名から町人にいたるまではば広く意見を募集(ぼしゅう)しました。
蘭学(らんがく)を学び、西洋の進んだ知識を身に付けていた勝は、海軍の創設や西洋技術の導入を提案します。
これが注目され、勝は立身出世の道を進みます。


■ scene 03 咸臨丸でアメリカへ

そして勝は、1860年、幕府が派遣(はけん)する使節団に加わり、咸臨丸(かんりんまる)という船で太平洋を横断し、アメリカにわたります。
アメリカの近代的な町並みや進んだ産業におどろく勝。
何より、日本のように身分や家柄(いえがら)ではなく、選挙による公平で民主的な政治が行われていることに感心します。


■ scene 04 新しい日本を担う若者を育てる

アメリカから帰国して4年。
海軍の責任者になった勝は、神戸に海軍操練所(そうれんじょ)をつくります。
勝は、幕府の人間だけでなく、西洋の技術を学び新しい日本を担おうとする若者を、出身地や身分の分けへだてなく全国各地から集めました。
そのなかには、土佐出身の坂本龍馬のすがたもありました。
しかしそのころ、日本国内では開国か鎖国(さこく)かをめぐって各地ではげしい争いが起きていました。
混乱が続けばイギリスやフランスなど西洋の列強の介入(かいにゅう)を受け、日本は植民地になってしまう…。


■ scene 05 ドキリ★幕府や藩のわくをこえた国のあり方を示した

この国の行く末に危機感をいだいた勝は、薩摩藩士(さつまはんし)・西郷隆盛にこう語っています。
「今は日本人同士が争っている場合ではない。
西洋列強に対抗(たいこう)するには、諸藩がたがいに話し合い、協力する必要がある」。
その斬新(ざんしん)な発想に感服した西郷は、友人への手紙で勝をこう評しています。
『実に驚(おどろ)き入り候(そうろう)人物 ほれ申し候』。
今は日本人同士が争うのではなく、力を合わせるべきときだ…。
勝の考えは、周囲に影響(えいきょう)をあたえていきます。


■ scene 06 江戸へせめのぼる新政府軍

幕府と諸藩(しょはん)による新しい国をつくろうとする勝の考えに刺激(しげき)を受けた坂本龍馬は、薩摩藩と長州(ちょうしゅう)藩の仲を取り持ち、1866年、薩長同盟を成立させます。
それは皮肉にも、勝のいる江戸幕府をたおそうという一大勢力になります。
翌1867年、江戸幕府は、「大政奉還(たいせいほうかん)」によって政権を朝廷(ちょうてい)に返上します。
しかし、薩摩や長州を中心とする勢力は、あくまで徳川幕府を力でたおそうと新政府を樹立。
軍勢を江戸に進めます。


■ scene 07 無益な戦いはさけねばならない

新政府軍と戦うか、それとも従うか。
勝は冷静に事態を観察していました。
戦いになれば、混乱に乗じて西洋列強が介入(かいにゅう)してくる。
また、江戸の町が戦火に包まれれば多くの民衆が犠牲(ぎせい)になる。
江戸総攻撃(そうこうげき)の前日。
勝は、新政府軍の西郷隆盛との会談に臨みます。
かつて日本の未来について語り合った西郷なら、この無益な戦いをさけてくれるのではないか…。


■ scene 08 ドキリ★無血開城によって近代国家へのスタート

西郷と対面した勝は、攻撃(こうげき)中止を強くうったえました。
「ならば、江戸城をすぐにわたされるか?」(西郷)。
「城は、おわたし申そう」(勝)。
そして…。
「明日の江戸城総攻撃は中止する」(西郷)。
勝と西郷。
ともに日本の未来を思う両者の信頼(しんらい)関係が、江戸城無血開城を実現させたのです。
江戸城無血開城は、江戸から明治へ、近代国家日本の出発点になりました。

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