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第32回 大久保利通~明治の国づくり(富国強兵)~

第32回 大久保利通~明治の国づくり(富国強兵)~

■ scene 01 強くて豊かな日本をつくりたい

外国に負けない強くて豊かな明治の世をつくりたい。
そのために、工場をつくったり、武士の特権を取り上げたりと、思い切った政策を推し進めた大久保利通。そのせいか、大久保のことを冷たい人間だと言う人もいました。
しかし、大久保利通の胸の中は、熱い情熱でいっぱいだったのです。


■ scene 02 維新三傑の一人

大久保利通は、明治時代、外国に負けない強い日本をつくるために活躍(かつやく)した人物です。
今から180年ほど前、鹿児島県、当時の薩摩藩(さつまはん)の武士の家に生まれた大久保。
同じ藩の仲間に、西郷隆盛がいました。
大久保は西郷たちとともに江戸幕府をたおし、新たに明治時代が始まりました。
明治政府の中心人物となった大久保は、倒幕(とうばく)で活躍した西郷隆盛、木戸孝允(きど・たかよし)と並び、“維新三傑(いしんさんけつ)”と称(しょう)されます。


■ scene 03 海外視察で受けたおどろき

新しい国づくりを進める大久保に、大きな転機が訪れます。
岩倉具視(いわくら・ともみ)を中心とする使節団の一員として、海外視察のため欧米(おうべい)にわたったのです。
大久保たちは、進んだ海外の情勢におどろきました。
大久保が友人に送った手紙が残っています。
「イギリスには町ごとに工場がある。
リバプールの造船所、マンチェスターの木綿工場、製鉄所…。
こうした多くの工場が、イギリスの強さの秘密だ」。


■ scene 04 「これでは日本が勝てるはずがない」

当時、イギリスは“世界の工場”とよばれ、大規模な機械化でさまざまな製品が生み出されていました。
製鉄所の鉄鋼は世界中に輸出され、お菓子(かし)までもが機械で大量生産されていました。
大久保は思います。
「これでは日本が勝てるはずがない。
いち早く近代化し、技術力を高めなくては…」。
国を豊かにし、強い日本をつくる。
「富国強兵(ふこくきょうへい)」をめざしたのです。


■ scene 05 ドキリ★欧米視察で衝撃を受け富国強兵を推し進めた

大久保たち政府は、国が運営する「官営工場」を各地につくりました。
その一つが、富岡製糸場です。
当時重要な輸出品だった絹の糸、「生糸」がつくられました。
蒸気で動く機械を使って生産量は劇的に上がり、明治時代の終わりには世界一におどり出ます。
さらに、紡績(ぼうせき)や兵器製造など、官営工場づくりを推し進めました。
国を挙げて産業の発達をめざした政策を、「殖産(しょくさん)興業」といいます
(おうべい)に衝撃(しょうげき)を受けた大久保の富国強兵政策は、実を結びつつありました。


■ scene 06 ドキリ★地租改正で国の収入を安定させた

国の力を強くするためには、その収入を安定させる必要があると大久保は考えます。
そこで行ったのが、「地租(ちそ)改正」です。
明治時代になっても、国の収入は農民が納める米にたよっていました。
しかし、年によって米の収穫(しゅうかく)量にばらつきがあるため、政府の財政は不安定でした。
そこで、米ではなく、土地の値段の3%を税として現金で納めさせたのです。
地租改正により、国の財政は安定していきました。


■ scene 07 徴兵令と士族の不満

さらに政府は、ヨーロッパにならい、強い軍隊をつくるため「徴兵(ちょうへい)令」を出します。
全国民から20歳(さい)以上の健康な男子を集め、3年間軍隊に入ることを義務付けたのです。
国を守る役目は国民全体に広がりました。
一方で、大久保たちの大きな改革に不満を唱えたのが、かつての武士、「士族」でした。
明治時代になり、士族の多くは役割を失い、収入が減ってしまいました。
そして、徴兵令でその存在意義がさらにゆらいでしまったのです。


■ scene 08 明治維新にすべてをささげた人生

1877年、ついに士族が九州で反乱を起こします。
リーダーは、かつて大久保と倒幕(とうばく)運動をともにした、あの西郷隆盛でした。
しかし、大久保が送った政府軍に破れ、西郷は自害して果てます。
強い明治の世をつくるために心を鬼(おに)にした大久保。
西郷の死を知り、悲しみにくれました。
そんな思いを知ることなく、一部の士族は改革を推し進めた大久保へのうらみをつのらせていきました。
1878(明治11)年5月。
士族におそわれ、大久保は命を落とします。
新しい日本をつくる。
明治維新にすべてをささげた49年の人生でした。


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