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狂言、子どもたちに託す。伝統を古里の誇りに。島原市

【16-3】 (長崎新聞社、文と写真・下釜智) 引用編集
全国高校総合文化祭の期間中に「釣ろうよ」を演じた子どもたち。2013

 長崎県島原市の島原城天守閣を望む島原文化会館。
「もっと細かく、早く歩いて」。福岡市の和泉流狂言師、野村万禄(のむら・まんろく)さん(47)の注文が飛ぶ。
せりふや動きを確認しながら稽古に励む子どもたちのまなざしは真剣だ。

7万石の歴史が息づく城下町。
能楽文化は17世紀後半、京都・福知山から松平忠房(まつだいら・ただふさ)が藩主として移った際、本格的に持ち込まれた。
城内の能舞台では吉事には庶民も招き、能や狂言を楽しみ喜びを分かち合ったという。

 1983年、毎年秋の島原城薪能として復活。
2004年に新しい文化の創造を目指す「島原子ども狂言ワークショップ」が始まり、受講者が薪能に出演して舞台に彩りを添えるようになった。

 定番は、島原に伝わる狂言を原案に創作された「釣ろうよ」。
豊かな有明海を表現した祝いの演目で、太郎冠者とタイなどの「魚の精」との掛け合いが笑いを誘う。
10年目の今年は3歳から高校生まで36人が参加。
市立第一中学2年、鶴田賢一郎(つるた・けんいちろう)君(13)は「狂言は現代人も楽しめる喜劇。
島原で能や狂言の文化が根付いていたことはすごい。誇りに思う」と話す。 


 地元で開かれたジオパーク国際国連教育科学文化機関(ユネスコ)会議や、全国高校総合文化祭などでも披露。
子どもたちの舞台発表の場は、秋の薪能以外にも広がる。

 雲仙・普賢岳の噴火災害後、地域再生の模索が続く島原。
「伝統文化の豊かさを身近に感じ、古里の素晴らしさを再認識してほしい。
子どもたちへの継承が地域力としてフィードバックされたらうれしい」。
運営ボランティアの北田貴子(きただ・たかこ)さん(46)は期待している。

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