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土方歳三(ひじかた としぞう)。新選組副長で、和魂洋才のラストサムライ。6月20日没

土方歳三(ひじかた としぞう)。新選組副長で、和魂洋才のラスト サムライ。6月20日没 
土方 歳三

・1835年5月31日。日野市~1869年6月20日没。35歳。函館 五稜郭

土方歳三は、新選組副長として京都の警備に当たります。
組長は近藤勇です。

新選組は、幕府がつくった武装組織で、幕府をたおそうとする人びとを
京都で取り締まりました。

1868年鳥羽伏見の戦いで、敗れたあとも、
薩長軍(のちの官軍)に抵抗し、会津などにも転戦しました。

鳥羽伏見の戦い

【※】【鳥羽伏見(とばふしみ)の戦い
鳥羽伏見(とばふしみ)の戦いは、
京都南郊の鳥羽・伏見で行われた
新政府軍(薩長軍)と旧幕府軍との戦いです。
わずか1日で旧幕府軍が敗北します。
これが戊辰戦争(ぼしんせんそう、薩長と旧幕府軍との2年間の戦)の発端となりました。


新選組の土方歳三は、榎本武揚(えのもと たけあき)の軍に合流し、
1869年函館の五稜郭(ごりょうかく)の戦で戦死
しました。

榎本 武揚
1864年 オランダにて

【※】【
榎本武揚(えのもと たけあき)
新政府軍に反抗したが、のちにゆるされて、
逓信(ていしん)・外務・文部大臣を歴任しました。


【名言】

「喧嘩ってのは、おっぱじめるとき、
すでに我が命ァない、と思うことだ。
死んだと思いこむことだ。そうすれば勝つ」


『土方歳三あらすじ』 【+14】



近藤勇(いさみ)。日本を先取りした新選組の隊長。5月17日没。

土方歳三:和魂洋才のラストサムライ

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