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赤れんが館に光  名建築家・辰野金吾の遺産、再評価。唐津市

【10-3】(佐賀新聞社、文と写真・日高勉)引用編集

「辰野式」と呼ばれる英国風の赤れんが造りの旧唐津銀行。リニューアルし観光スポットに

 復元した東京駅丸の内駅舎の設計者として、あらためて脚光を浴びた明治、大正期の建築家辰野金吾(たつの・きんご)(1854~1919年)。
故郷の佐賀県唐津市には、辰野が監修し、大学時代の教え子が設計したイギリス風赤れんが館「旧唐津銀行」が残る。

赤れんが館は石炭輸出港として栄えた唐津の近代化のシンボルで、1912年に完成した。
16年前まで銀行支店として使われた後、市に寄贈され、8億8千万円をかけて補修。
2011年、まちなかの観光スポットとして生まれ変わった。

 辰野は、日本銀行本店など全国で約230件の建物を手掛け、建築ファンには知られた人物だ。
しかし「恩師が高橋是清(たかはし・これきよ)と知ると来場者も驚く。
辰野を取り巻く人たちも含め、もっと情報を発信したい」と、赤れんが館館長の北島俊和(きたじま・としかず)さん(71)は話す。

 高橋は1870年、唐津藩校「耐恒寮」に英語教師として赴任。
下級武士出身の辰野を教え、上京するきっかけを与えた。
後に首相となり、財政政策で敏腕をふるった高橋が教壇に立ったのは1年ほどだったが、唐津の若者に世界を教えた。
辰野同様に建築家として成功する曽禰達蔵(そね・たつぞう)も藩校生だった。

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