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小江戸・佐原、利根川の恵み 商都の面影、住民で守る。NK2015/07/18

NK2015/07/18 「まちを楽しむ  歴史ひもとく」引用編集


 佐原市/ http://www.sawara.com/gaikyou/index.htm



/ NK2015/07/18

 「お江戸みたけりゃ佐原へござれ、佐原本町江戸まさり」。
千葉県北東部にある香取市の佐原は、江戸時代にこう歌われるほど繁栄した商都だった。
今も当時をしのばせる町並みが保存され、その中で商売を続ける家も多く「生きている町並み」と言われる。
歴史的景観を残す一帯を散策すれば、タイムスリップしたような感覚になる。

小野川沿いなどに残る古い町並みは観光スポットになっている
 伊能忠敬の旧宅は国の史跡に指定されている

青は江戸時代の利根川。赤は現在の利根川  / http://www.mlit.go.jp/river/toukei_chousa/kasen/jiten/nihon_kawa/83028/83028-1_p1.html

 佐原が発展したきっかけは徳川家康による利根川東遷事業だ。
利根川はかつて東京湾に注いでいたが、この流れを東に向けて銚子市の北側から太平洋に注ぐようにした。

関東の治水や新田開発、東北との水運に加え、有力大名の伊達政宗に備える狙いもあったとされる。
完成まで60年を要する大事業だった。

 東北のコメなどの物資は銚子から利根川に入って西に向かい、次いで江戸川を南下して江戸の町に運ばれた。佐原は利根川沿いに位置し、支流の小野川も流れていたことから水運の拠点として発達。酒やしょうゆなどの醸造業も栄え、大いににぎわったという。

 現在も江戸時代末期から明治、大正時代に建築された古い家が小野川と香取街道沿いに軒を連ねる。
往時の繁栄をしのばせる景観だが、すんなり保存されたわけではない。
構想は1970年代から浮かんだが、なかなか盛り上がらなかった。
住民の間では再開発による商圏復活に期待する声も多かったからだ。
車で訪れる客を増やすため「小野川の上にふたをして駐車場にしたらどうかという意見もあった」。NPO法人小野川と佐原の町並みを考える会理事長の佐藤健太良さんは苦笑する。

 風向きが変わったのは80年代末の竹下内閣のふるさと創生資金がきっかけだ。
全国の市町村に1億円が配られ、佐原市(当時)も使い道に悩んだ。
その中で町並み保存に活用する案が浮上。
「あれが起爆剤になった」と佐藤さんは振り返る。
94年には市歴史的景観条例が施行。
96年には古い町並みの7.1ヘクタールが関東で初めて国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。
同地区にある昭和前半までの古い建物のうち、所有者が保存に同意したのは95棟。
市は家屋の修理などに際して補助金を出し、町並みの整備を続ける。

 佐原の町並みを訪れる観光客は年間48万人。
安政2年(1855年)に建築された建物で土産物を販売する中村屋商店には買い物客がひっきりなしに訪れる。
5代目の並木潤一郎さんは「町並みを保存してお客さんに来てもらわないと佐原は生き残れない。売り上げは増えているよ」と笑顔をみせる。
地域の資源をじっくり育む佐原の戦略は、にぎわい復活を目指す他の自治体にとっても参考になる。

○19世紀初めに詳細な日本地図を作製したことで知られる伊能忠敬は千葉県九十九里町の生まれだが、17歳のときに佐原の有力商人だった伊能家に婿入りした。以来30年余を過ごした旧宅が今も残されている。

○千葉県香取市と埼玉県川越市、栃木県栃木市は江戸との舟運で栄えたことから「小江戸」と呼ばれた。1996年度から年1回、3市の市長や市民が参加して小江戸サミットを開催し、町づくりについて意見交換している。

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