観光立国と地域の活性化(1)域内経済循環の拡大策必要 北海道大学観光学高等研究センター客員教授 山田桂一郎
2017/9/21~ 日本経済新聞 を抜粋編集
訪日外国人旅行者の増加と共に脚光を浴びてきた観光産業は最近、地方創生の切り札とまで言われ、政府は国内総生産(GDP)600兆円達成を目指した成長戦略の柱として位置付けています。政府だけでなく多くの地方自治体が観光産業に力を入れるのは、
少子化高齢化、人口減少によって縮小する国内市場を交流人口の拡大で補い、経済を活性化させるのが狙いです。
「観光産業は総合産業」と言われ、関連する業界や事業者は多岐にわたり、地域経済への波及効果が期待できるからです。
筆者は国内外で観光を地域経営の基軸とする経済活性化策に数多く関わり、域内の経済循環の向上を最優先事項として取り組んできました。単なる観光客数の増加や観光客の直接支出額の増加にとどまらず、そこから波及して地域の税収や人口の増加など幅広く高い経済効果を狙うのならば、まずは
域内の経済循環を拡大させなければなりません。
しかし、観光振興のための新しい取り組みは日本各地で次々に生まれていますが、明確に地域経済循環の拡大を目指した事業はほとんど見かけません。むしろ知名度向上を狙っただけの宣伝や広告、動員数を増やそうとするだけの単発的なイベントなど、真剣に地域経済を活性化する気があるのか不明なものも数多くあります。
残念ながら、いまだに観光振興策の評価では、実体経済に結び付くかどうかより、メディアに少しでも取り上げられ、来場者が増えて目立てば良しとされることが多いのも事実です。
この連載では可能な限り観光・リゾート地の現場で実際に起きている事実の検証を通じて、観光産業による地域経済活性化のあり方について考えていきます。特に、経済活性化のために政府・自治体が観光分野で掲げる目標のあり方や、個別の観光施策によって経済的成果を上げるうえで注意すべきポイント、個々の事業者だけでなく地域として成果を上げるための仕組みなどについて重点的に論じていきます。
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小泉内閣が
2003年に日本の観光立国化を宣言、08年には国土交通省の外局として観光庁が発足し、政府は数多くの観光振興策を実施してきました。その結果、訪日外国人旅行者数は順調に伸び続け、16年には目標としていた年間2000万人を突破し、次の目標として
20年に4000万人、30年には6000万人の達成を掲げています。17年3月には「世界が訪れたくなる日本」を目指して新たな観光立国推進基本計画を閣議決定しました。
海外から日本を訪れる外国人旅行者は年々増えていますが、日本への旅行者だけでなく、国際旅行者の数は世界的に増加傾向にあります。国際旅行市場は今後も拡大が続く見通しで、国連世界観光機関(UNWTO)は
国際旅行者数が16年の12億3500万人から30年には18億人へと5割近く増えると予測しています。
この成長市場を巡って各国が旅行者の誘致を激しく競い合うなかで、どれだけ取り込めるかが日本経済にとって非常に重要になります。これまでも訪日外国人の消費額は旅行者数の増加と共に伸び続け、観光庁の調査では11年の8135億円から、16年には3兆7476億円に急増しています(ただし、1人当たりの支出額は15年の17万6167円のピークから17年4~6月には14万9248円と約15%も減少しました)。
政府は訪日する外国人旅行者の数だけでなく、その
旅行消費額についても目標を掲げ、20年には16年の2倍以上の8兆円、30年にはさらに2倍近い15兆円に増やそうとしています。
島国である日本に日帰り旅行で来る外国人はほとんどいないため、入国した外国人が日本国内で全く消費せずに出国することはありません。外国人旅行者が増えるのに伴い、国内の消費額も必ずある程度は増えることになります。それでは政府が掲げる目標通りに外国人旅行者数が増え続ければ、多くの外国人が観光で訪れる地域の経済は活性化するでしょうか。
観光による地域経済の活性化を目指すためには、外国人旅行者数とその消費額の伸びに注目するだけでは不十分であり、ほかにも重要な指標があることを次回に説明します。
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日本を訪れる外国人旅行者数と消費額は増加傾向にありますが、外国人の旅行消費だけでは政府が目指す観光立国による経済活性化は困難です。それは国内観光市場のうち、外国人が占める割合はまだそれほど大きくないからです。
外国人旅行者の消費額(2016年は3兆7476億円)が増えているとはいえ、日本人の国内旅行消費額(同20兆9547億円)の方が5.6倍も大きいのです。
さらに、外国人か日本人を問わず旅行者が増加し、観光地での消費額が増えたとしても、地域経済が活性化するとは限りません。旅行者から事業者への一次消費が増えても、そのお金が事業者から地域外に流出してしまえば、地域内で経済循環が生まれないからです。例えば、ホテルに宿泊費が支払われても、他地域から食材を仕入れ、隣町からスタッフを雇っていれば、宿泊費原価の多くは地域外へ流出し、地元にもたらされる経済効果は非常に限られてしまいます。
地域経済を活性化するためには、
地域内のあらゆる資源を活用して「域内調達率」を引き上げ、地域の経済循環を高めることが重要です。地元の食材に徹底的にこだわり、地元の人材や仕入れ業者を活用するほど域内調達率が上昇し、旅行者から事業者への一次消費だけでなく、事業者から地域への二次、三次の需要が生まれます。このように一次消費がさらなる需要を喚起し、それに応じて様々なものが生産されていくのが「波及効果」です。
波及効果が域内で広がり、地域内でお金の循環が加速していけば、地域の景気も良くなり、税収も増えるでしょう。このような地域経済の活性化こそが地方創生の目標です。しかし、
域内調達率や波及効果の向上に取り組んだり、KPI(重要業績評価指標)として挙げる地方自治体はまだ少なく、多くの自治体は旅行者の入込数など経済活性化と関係の薄い目標を掲げているのが現状です。
では、地域経済の活性化に向けて域内の調達率や波及効果を高めるため、どのような取り組みが求められるのでしょうか。その回答として次回は、「地産地消」ではなく「地消地産」が必要なことを解説します。
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地域経済を活性化するには、域内調達率を高めて波及効果を生むことが不可欠で、その手段として地元企業の利用や地元食材の購入などがあります。ここでカギとなるのが「
地消地産」です。これは「旅行者が切望する高付加価値の商品を地域内で生産・販売する」という考え方です。旅行の目的地として選ばれるためには、当地でなければ入手できない、体験できない商品やサービスが必要です。
これに対して「地産地消」は基本的に「地元で生産したものを地元で消費する」という考え方です。地域振興としては重要なことですが、最近は「余ったものや外部で売れなかったものを地元で何とか消費してもらう」という傾向が強くなってしまいました。
売れない地産地消には主に2つの問題があります。余剰品や外部での売れ残り品の提供では、低価格になって肝心の利益が増えないことと、旅行者を引き付ける魅力に乏しいことです。一般的に遠方からの旅行者ほど旅先での消費額は増えますが、地元産であったとしてもどこにでもある商品ならば、旅行者は低価格品の購入に走ります。これでは高い収益は望めません。
一方、
「地消地産」とは地域の良い素材に手間をかけて価値の高い商品に仕上げ、「その地域でなくてはならない価値ある商品」にすることです。高品質を維持するためにも高い単価を設定する必要があります。
そもそも地元の素材や事業者を利用しないのは、他の地域から仕入れた方が安く、そうしないと利益が確保できないからです。「地消地産」によって単価を上げて利幅が広がれば、地元の事業者や良い素材を利用し、地元の人を雇うことが可能になります。そうした事業者や労働者が地域内で消費すれば、お金の循環が生まれます。その地域ならではの高付加価値化で単価を引き上げ、需要を生み出すことが売上高と利益の増加につながるのです。
もちろん、ただ高額な商品を作るだけでは売れないでしょう。そこで重要になるのが、
「顧客が本当に欲しいコトやモノ」を、「顧客とのコミュニケーションの中で一緒に作り出していく」というマーケティングの実践です。
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今回はどのようにして地域の市場規模を拡大していくかを説明します。まず底辺の長さが数量で、高さが価格の三角形を想像してみましょう。面積が地域全体の消費額となり、面積を増やすことが地域経済の活性化になります。これまで日本では「安い物を大量に売る」、つまり頂点の高さを変えずに底辺を横に広げることばかりに熱心でした。
しかし、頂点を引き上げられれば、シャワー効果で裾野も広がり、市場が階層化することで事業者のすみ分けも可能になります。
高付加価値化によって、その地域で可能な限り客単価を引き上げ、ハイエンド層の顧客を獲得することが市場拡大には有効なのです。
これは一店舗にもあてはまります。例えばレストランで料理を一品一価格から「松、竹、梅」などと多層化することで客単価を引き上げられれば、収益増の可能性が高まります。食材によりコストをかけられるようになれば料理人の技能を生かせますし、価値がわかる顧客の増加はスタッフ意欲やお店の質的向上につながります。このように事業者単位でも地域全体でも、
客単価の上限の引き上げは好循環をもたらします。
2007年に北海道で筆者も協力して
「1万円ランチ」が実現しました。北海道の食の多くが「素材の良さ、量の多さ、安さ」を売り物とする状況を打破するために企画したものです。道内の五つのレストランが毎日数量限定で提供したこともあり、すぐに先々まで予約で埋まっただけでなく、予約できなかった客も既存メニューの高額料理を積極的に選ぶ傾向がありました。「1万円のランチを提供する店なら他の料理もおいしいはず」と
シャワー効果が発揮されたのです。
当時他の店でも、1万円は難しくても、少しでも客単価を引き上げ、商品の多様な階層化による他店とのすみ分けに取り組んでいれば、地域経済への効果はもっと高まったでしょう。
また観光客向けの商品・サービスだとしても、地元の住民に支持されているかどうかはとても重要です。地元で食べられていないB級グルメのように、地元で人気がなければ、わざわざ外部から食べにきてくれるはずがないからです。
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日本では
「マーケティング」は「宣伝広告」のことだと思われがちですが、それだけではありません。「売る側と買う側の必要と欲求を一致させて売買が活性化するように計画し、実行する活動」であり、簡単に言えば
「売り続けるための仕組みづくり」です。
基本はSTP(セグメンテーション、ターゲティング、ポジショニング)ですが、最重要なのはポジショニングです。「顧客からどのように見られているか」「顧客が欲しいものは何か」を明確にすることです。顧客が求める価値ある商品やサービスだからこそ、その価値を認めてくれる人に的確に情報を届け、購入につなげる必要があります。
筆者が関わった
「富山湾鮨」は、富山湾で水揚げされた魚介類を使い、富山県内だけで提供しています。旅行者の「せっかく富山に来たのだから地元ネタを食べたい」というニーズに応え、「富山でおいしいお寿司を食べるなら富山湾鮨」というポジショニングで認識され、成功しました。
また「とやまの山幸」は県内の旬の食材を使ったコース料理(1万円から)で、新幹線のグランクラス利用者層を主に狙ったものです。これもターゲット顧客から見たポジショニングを意識した商品として成功しました。顧客にとって価値ある商品やサービスは
「今だけ、ここだけ、あなただけ」と認識され、ポジショニングが明確です。顧客に支持されないものほど「いつでも、どこでも、誰にでも」とポジショニングが曖昧になっていないでしょうか。
優良企業ほどマーケティングを重視して顧客ニーズに対応しています。そのためには
顧客情報管理(CRM)を確立して顧客と長期的関係を築くことが必要です。観光業界には「一見さんだけで十分」と言いかねない風潮がありますが、それでは長期的に持続可能な事業になりません。
筆者は地域単位でファンクラブを立ち上げる形でのCRM構築を推奨しています。地域で実施すれば的確なマーケティングや事業者のすみ分けが可能になります。顧客が求めているものを見つけるには、トレンドの変化が分かるだけのビッグデータよりも顧客データベースを重視すべきです。
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かつて日本の観光業界では、旅行会社や宿泊業者、土産店などが手を結び、一種の利益共同体を形成していました。団体旅行が主流だった時代はそれで問題なかったかもしれませんが、近年、旅行消費額に占める団体客のシェアは大幅に低下しています。そして、多様化している個人客は周遊旅行よりも一カ所での連泊を選ぶ傾向にあります。
しかし、自らマーケティングを行う力のない観光地はいまだに集客から宣伝、周遊プラン作りに至るまで広告代理店や旅行会社に丸投げし、行政に補助金を求め、宣伝広告費を使うことが半ば目的化しています。多くの観光地は、他人任せで効果が薄いにもかかわらず、マージンだけ取られ、地域全体として顧客満足度を高めて稼ぐことにつながっていないのです。
観光地に今求められているのは、BtoB(対事業者)だけでなく、
自分たちで直接顧客に販売するBtoC(対消費者)に取り組むことです。旅行会社を通じて旅行者を呼び寄せてばかりいると、観光地側は「顧客=旅行会社」となり、本来の顧客との関係を構築するまでに至らず、長期にわたって何度も訪れたくなるような観光地の形成には到底結びつきません。
欧州では多くの
観光局が顧客情報を一括管理し、顧客との関係を地域単位で構築しています。サービスを提供する側(観光・リゾート地)と受ける側(旅行者)との間に長期的な関係が築かれているので、個人客に対しても効果的なマーケティングが可能なのです。
地域全体で旅行者の受け入れに取り組んでいる北海道弟子屈町では、観光業だけでなく農業や商業の事業者、そして主婦から子供までの多様なメンバーで構成する住民主体の協議会が、「地消地産」型の商品やサービスの開発、情報発信を地域単位のマーケティングとして行い、地域経済の活性化に結びつけています。
このように
住民が主体的に地域全体のマネジメントに関わり、ブランディングを前提とした総合的なマーケティングに取り組むことで初めて、その地域にとっての“外貨”獲得による経済の活性化、ひいては地域の自立化と持続性の向上につながるのです。
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企業が収益を安定させ、持続可能な経営を実現するには、各顧客との継続的な取引による収益(顧客生涯価値=CLTV)の向上を目指す必要があります。そのためには、単に良い商品を作れば売れるというプロダクトアウトの考え方ではなく、顧客が求めるものを提供するマーケットインの発想がより重要です。
観光でも旅行者が求めるものを絶えず提供できれば地域への満足度が向上し、リピーターとして何度も訪れる可能性が高まります。CLTVを高めるためには前回までに説明した顧客情報管理(CRM)が必要になります。しかし、日本の観光地では地域単位のCRMという概念はほとんど理解されていません。個別のホテルチェーンや老舗旅館では実践されていますが、地域単位で旅行者の行動履歴や消費履歴のデータベースを基にマーケティングを行う例は限られています。
これに対し、欧州の多くの観光地では各観光局が域内ホテルの宿泊データを一括管理する形で顧客データベースを持っているため、地域として旅行者一人ひとりのニーズに合わせた「One to Oneのマーケティング」が可能なのです。
日本でも地域通貨のようなポイントカードの導入や地域のファンクラブ設立などで、顧客データベースの構築に取り組む地域は出ています。例えば宮城県気仙沼市の「気仙沼クルーカード」の会員制度は、地域単位でOne to Oneマーケティングを実践するCRMの仕組みになっています。
顧客データベースがあれば、地域で個々の顧客の嗜好を把握するだけでなく、新商品を開発する際に会員への限定販売を通じてフィードバックを得ることも可能です。地域内で連携してマーケティングを行い、旅行者がより満足できる商品・サービスを継続して提供できるようになるのです。
今後、観光地がマーケティングとブランディングを実践するためには、地域単位でCRMを構築し、CLTV向上が必須になるでしょう。地域内の経済循環を高めていくには、これこそが基本中の基本の方法ではないでしょうか。