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天智(てんじ)天皇。古代日本の基本をつくる。1月7日没。46歳

天智(てんじ)天皇。天智、天武の時代に古代日本の基本をつくる。1月7日没。46歳

天智天皇

・626年~671年1月7日没。46歳

645年、天智天皇は、藤原鎌足とはかって、
蘇我入鹿(そが の いるか)をたおし、
大化の改新をおこないます。

【※】
天智天皇は、中大兄皇子(なかのおおえ の おうじ)として知られています。
    中大兄とは、中家の大兄(おおえ。長男)のことです。当時は一夫多妻でした。

藤原鎌足は、中臣鎌足(なかとみ の かまたり)ともよばれます。
    藤原鎌足は、12歳年下の天智天皇を長年助けます。
死の直前には、「藤原」という最高の姓をいただきます。

平安時代に権力をふるうようになる藤原道長などは藤原鎌足の子孫です。
    「大化」は日本で初めての元号(げんごう)です。

天智天皇は、私有地をもつことを禁止し、すべての土地は天皇のものとします。
「地方」の豪族を「国」の貴族にします。

「天皇」の称号を定め、中国からの「独立」を示します。
中国の「帝」に対抗して堂々と「天」となのります。
皇帝も天皇もともに、皇 <すめらぎ>です。
周辺諸国は「王」にすぎません。

「日本」という国号も定めます。


天智天皇は天皇になる前は、中大兄皇子(なかのおおえ の おうじ)といいました。
中大兄皇子から、23年かけて38代 天智(てんじ)天皇になりました。


663年、百済(くだら)をすくうために、出兵しますが,
白村江(はくすきのえ)の戦で唐・新羅(しらぎ)連合軍に大敗します。

破れてから、以降 国防意識がめばえました。


【※外的に対抗して国内が団結する
ギリシャもペルシャに対抗して生まれました。
ギリシャという国はもともとありませんでした。
都市国家が雑然と集まったままでした。
しかしペルシャという外的の来襲に対抗するために、全ギリシャが生まれ、
まとまりました。

つまり共通の敵により、一致団結、全体がまとまり、ギリシャが生まれました。


やがて都を大津(滋賀県)にうつし、律令国家の基礎をかためました。
【※】律令の「律」は刑法、「令」はその他の法のことです。


持統天皇は、天智天皇の娘で、天武天皇の妻です。
天智天皇と天武天皇の時代に、古代日本の基本ができあがりました。


【名言】

 ≪ 秋の田の  かりほの庵(いほ)の  苫(とま)をあらみ  わが衣手は   露にぬれつつ ≫    【2+】

(秋の田の  仮小屋に泊まってみると、屋根の苫の目があらいので、
冷たい夜露が、私の着物の袖をすっかりとぬらしてしまっているなぁ。*百人一首の最初の歌)


【受験】
645年 大化の改新  ♪♪~ ムシコろ(虫殺)してから、イルカ暗殺

【※】6月10日の時の記念日

天智天皇はじめて水時計を用いたのを記念して設けられました。


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