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江川英龍(ひでたつ)。外国との戦いに備え反射炉や台場を建設。Egawa Hidetatsu。3月4日没

江川英龍(ひでたつ)。外国との戦いに備え反射炉や台場を建設。Egawa Hidetatsu。3月4日没 
江川英龍 

・1801年6月23日~1855年3月4日

韮山(にらやま)反射炉。世界文化遺産
/2018年
江川英龍は、外国からの防御に備えて、
鉄鋼を得るため反射炉の建造に取り組みました。
世界で残っているのは 韮山反射炉 だけです

江川邸  / NHK ロケ
江川邸はNHKの『篤姫』』にも使用されています。
パン祖
江川英龍はパン(堅パン)を保存用に用いようと考えました。
自邸内にパン窯(がま)を築きました。
全国パン協会は江川英龍をパン祖としてこの碑を建てました。
碑文は徳富蘇峰によるものです。

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江川英龍は、鎌倉時代より800年間伊豆の代官として関東を管理した一族の当主です。

江川邸は、江戸時代には広大な幕府直轄地を支配した代官(知事)の邸です。
敷地面積11,000㎡におよびます。

幕命で
伊豆、駿河、相模、甲斐、武蔵
の支配に関わっていました。

江川英龍を人々は
「世直し 江川 大明神」
と呼んで敬愛しました。

二宮尊徳を招聘して農地の改良などを行いました。

高島秋帆(しゅうはん)に弟子入りし、近代砲術を学びました。
【※】東京の高島平(団地)は、高島秋帆に由来します。


西洋砲術の普及に努め、全国に教育しましtた。
佐久間象山、大鳥圭介、橋本左内、桂小五郎(木戸孝允)
などが門下
で学びました。

ペリー来航直後(1853年)に品川台場を築造しました。
将軍の命令でつくられたので敬意を評して「お台場」とよばれました。

日本で初めての西洋式軍隊を組織しました。
「気をつけ」「右向け右」「回れ右」は英龍の発意によるものです。

1849年にイギリスのマリナー号が江戸湾を旋回して伊豆下田へと移動しました。
江川英龍は全権大使として退去をマリナー号船長に要求しています。


(江川)「私は大英帝国を、紳士の国だと聞いている!」

 マリナー号は、静かに退去しました。
江川の言葉は英国史にも残っています。


江川家の支配地域には
武州多摩も入っており、新撰組の結成
に関係があります。
身分を問わない実力主義の新撰組は、
英龍の町民兵育成構想
からきました。

江川家の江戸屋敷は、のちに福沢諭吉に払い下げられて
慶應義塾舎
となりました。


江川家の系譜。今も続いています。




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