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梅棹忠夫。人間学の先駆者。情報時代を1960年代に。 7月3日没。Umesao Tadao

梅棹忠夫。人間学の先駆者。情報の時代を0960年代に。 7月3日没。Umesao Tadao


梅棹 忠夫

・ 1920年6月13日。京都市ー2010年7月3日。90歳。京都市


 梅棹忠夫は、産業の歴史を「農業の時代」、「工業の時代」、これからは「情報産業の時代」になると予言しました。

中高時代から登山、探検に熱中し、京都大学で人類学を専攻します。

1957年、『文明の生態史観 序説』で、大きな注目を浴びました。

国立民族学博物館の設立に尽力し、初代館長に就任します。『梅棹忠夫著作集』全23巻があります。


【名言】

「できないことを何とかしようとするよりも、
できることを楽しんだほうがいい
できることのなかに、
結構たくさん楽しいことがありますから」

【補足】

「東京は無機質でツンとしとって、-----かなん なあ。 やっぱし京都がええわ」 (独白 東京で国立民族学博物館の設立準備中に


梅棹忠夫の情報産業論
 1960年代はじめに、産業の発展段階は、次の通りに示しました。
    農業の時代(消化器官)、
    工業の時代(筋肉)、
    情報の時代(脳神経)
日本は、情報の時代(脳神経)を切り開きましょう

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