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ハインリヒ4世(ドイツ王)。カノッサ城でローマ教皇に許しを請う。「カノッサの屈辱」。Henry IV。8月7日没

ハインリヒ4世。カノッサ城でローマ教皇に許しを請う。「カノッサの屈辱」。Henry IV。8月7日没


ハインリヒ4世、左から2番めのうずくまる人
カノッサ城門前にて

・1050年11月11日。ドイツ ~1106年8月7日没。57歳

カノッサの屈辱」とは、1077年に、 神聖ローマ帝国皇帝(=ドイツの皇帝)が ローマ教皇に破門の解除を願った事件です。

神聖ローマ帝国とは、ザックリいえば、ドイツのことです。
神聖ローマ帝国皇帝(ドイツ王)は、300諸侯を従える王でした。
そのドイツ王が、ローマ教皇(ローマ法王)に
   「破門はしないで」
と、許しを願いました。

ローマ教皇は、北イタリアのカノッサ城に滞在していました。
神聖ローマ帝国皇帝 ドイツ王は、
城門で、裸足のままで、 3日間断食と祈りを続けました。



破門はようやく解かれます。


政治権力と宗教権力は、別であったことがわかります。

*     *     *

以上は、 鎌倉幕府の源頼朝(政治の指導者)が、
天皇(宗教の権威)から、
征夷大将軍に任命されるようなものです。


1945年、天皇の玉音(ぎょくおん)放送の鶴の一声で、 鬼畜米英だった日本人は、 平和で従順な日本人にもどりました。

日本では、西欧と同様、 政治権力と宗教権力は別になっています。

*     *     *

政教(= 治・宗)がわけられないところは、 独裁に 走ります。
   ・ロシアは、政教分離ができず、独裁に走ります。
   ・中国も、政教の分離ができず、独裁化します。

国家も人民もあわれです。
世界も用心しなければなりません。


【21分】【カノッサの屈辱】 


【受験】

「カノッサの屈辱」  Humiliation of Canossa ヒュウミリエイション オブ カノーサ

1077年、ドイツ王(神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ4世)が、
ローマ教皇グレゴリウス7世に
北イタリアのカノッサ城門にて、 裸足のまま断食と祈りを続け、
破門の解除を願い、 赦しを願ったことをさします。
破門はようやく解かれます。
西欧の政教分離の象徴的事件です。

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