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福澤桃介(ももすけ)。福澤諭吉の養子で、日本の電力王。 <川越の先人。川越育ち

福澤桃介(ももすけ)。福澤諭吉婿養子で、日本の電力王。2月2日没 <川越の先人。川越育ち

福沢桃介  若き日

2列目の右5番に福澤諭吉。その左に桃介。
洋行送別、1887年

・1868年6月25日。埼玉県 吉見町。川越育ち-1938年2月2日没。69歳

福澤桃介は、明治から昭和初期にかけて活動した日本の電力王です。


福澤桃介は、旧姓・岩崎です。
福澤諭吉に見込まれて、婿養子となり、福澤桃介となりました。
アメリカに留学しています。

岩崎家は、甲州武田の滅亡で武田信玄の妹 八重姫
(のちの真行尼(しんぎょうに))を擁して、川越に逃れました。
真行寺  川越市宮本町

岩崎家は吉見町に土着しました。
生活は貧困を極めました。
父は、同郷豪商の水村精(きよし)を頼って川越で提灯屋を開業しました。
川越に第八十五国立銀行が設立されると、
提灯屋を廃業して同銀行に勤めるようになり、家計はやや楽になりました。

桃介は、喜多町・広済寺内の北小学校では、
神童と讃えられました。

1883年(明治16年)、16歳のとき慶應義塾に入学しました。
慶応の後はアメリカへ留学しました。

相場師として日露戦争後に財を成しました。

1842年松永安左衛門と共に電力会社を設立し、社長に就任しました。
以後電力事業に力を注ぎ、木曽川などで水力開発、電気事業で
「電力王」とよばれました。

現・中部電力、現・関西電力、日清紡績、矢作水力、
現・大同特殊鋼、東邦電力、東邦瓦斯
などの会社を設立しました。

名古屋の大同大学の祖は、福澤桃介です。

川上貞奴(さだやっこ)
桃介は、後半生、川上貞奴(さだやっこ)を伴侶としました。
貞奴は、欧米巡業で成功し、女優に転身しました。

時の総理伊藤博文や西園寺公望などの名立たる元勲からひいきにされました。
桃介は、どこへ行くにも貞奴を連れていきました。

貞奴は、桃介を励まし、大事業を成功させた元気の源でした。
我が国の女優第一号です。

福沢桃介記念館が、南木曽町(なぎそまち。長野県の南西部)にあります。

洋画家の岩崎勝平は、福澤桃介の兄の子です。
歌人の杉浦翠子(すいこ)は、妹の子です。


大同大学の祖  福沢桃介   名古屋市南区滝春町10-3

福沢桃介記念館  長野県木曽郡南木曽町(なぎそまち)


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