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エドワード・モース。東京の大森貝塚を発見。川越氷川神社の彫刻を絶賛

 エドワード・モース。東京の大森貝塚を発見する。川越氷川神社の彫刻を絶賛

エドワード・モース
・1838年6月18日- 1925年12月20日

エドワード・モースは、東京大学の動物学教授で、近代考古学や動物学の基礎を築きます。

川越の川越氷川神社で彫刻を絶賛します。
【*】『川越氷川神社本殿 』の 写真集 刊行さる。 2022/12


大森貝塚とモース博士 ~日本考古学の出発点~    品川区    【+10】 
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以下は、加瀬英明「生まれながらの自制心」 より抜粋編集です。                    

日本は自制する文化である。

江戸時代に日本を訪れた西洋人はきづいた。
高官も、富裕な者も、地位や富を顕示するような身なりをしなかった。
みせびらかすのは、野暮とされていた。


日本人は世界のなかで、もっとも寡黙な民族である。

今日でもはっきりした自己主張を避け、曖昧な言いまわしをする。
論理性がないわけではなく、和を重んじるからである。

 エドワード・モース(1838~1925)はアメリカの動物学者で、明治10年(1877)に来日し、東京帝国大学で教えた。
大森貝塚の発見と調査によって、知られている。

 モースは著者『その日その日の日本』のなかで、つぎのように述べている。

「驚くことには、善徳や品性を、日本人は生まれながらに持っているようである。
衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべての自然物に対する愛、
あっさりして魅力に富む芸術、挙動の礼儀正しさ、他人の感情に就いての思いやり(略)
これ等は恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である」


日本では、日常生活が暗黙の合意によって、律しられていた。
誰もが実直で、礼節を守り、義理堅く、律義だった。


江戸の人々は共通の価値観のもとで生活していたから
「世間体」が何よりも大事だった。


世間の人々との人間関係が、天と同じように重要だった。

日本の場合は、社会そのものが人を見守る天であり、人々を束ねる役割を果たしていた。

人々はそのために、人間関係の絆を何よりも大切にした。

人間関係が社会道徳を支えていた。
もし、社会規範に背くことがあったら「世間体が悪い」といって、一族ぐるみで恥じた。

全員、名誉心が強かった。

私(加瀬英明)はビートルズのジョン・レノンと、親しかった。

ジョンは私の従姉と結婚して、ニューヨークの日本語学校に通っていたが、
「お陰様で」という表現が、世界の言葉のなかでもっとも美しいということを口癖にしていた。生かされていることを、天に、人に社会に感謝する謙虚な精神を、するどく感じ取っていたのだ。

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