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沖縄にはなぜ神社がない?

蓬頭垢面のインドの僧侶
1997年ワーラーナシーにて
大きなクモがいる森林は本物。斎場御嶽(セーファ ウタキ)にて
イグアナも住んでる御嶽(ウタキ)

沖縄の聖地である御嶽(ウタキ)には、建物はありません。

仏教の影響がなかったので、派手な対抗措置をとる必要がありませんでした。

仏教(普遍的な尺度)、こよみ(客観的な尺度)、鉄器(絶対的な尺度)が沖縄に入ってきたのは、12世紀以降です。
沖縄でことばの力が強いのは、普遍、客観、絶対が少ないからです。

本土の神社は、お寺に対抗して立派に建てられました。

インドでは僧侶は存在自体が尊いのです。
だから、蓬頭垢面(ほうとうこうめん=もじゃもじゃ頭とあかだらけの顔)でも尊敬されます。
住まいも立派である必要はありません。
雨露をしのげればよいのです。

ところが中国では、お坊さんはおがみ屋(巫者=ふしゃ)としてあつかわれ社会の最下位にありました。
それで、仏教をひろめるために大伽藍(がらん)を建立(こんりゅう)しました。 

日本でも仏教は現世的、功利的な信仰の対象でもありましたので、外を飾る必要がありました。

このように仏教は中国経由で日本に入ってきたために、信者を獲得するために、立派なお寺をきそって建てました。
立派なお寺への 対抗上、神社側も立派な神社をつくるようになりました。
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建物とは別に、日本の寺社は木や自然が豊富です。
日本の神様は、自然とは対立せず、自然と共にあり、自然の中にあるという古神道の流れが息づいています。
自然と屹立(きつりつ)し、征服せんとするキリスト教会の建築物と対照的です。

(2010年9月27日改稿)


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