川越市の重要文化財(国指定)は4件あります。
喜多院
仙波東照宮
日枝神社
養寿院
埼玉県の重要文化財
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研究会報告『観光と情報』 2008年 <武蔵観研
川越・奥武蔵観光情報学研究会
(平成19年(2007年)12月設立申請)
主査:桑原政則(東京国際大学教授)
幹事:石井昭三(骨酒の一心堂)、市川勤((株)じもとのneco取締役)、鈴木香菜子(川奥観理事)、木所勝邦(湯遊ランド・ホテル三光(株)社長)、八木拓也((株)エー スタッフ社長)
設立の経緯
川越・奥武蔵観光情報学研究会(川奥観研)は、2007年8月に準備会を立ち上げ、9月に第1回例会を実施しました。例会は毎月第3火曜日6時半~8時で、講師および会員によるスピーチ、報告があります。そのあと骨酒(こつざけ)の会に移り、親睦をはかります。場所は湯遊ランド・ホテル三光(川越市新富町1-9-1)です。骨酒は小江戸川越観光ブランドに申請中の品目です。現在63品目が登録されています。
2007年12月大内東会長に来川(らいせん)いただき、観光情報学会の説明を受け、川越・奥武蔵観光情報学研究会(川奥観研)として設立申請しました。川奥観研は、埼玉県西部地域の川越近辺以北の20ほどの市町村を横断する観光と情報のネットワークづくりを当面めざしています。2008年からは釼持勝観光情報学会理事からもご指導いただいています。2008年2月現在20名前後の参加者を数えています。大半が実務者です。
2008年10月18日(土)には第1回シンポジウムを催します。10月18日、19日は川越まつりで100万人以上の人でにぎわうときです。
川越・奥武蔵観光情報学研究会の例会。毎月第3火曜日、例会の後は骨酒の会で親睦をはかる
例会の内容
2007年9月
· 「ときがわ町の現状と林業の可能性」桑原政則(東京国際大学教授)
· 「川越・奥武蔵観光情報学研究会」のホームページの立ち上げ
http://www.aoikuma.com/kawaokukanken.html
http://www.aoikuma.com/kawaokukanken.html
2007年10月
· 「『月刊 東上沿線物語』について」山本豊実(NPO法人知域文化プロデュース理事)
· ブログ「川越・奧武蔵ニュース」開始
· ブログ「観光を考える」開始
· ブログ「川越・奥武蔵 を歩く」開始
· ブログ「川越ニュース」開始
· ブログ「ごみを考える」開始
· ブログ「多言語化を考える」開始
例会での発表の様子
2007年11月
· 「ウェブサイトのアクセシビリティ 小江戸川越観光協会のサイトを中心に」桑原政則
· 「理化学研究所について」吉田徹(理化学研究所中央研究所先端技術開発支援センター研究嘱託)
· メーリングリスト「川越・奥武蔵 観光情報学研究会 井戸端会議」開始
2007年12月
· 「小江戸川越観光協会のホームページの改善について」桑原政則(東京国際大学教授)
· 「ときがわ町探訪!」(画像ブログ)鈴木香菜子(川奥観研理事)
· 「Open Office Islandを目指して」市川勤(スペースneco)
· 「長瀞、寄居写真紀行」八木拓也((株)エー スタッフ社長)
· 「川越観光の可能性」桑原政則(東京国際大学教授)
2008年1月
· 「観光情報学セミナー事前資料」釼持勝(観光情報学会理事、スノーリゾート観光情報学研究会主査、eResort Inc.代表)
· 「スキーリゾートを例とした活性化計画策定方法」釼持勝(観光情報学会理事、スノーリゾート観光情報学研究会主査、eResort Inc.代表)
おねり。毎月第1土曜日に川越市の目抜き通りを大衆演劇役者が練り歩く。
2008年2月
· 「川越・奥武蔵観光情振興(案):国際的観光地形成へのスタート」釼持勝(観光情報学会理事、スノーリゾート観光情報学研究会主査、eResort Inc.代表)
2008年3月(予定)
· 「ホテル三光の観光戦略」木所勝邦(湯遊ランド・ホテル三光(株)社長)
· 「小江戸川越ブランド イワナの骨酒について」石井昭三(骨酒の一心堂)
· 「月刊『東上沿線物語』について」金子雄一(『東上沿線物語』発行人)
· 「川越観光地図の課題」鈴木香菜子(川奥観研理事)
· 「川越グルメ情報」八木拓也((株)エー スタッフ社長)
· 「川越観光史」桑原政則(東京国際大学教授)
「日本の音風景百選」(環境省)選ばれた川越のシンボル時の鐘
川越観光について
以下に、川越市の現状、川越観光の課題を点描します。川越市は東京の西北40分のところに位置します。さいたま市に次いで県内第2の商工業都市であり、また耕地面積も県内上位という農業都市という側面をもちながら、多くの歴史文化遺産を今に残しています。川越市には次のような多くの顔 があります:「歴史のある観光都市」「蔵造りの商家が並ぶ商業都市」「工業団地を抱える産業都市」「都市近郊型の農業都市」「東京への通勤に便利なベッドタウン」。
1989年にNHKで大河ドラマ「春日局」が放送され、前年には240万人だった観光客は一挙に340万人にふえました。増加傾向はその後も続き、2007年には500万人となりました。現在は「2010年1000万人観光客」をめざしています。2007年10月の川越まつりには、川越市の発表では、京都の祇園祭を上回る115万の人出がありました。関東圏では、川越は、鎌倉、日光にならんで、今や全国ブランドになりました。
川越への観光客は、関東地方が全体の86%を占めます。埼玉県43%、東京都25%、神奈川県8%、千葉県6%、群馬県4%です。総じて50歳以上の女性に人気が高いです。観光時間は、3時間以内48%、半日39%、1日12%で、宿泊客は3%にすぎず、滞在期間、観光時間の短さに今後の課題があります。
立ち寄り観光スポットは、(1)蔵の町並み、(2)時の鐘、(3)菓子屋横町がダントツで、(4)喜多院、(5)川越城本丸御殿、(6)市立博物館、(7)蔵造り資料館と続きます。観光客の川越観光への要望としては、交通の安全性の向上、駐車場の整備、無料休憩所・トイレの整備、観光案内板などの整備があります。他に観光スポットの充実、観光パンフ・ガイドの充実、障害者への対応、公園の整 備、レンタサイクルの導入といった課題もあります。
「旭川観光は川越に学べ」『北海道経済』2008年7月号。旭川メモ、桑原政則 (追加訂正)
「旭川観光は川越に学べ」『北海道経済』2008年7月号。旭川メモ、 桑原政則 (追加訂正)
・・・・・・・・・・・
木村
旭川市の大雪クリスタルホールで昨日まで行われていた
『観光情報学会全国大会』
(2008年5月28日と29日の2日間開催)では
川越の観光の取り組みなどを紹介されたそうですね、
ご苦労様でした。
桑原
はい、私は「埼玉県ときがわ町観光の可能性」をテーマ
とするブースを開きプレゼンをしました。
また一緒に来た仲間が
「川越ブランド骨酒パック」
「持続可能な観光」
「川越市のホテルの観光戦略」と銘打って
それぞれのブースで
川越と観光に関してアピールしました。
旭川グランドホテルにて
左から:木所勝邦。吉田徹枇。枇杷木賢生。石井昭三。桑原政則 /2008年
木村
旭川は初めてですか?
どういうイメージを持っていましたか。
桑原
北海道の中央に位置し、西は日本海、北のオホーツク、
南の太平洋で揚がる魚が集積し、
「おいしい魚が食べられるところ、陸の港」と
聞いてきました。
2日間、いろいろいただきましたが、
シャケやカニに、
舌鼓をうちました。美味、美味。おいしかったですね。
木村
川越市について勉強不足で申し訳ありませんが、
埼玉県の主要都市で観光地として有名といった知識しか
持ち合わせていないのですが、
どのようなまちなのですか。
桑原
川越は食べ物ではイモ、イモ料理が有名です。
「栗よりうまい十三里」という言葉があります。
これは 「栗=九里」 と、「より=四里」を足して十三里、
江戸から十三里離れた川越のイモを称えたものです。
訪れた観光客を飽きさせない、
何度行っても
新しい見どころがあるようにと、
眠っていた観光資源を再生させ、
こうした近隣市町村と連携して観光地域を拡大して
いかなければならないと考えています。
また、そこの地にゆかりのある人物を知ると、土地への興味も
さらに増します。
太田道灌、春日局、島崎藤村、徳川家光、源義経など
川越にかかわりのある偉人は数多く、
それらの足跡をたどるコースづくりも必要だと思います。
高齢化の影響で庶民的な芸能が
再認識されつつあります。
川越には「湯遊ランド」という施設があり股旅物や
歌謡ショーが365日催され
大衆演劇ファンをひきつけています。
大衆文化コースというのも考えられますね。
木村
こちらでも、富良野エリアと連携を図るなど広域的な
取り組みを強化しています。
あと、確かにゆかりの人物を知る、業績を伝える施設
というのは大事ですね。
有効な観光スポットにもなりますね。
ただ、北海道の場合、歴史が浅く、
その点では川越がうらやましく感じます。
桑原
こちら(ラーメン村)にうかがう前に、
北鎮(ほくちん)記念館に
木村
歴史教育観光ですか。
"資源"は旭川にもあるのですね。
桑原先生らの考え方や活動を参考にしてもっと
旭川も頑張らなければだめですね。
これを機会に旭川と川越の交流も深めていきたいですね。
桑原
今回、西川将人市長や扇松園の高橋仁美女将とも話す
機会がありまして
2つの市の交流を進めましょうということを話し合いました。
観光とは「光(よいところ)を観せる」ことです。
光とは住民の笑顔です。川越にはそれがあります。
旭川はどうでしょうか?
もっともっと、スマイルがあれば、観光客はさらにほほえんでくれると思います。
●桑原政則 くわばらまさのり
1940年(昭和15年)生まれ。東京外国語大学大学院を経て
京都大学東南アジアセンター派遣留学生として
タイを中心とした東南アジアの研究に従事。チュラロンコン大学客員教授。
東京国際大学人間社会学部教授を経て、NPO武蔵観研会長。小江戸川越観光親善大使
旭川市は、やり投げ金メダルの北口ハルカ に湧いています。
https://kuwabara03.blogspot.com/2024/08/20240812-pg.html
NPO法人武蔵観研がうぶ声を上げたのは、旭川市でひらかれた「観光情報学会」です。
思い出の旭川市をしのびつつ<観光談義>をくり広げます。
https://kuwabara03.blogspot.com/2024/08/20240812-pg.html
NPO法人武蔵観研がうぶ声を上げたのは、旭川市でひらかれた「観光情報学会」です。
思い出の旭川市をしのびつつ<観光談義>をくり広げます。
「旭川観光のパワーアップは小江戸・川越に学べ」 『北海道経済』2008年7月号 |
・・・・・・・・・・・
人口34万人、
商工業都市で中核市、
耕地面積上位の農業都市などなど
旭川市と共通点の多い埼玉県川越市。
しかし観光地としてのパワーには大きな差がある。
旭川観光に足りないものはなにか。
『第五回観光情報学会 全国大会in 旭川』出席の後、
旭川を代表する観光スポット・
あさひかわラーメン村に
足を運んだ武蔵観研(川越奥武蔵観光情報学研究会主査)の
人口34万人、
商工業都市で中核市、
耕地面積上位の農業都市などなど
旭川市と共通点の多い埼玉県川越市。
しかし観光地としてのパワーには大きな差がある。
旭川観光に足りないものはなにか。
『第五回観光情報学会 全国大会in 旭川』出席の後、
旭川を代表する観光スポット・
あさひかわラーメン村に
足を運んだ武蔵観研(川越奥武蔵観光情報学研究会主査)の
桑原政則さんに、
㈱あさひかわラーメン村の木村政博社長が聞いた。
㈱あさひかわラーメン村の木村政博社長が聞いた。
・・・・・・・・・・・
常に、飽きさせない仕掛けを
木村
旭川市の大雪クリスタルホールで昨日まで行われていた
『観光情報学会全国大会』
(2008年5月28日と29日の2日間開催)では
川越の観光の取り組みなどを紹介されたそうですね、
ご苦労様でした。
桑原
はい、私は「埼玉県ときがわ町観光の可能性」をテーマ
とするブースを開きプレゼンをしました。
また一緒に来た仲間が
「川越ブランド骨酒パック」
「持続可能な観光」
「川越市のホテルの観光戦略」と銘打って
それぞれのブースで
川越と観光に関してアピールしました。
旭川グランドホテルにて
左から:木所勝邦。吉田徹枇。枇杷木賢生。石井昭三。桑原政則 /2008年
木村
旭川は初めてですか?
どういうイメージを持っていましたか。
桑原
北海道の中央に位置し、西は日本海、北のオホーツク、
南の太平洋で揚がる魚が集積し、
「おいしい魚が食べられるところ、陸の港」と
聞いてきました。
2日間、いろいろいただきましたが、
シャケやカニに、
舌鼓をうちました。美味、美味。おいしかったですね。
木村
川越市について勉強不足で申し訳ありませんが、
埼玉県の主要都市で観光地として有名といった知識しか
持ち合わせていないのですが、
どのようなまちなのですか。
桑原
川越は食べ物ではイモ、イモ料理が有名です。
「栗よりうまい十三里」という言葉があります。
これは 「栗=九里」 と、「より=四里」を足して十三里、
江戸から十三里離れた川越のイモを称えたものです。
また、魚は今ひとつなんですが、
そのために逆に工夫してウナギがとてもおいしい。
ウナギ料理で知られています。
人口は34万人です。
江戸時代には新河岸(しんがし)川の舟運で
江戸と深く結ばれ城下町として栄え
「小江戸」と呼ばれました。
江戸の北の守りとして重視され、
歴代川越藩主は江戸幕府の重鎮が就任しました。
木村
人口は旭川とほぼ同じなのですね。
旭川は旭山動物園が有名になってここ数年、
観光客入り込みが伸びているのですが、
川越はそれ以上、非常に好調だと聞きますが、
実際はどうなのですか。
桑原
20年前の1989年にNHK大河『春日局』が放送され、
観光客が一挙に100万人ほど増えました。
春日局は徳川3代将軍家光の乳母です。
ドラマの舞台となって川越の知名度が
飛躍的にあがりました。
NHK大河ドラマの舞台となって一挙に観光客が
増えたまちは全国に数多くあります。
しかしその大半は数年後にブームが去っているのが
実情でしょう。
川越の場合はドラマが与えてくれた絶好の
チャンスを見事に生かし続けたのです。
そのために逆に工夫してウナギがとてもおいしい。
ウナギ料理で知られています。
人口は34万人です。
江戸時代には新河岸(しんがし)川の舟運で
江戸と深く結ばれ城下町として栄え
「小江戸」と呼ばれました。
江戸の北の守りとして重視され、
歴代川越藩主は江戸幕府の重鎮が就任しました。
木村
人口は旭川とほぼ同じなのですね。
旭川は旭山動物園が有名になってここ数年、
観光客入り込みが伸びているのですが、
川越はそれ以上、非常に好調だと聞きますが、
実際はどうなのですか。
桑原
20年前の1989年にNHK大河『春日局』が放送され、
観光客が一挙に100万人ほど増えました。
春日局は徳川3代将軍家光の乳母です。
ドラマの舞台となって川越の知名度が
飛躍的にあがりました。
NHK大河ドラマの舞台となって一挙に観光客が
増えたまちは全国に数多くあります。
しかしその大半は数年後にブームが去っているのが
実情でしょう。
川越の場合はドラマが与えてくれた絶好の
チャンスを見事に生かし続けたのです。
訪れた観光客を飽きさせない、
何度行っても
新しい見どころがあるようにと、
眠っていた観光資源を再生させ、
毎年のように新たなスポットを作り出していきました。
そういった仕掛けが常に必要です。
今は、鎌倉、日光と並び「関東の観光御三家」に
川越が数えられるようになっています。
今年は600万人を数えると思います。
来春のNHK朝ドラ「つばさ」で再び川越を
中心とする埼玉が舞台となる予定で、
川越市では2010年の
観光入り込み「1000万人」を目指しています。
桑原
こちらからも質問があるのですが、ここ、ラーメン村は年間、
何万人の方が利用するのですか。
木村
前年実績で64万人です。
1996年8月に「年間30万人」を目標に
開業しました。
旭川ラーメンブームに乗って初年度から目標を超えることが
でき年間50万人の利用がありました。
ここ数年は旭山動物園人気のお陰でさらに利用者は
増加傾向にあります。
桑原
地元の方の利用と観光客の比率というのは
どうなっていますか。
木村
最近は動物園入園の前後に訪れる海外観光客も
増えていて、この数字は把握できるのですが、
地元利用者や市外、また道外の方が
どの位かは推量するしかありません。
おおよそですが、地元の人と、外国人観光客を含む
地元以外の比率はフィフティ・フィフティ
だろうとととらえています。
桑原
地元に支持されるということは非常に大事ですね。
今後も地元のラーメンファンを大事にしていったら
よいと思いますね。
3年前におこなった川越市の調査では、川越を訪れる人は
圧倒的に関東エリアの人が多く
86%を占めているとの結果が出ています。
県別では地元埼玉が43%で、
東京の25%、神奈川の8%、千葉6%と続きます。
男性より女性が多く、
総じて近隣の50歳以上の女性に人気があります。
さきほどここでラーメンをいただきましたが、
絶妙、美味です。
コンパクトに8店がまとまっていて良い施設だと
思いました。
ただ残念なのは近くにほかの観光施設がなく、
年間60万人以上を集客しながら
「点」で終わっていることですね。
川越は「時の鐘」「喜多院」「蔵造りの町並み」「菓子屋横丁」
など多くの観光スポットが一つの線で
つながっています。
旭川の観光施設も1つの線でつながると
相乗効果が生まれもっと魅力が増すと思います。
先ほど平和通買物公園を見てきましたが、
日本最初の歩行者天国という格好の
うたい文句があるのに、
ちょっと寂しい感じがしましたね。
川越駅から北へ延びる商店街は
クレアモールといい
関東でも屈指のにぎわい。
平日でも2万人の買物客でごった返しています。
点から線への試みによってショッピングなどももっと賑わいを
取り戻せるのではないかと思いますが。
木村
川越の観光スポットは線でつながっているということですが、
距離的にはどのくらいなのでしょう。
施設と施設の間のアクセスは徒歩ですか、
バスなどを利用するのですか。
桑原
2キロほど隔たって次の施設があり、徒歩で回れます。
小江戸めぐり、七福神めぐりなどがありますが、
巡回バスで巡るルートも用意されています。
木村
観光客1000万人を掲げるなど川越はずいぶん
元気が良いようですが、
それでも課題はあるのでしょうね。
桑原
川越の観光の顔は、
一番街周辺の「蔵造りの町並み」です。
観光客はまわりの 時の鐘、菓子屋横丁、喜多院などに
集中します。
しかし外国人観光客は
町の中だけに関心があるのではなく、
たとえば韓国人なら日高市の高麗(こま)神社、
台湾人は坂戸市の聖天宮(せいてんきゅう)を
訪れたいと思っています。
そういった仕掛けが常に必要です。
今は、鎌倉、日光と並び「関東の観光御三家」に
川越が数えられるようになっています。
今年は600万人を数えると思います。
来春のNHK朝ドラ「つばさ」で再び川越を
中心とする埼玉が舞台となる予定で、
川越市では2010年の
観光入り込み「1000万人」を目指しています。
地元で支持されるのが大事
桑原
こちらからも質問があるのですが、ここ、ラーメン村は年間、
何万人の方が利用するのですか。
木村
前年実績で64万人です。
1996年8月に「年間30万人」を目標に
開業しました。
旭川ラーメンブームに乗って初年度から目標を超えることが
でき年間50万人の利用がありました。
ここ数年は旭山動物園人気のお陰でさらに利用者は
増加傾向にあります。
桑原
地元の方の利用と観光客の比率というのは
どうなっていますか。
木村
最近は動物園入園の前後に訪れる海外観光客も
増えていて、この数字は把握できるのですが、
地元利用者や市外、また道外の方が
どの位かは推量するしかありません。
おおよそですが、地元の人と、外国人観光客を含む
地元以外の比率はフィフティ・フィフティ
だろうとととらえています。
桑原
地元に支持されるということは非常に大事ですね。
今後も地元のラーメンファンを大事にしていったら
よいと思いますね。
3年前におこなった川越市の調査では、川越を訪れる人は
圧倒的に関東エリアの人が多く
86%を占めているとの結果が出ています。
県別では地元埼玉が43%で、
東京の25%、神奈川の8%、千葉6%と続きます。
男性より女性が多く、
総じて近隣の50歳以上の女性に人気があります。
さきほどここでラーメンをいただきましたが、
絶妙、美味です。
コンパクトに8店がまとまっていて良い施設だと
思いました。
ただ残念なのは近くにほかの観光施設がなく、
年間60万人以上を集客しながら
「点」で終わっていることですね。
川越は「時の鐘」「喜多院」「蔵造りの町並み」「菓子屋横丁」
など多くの観光スポットが一つの線で
つながっています。
旭川の観光施設も1つの線でつながると
相乗効果が生まれもっと魅力が増すと思います。
先ほど平和通買物公園を見てきましたが、
日本最初の歩行者天国という格好の
うたい文句があるのに、
ちょっと寂しい感じがしましたね。
川越駅から北へ延びる商店街は
クレアモールといい
関東でも屈指のにぎわい。
平日でも2万人の買物客でごった返しています。
点から線への試みによってショッピングなどももっと賑わいを
取り戻せるのではないかと思いますが。
北鎮(ほくちん)、自然、人物館などのコースでアピール
木村
川越の観光スポットは線でつながっているということですが、
距離的にはどのくらいなのでしょう。
施設と施設の間のアクセスは徒歩ですか、
バスなどを利用するのですか。
桑原
2キロほど隔たって次の施設があり、徒歩で回れます。
小江戸めぐり、七福神めぐりなどがありますが、
巡回バスで巡るルートも用意されています。
木村
観光客1000万人を掲げるなど川越はずいぶん
元気が良いようですが、
それでも課題はあるのでしょうね。
桑原
川越の観光の顔は、
一番街周辺の「蔵造りの町並み」です。
観光客はまわりの 時の鐘、菓子屋横丁、喜多院などに
集中します。
しかし外国人観光客は
町の中だけに関心があるのではなく、
たとえば韓国人なら日高市の高麗(こま)神社、
台湾人は坂戸市の聖天宮(せいてんきゅう)を
訪れたいと思っています。
こうした近隣市町村と連携して観光地域を拡大して
いかなければならないと考えています。
また、そこの地にゆかりのある人物を知ると、土地への興味も
さらに増します。
太田道灌、春日局、島崎藤村、徳川家光、源義経など
川越にかかわりのある偉人は数多く、
それらの足跡をたどるコースづくりも必要だと思います。
高齢化の影響で庶民的な芸能が
再認識されつつあります。
川越には「湯遊ランド」という施設があり股旅物や
歌謡ショーが365日催され
大衆演劇ファンをひきつけています。
大衆文化コースというのも考えられますね。
木村
こちらでも、富良野エリアと連携を図るなど広域的な
取り組みを強化しています。
あと、確かにゆかりの人物を知る、業績を伝える施設
というのは大事ですね。
有効な観光スポットにもなりますね。
ただ、北海道の場合、歴史が浅く、
その点では川越がうらやましく感じます。
桑原
こちら(ラーメン村)にうかがう前に、
北鎮(ほくちん)記念館に
寄りましたが、資料がとても充実して素晴らしかったです。
旭川兵村(へいそん)記念館もありますよね。
本州に比べて歴史が浅いとはいえ、屯田兵以降、
開拓の歴史、「第七師団」の果たしてきた役割などを
伝える施設はあるのですから、
そういう施設をもっとアピールする、
いうなれば「歴史教育観光」に力を入れていったら
よいと思いますよ。
旭山動物園には学生さんがたくさん訪れると聞いています。
それに北鎮記念館や兵村記念館を歴史教育観光として
組み合わせてコースとすればよいのではないでしょうか。
さらに、スタルヒン球場、男山自然公園、野草園、上野ファーム などの自然とかかわる施設も有望です。
旭川兵村(へいそん)記念館もありますよね。
本州に比べて歴史が浅いとはいえ、屯田兵以降、
開拓の歴史、「第七師団」の果たしてきた役割などを
伝える施設はあるのですから、
そういう施設をもっとアピールする、
いうなれば「歴史教育観光」に力を入れていったら
よいと思いますよ。
旭山動物園には学生さんがたくさん訪れると聞いています。
それに北鎮記念館や兵村記念館を歴史教育観光として
組み合わせてコースとすればよいのではないでしょうか。
さらに、スタルヒン球場、男山自然公園、野草園、上野ファーム などの自然とかかわる施設も有望です。
若者、ばか者、よそ者のパワーと知恵も活用
木村
歴史教育観光ですか。
"資源"は旭川にもあるのですね。
桑原先生らの考え方や活動を参考にしてもっと
旭川も頑張らなければだめですね。
これを機会に旭川と川越の交流も深めていきたいですね。
桑原
今回、西川将人市長や扇松園の高橋仁美女将とも話す
機会がありまして
2つの市の交流を進めましょうということを話し合いました。
観光とは「光(よいところ)を観せる」ことです。
光とは住民の笑顔です。川越にはそれがあります。
旭川はどうでしょうか?
もっともっと、スマイルがあれば、観光客はさらにほほえんでくれると思います。
さらに「観光客にはなしかけること」も必要です。
よく「観光は若者、ばか者、よそ者がつくる」といいます。
お互いに街が元気になるように ツトメましょう )^o^(。
*一部追加訂正済み。
よく「観光は若者、ばか者、よそ者がつくる」といいます。
「若者」は、エネルギーがいつの時代でも大きな推進力です。
「ばか者」は、寝食を忘れものごとに真剣に打ち込みます。
「よそ者」は、地元民の気付かない視点で良さを発見できます。お互いに街が元気になるように ツトメましょう )^o^(。
*一部追加訂正済み。
旭川は3方の海から 日本海・オホーツク海・太平洋の三つの海から、おいしい魚があつまります。 |
旭川市 北海道のほぼ中央 大雪山の懐に抱かれた雄大な自然と旭山動物園 札幌市に 次ぐ人口を誇る中核市 旭川動物園と旭川ラーメン 全国一地震発生率が低い |
●桑原政則 くわばらまさのり
1940年(昭和15年)生まれ。東京外国語大学大学院を経て
京都大学東南アジアセンター派遣留学生として
タイを中心とした東南アジアの研究に従事。チュラロンコン大学客員教授。
東京国際大学人間社会学部教授を経て、NPO武蔵観研会長。小江戸川越観光親善大使
木所勝邦「川越市のホテルの観光戦略」 『第五回観光情報学会 全国大会in 旭川』2008年 |
桑原政則「埼玉県ときがわ町観光の可能性」 『第五回観光情報学会 全国大会in 旭川』2008年 |
川奥観研 比企観光視察、埼玉新聞2008年6月19日
「歴史・自然紹介しよう 比企観光視察」埼玉新聞、2008年6月19日
比企の歴史や豊かな自然を多くの人に知ってもらおうと比企地方の観光をテーマにした県川越比企地域振興センター東松山事務所主催の「比企地域観光視察」が十三日、関係者を集めて行われ、比企地方の名所や史跡を巡った。
同地域を視察したのは、同東松山事務所や小川町産業観光課職員と研究者らのNPO法人川越奥武蔵観光情報学研究会(桑原政則会長)ら。
一行はまず、嵐山町にある県立嵐山史跡の博物館で元同博物館長の梅沢太久夫さんから比企の中世史の説明を受け、マイクロバスで出発。
梅沢さんを案内役に、大蔵館をはじめ鎌倉街道跡、嵐山渓谷、宇宙開発事業団地球観測センター、平和資料館、正法寺・巖殿観音、吉見百穴、吉見観音、いちごの里よしみ、松山城跡、小川町の埼玉伝統工芸会館、花和楽(かわら)の湯などを見て回った。
梅沢さんは、名所の歴史を解説。
「寄居の鉢形城や松山城、菅谷館など比企を中心とする一帯は、中世の館跡や山城の宝庫。
ようやく『比企城館跡群』として国指定史跡になったが、まだ、緒についたばかり。
これだけ貴重な史跡を群としてみられるのは珍しい。
もっと整備を進め、多くの人に知ってもらいたい」
と熱っぽく保存と整備を訴えた。
参加者から「地元の人はあまり関心がないが、なだらかな丘陵と里山風景は財産」
「行政単位で行っているブツブツと分かれた観光施策では、対応が難しい」
「民間主導で、まず良さを分かってもらうアイデアを集めたら」などの意見が出されていた。
新井勝己・東松山事務所長は「来年は、川越がNHK連続ドラマの舞台になるが、
観光客の足を一歩伸ばしてもらう工夫を考え、比企地方の良さをアピールしたい。
観光を核に、地域振興のネットワークづくりにお役に立ちたい」と話していた。
桑原さんは「川越は江戸時代、比企地方は鎌倉・中世と、歴史観光コースを作り、川越との連携を図ったらどうか。それには比企地方の地域観光を一体化する必要がある」などと話していた。
歴史・自然紹介しよう 比企観光視察
川越は“江戸”、比企は“中世”ー。比企の歴史や豊かな自然を多くの人に知ってもらおうと比企地方の観光をテーマにした県川越比企地域振興センター東松山事務所主催の「比企地域観光視察」が十三日、関係者を集めて行われ、比企地方の名所や史跡を巡った。
同地域を視察したのは、同東松山事務所や小川町産業観光課職員と研究者らのNPO法人川越奥武蔵観光情報学研究会(桑原政則会長)ら。
一行はまず、嵐山町にある県立嵐山史跡の博物館で元同博物館長の梅沢太久夫さんから比企の中世史の説明を受け、マイクロバスで出発。
梅沢さんを案内役に、大蔵館をはじめ鎌倉街道跡、嵐山渓谷、宇宙開発事業団地球観測センター、平和資料館、正法寺・巖殿観音、吉見百穴、吉見観音、いちごの里よしみ、松山城跡、小川町の埼玉伝統工芸会館、花和楽(かわら)の湯などを見て回った。
梅沢さんは、名所の歴史を解説。
「寄居の鉢形城や松山城、菅谷館など比企を中心とする一帯は、中世の館跡や山城の宝庫。
ようやく『比企城館跡群』として国指定史跡になったが、まだ、緒についたばかり。
これだけ貴重な史跡を群としてみられるのは珍しい。
もっと整備を進め、多くの人に知ってもらいたい」
と熱っぽく保存と整備を訴えた。
参加者から「地元の人はあまり関心がないが、なだらかな丘陵と里山風景は財産」
「行政単位で行っているブツブツと分かれた観光施策では、対応が難しい」
「民間主導で、まず良さを分かってもらうアイデアを集めたら」などの意見が出されていた。
新井勝己・東松山事務所長は「来年は、川越がNHK連続ドラマの舞台になるが、
観光客の足を一歩伸ばしてもらう工夫を考え、比企地方の良さをアピールしたい。
観光を核に、地域振興のネットワークづくりにお役に立ちたい」と話していた。
桑原さんは「川越は江戸時代、比企地方は鎌倉・中世と、歴史観光コースを作り、川越との連携を図ったらどうか。それには比企地方の地域観光を一体化する必要がある」などと話していた。
川奥観研 再生事業に名乗り 埼玉新聞、2008年5月29日
再生事業に名乗り NPOなど7団体提案 ときがわ町
観光集客でバス運行
観光集客で地域の足を確保しながら山林と河川の維持回復をしよう-と、ときがわ町のNPOと川越の観光研究団体らが、同町の推薦を受け、総務省・地方の元気再生事業に手を挙げた。
提案が認められば、バスIC周遊クーポン実験や観光・産業分野の人材育成、エコツーリズム等資源活用実験など幅広い実験に取り掛かれるという。(山本豊美)
名付けて「奥武蔵ときがわ山里元気再生プロジェクト」。
提案者は、同町のほかNPOときがわ山里文化研究所、川越奥武蔵観光情報学研究会、東京国際大学人間社会学部桑原政則研究室ら計七団体。
都市と山里の交流人口を増やし、地域振興と生活利便性を向上させるのが目的だ。
生活交通手段であるバス運行を観光客がバックアップする態勢を模索する。
外国人観光客にも利用しやすい環境整備も研究したいという。
比企地方は、伝統と多くの文化遺産、豊かな自然景観がある。
しかしこの間、人口減少と高齢化が進み、森林の間伐不整備、水の保全などの課題を抱えている。
観光施設も充実してきているものの、多くは川越どまりで比企地方まで足を伸ばす人はまだ少ない。
貴重な足となる町営バスは、川越のイーグルバスに委託しているが生活交通手段のため観光客には使いづらい。
谷島賢イーグルバス社長は「町内の観光資源を結ぶ周遊観光バスとしても活用できないか、大いに研究する価値はある。
実現すれば力を出したい」と実証実験に乗り気だ。
元気再生事業は二カ年。
審査の結果発表は八月。
申請の予算規模は平成20年度約三千四百九十五万円を見込んだ。
認められれば今年度、地域顧客の把握と周遊券などの実証実験を実施。
来年度から本格展開に向けたイベントや観光ボランティアの育成などに取り組みたいとしている。
提案をまとめた桑原政則教授は「比企地方は、東京にこんなに近いにもかかわらず自然豊かで伝統文化が息づき、日本の原風景を維持しているまれな里山です。
多くの人がその価値に気づき、態勢を整えられればアジアをはじめ世界各国からのお客さんも迎えられる地域です」という。
同町の久保均企画財政課長は「皆さんのアイデアや力が町の発展につながればうれしい」。
慈光寺の清掃ボランティアなどで活躍しているときがわ山里文化研究所の柴崎光生理事長は「慈光寺には国宝が眠っている。地域文化・歴史を説明できるボランティアを育成し価値を広くアピールできれば…」と、八月の総務省の判断に期待を寄せている。
・・・・・・・・・・・
慈光寺の住職 |
「川越奥武蔵観光情報学研究会発足」東上沿線新聞、2008年4月号
「川越奥武蔵観光情報学研究会発足」東上沿線新聞、2008年4月号
川越・奥武蔵観光情報学研究会
10月18日(土)にシンポジウム
川越奥武蔵観光情報学研究会(川奥観研)は、観光と情報について意欲をもつ実務者と研究者が集まり、共に活動する輪を作り、社会貢献することを目的に07年9月に設立されました。
関東圏で初の観光情報学会(全国組織)公認の研究会です。
観光産業は、観光客、観光業者、行政、観光資源、住民からなります。
これらの要素は密接に連関しているにもかかわらず、「情報」という視点が抜け落ちているために、個々の要素間の連携が密でなく、熱意が空回りしているのが現状です。
また観光ルートは市町村単位でまとまりがちで、広域行政圏を横断する情報、人間のネットワークが不足しています。
観光情報学とは、観光分野にITやクチコミを適用した観光ビジネスの創出、地域観光情報の収集分析などを通じ、日本の観光を根底から整備することをめざしている学問です。
川奥観研の対象地域は、川越近辺以北の東上線沿線市町村です。
例会は、毎月第3火曜日の6時半~8時で、講師および会員によるスピーチがあります。
そのあと骨酒(こつざけ)の会に移り、ここでなごやかな人間関係を醸成します。
場所は、湯遊ランド・ホテル三光の4階会議室(川越市新富町)です。
10月18日(土)の川越まつりの日に、シンポジウムを湯遊ランド・ホテル三光で開催します。
観光まちづくりおよび人間の輪づくりに関心のある元気な人の参加を歓迎しています。
(『東上沿線物語』第十二号)
*一部訂正
川越・奥武蔵観光情報学研究会
10月18日(土)にシンポジウム
川越奥武蔵観光情報学研究会(川奥観研)は、観光と情報について意欲をもつ実務者と研究者が集まり、共に活動する輪を作り、社会貢献することを目的に07年9月に設立されました。
関東圏で初の観光情報学会(全国組織)公認の研究会です。
観光産業は、観光客、観光業者、行政、観光資源、住民からなります。
これらの要素は密接に連関しているにもかかわらず、「情報」という視点が抜け落ちているために、個々の要素間の連携が密でなく、熱意が空回りしているのが現状です。
また観光ルートは市町村単位でまとまりがちで、広域行政圏を横断する情報、人間のネットワークが不足しています。
観光情報学とは、観光分野にITやクチコミを適用した観光ビジネスの創出、地域観光情報の収集分析などを通じ、日本の観光を根底から整備することをめざしている学問です。
川奥観研の対象地域は、川越近辺以北の東上線沿線市町村です。
例会は、毎月第3火曜日の6時半~8時で、講師および会員によるスピーチがあります。
そのあと骨酒(こつざけ)の会に移り、ここでなごやかな人間関係を醸成します。
場所は、湯遊ランド・ホテル三光の4階会議室(川越市新富町)です。
10月18日(土)の川越まつりの日に、シンポジウムを湯遊ランド・ホテル三光で開催します。
観光まちづくりおよび人間の輪づくりに関心のある元気な人の参加を歓迎しています。
(『東上沿線物語』第十二号)
*一部訂正
蓮馨寺には、家康からの歴代将軍の位牌が安置
蓮馨寺には、家康からの歴代将軍の位牌が安置
家康からの歴代の徳川家の位牌、一部 |
蓮馨寺(れんけいじ)は、徳川家康により、関東18壇林(僧侶養成大学)のひとつに定められました。
葵の紋所が許され、威勢をふるいました。
川越の殿様でも、旗、槍をたおし目礼してから、蓮馨寺の門前を通りました。
蓮馨寺の初代住職の感誉存貞(かんよぞんてい)は、 のちに大本山・増上寺の第10代法主になりました。
蓮馨寺には、歴代の徳川将軍の位牌が安置されています。
明治までは、川越織物市場跡あたりまで蓮馨寺の敷地でした。
蓮馨寺の守り神の熊野神社も敷地内でした。
昭和の初期に中央通り建設のために、境内の一部を上納しました。
葵の紋所が許され、威勢をふるいました。
川越の殿様でも、旗、槍をたおし目礼してから、蓮馨寺の門前を通りました。
蓮馨寺の初代住職の感誉存貞(かんよぞんてい)は、
蓮馨寺には、歴代の徳川将軍の位牌が安置されています。
明治までは、川越織物市場跡あたりまで蓮馨寺の敷地でした。
蓮馨寺の守り神の熊野神社も敷地内でした。
昭和の初期に中央通り建設のために、境内の一部を上納しました。
浄土宗を開いた法然が晩年をすごした知恩院の集会堂(しゅうえどう)には、
蓮馨寺由来の阿弥陀仏が鎮座しています。
蓮馨寺は、徳川の江戸城、芝の増上寺、 京都の知恩院とつながっていて、多くの物語に富んでいます。
【追】
豊臣秀吉の朱印状や徳川家康の書状も所蔵されています。
蓮馨寺は、徳川の江戸城、芝の増上寺、
【追】
豊臣秀吉の朱印状や徳川家康の書状も所蔵されています。
draft event
@@@市長のつどい 秘書課 観光課
【cf.】市民フォーラム
対話集会のようなもの 予定質問+自由質問
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
@@@北条5代シンポジウム * 2014/02/13 ナカバヤシ局長
蓮馨寺講堂
小田原 鈴廣 会長 観光協会会長 女性 風魔
川越夜戦
5/3 小田原北条まつり
北条:身内の争いなし
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
@@@広域シンポ
高麗神社
徳川関係
@@@
横浜 川越のお陰で生糸などの貿易 相互運転
ペリー黒船130年
横須賀市 陣屋<川越藩
会津 川越 彦根 忍
【cf.】市民フォーラム
対話集会のようなもの 予定質問+自由質問
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@@@北条5代シンポジウム * 2014/02/13 ナカバヤシ局長
蓮馨寺講堂
小田原 鈴廣 会長 観光協会会長 女性 風魔
川越夜戦
5/3 小田原北条まつり
北条:身内の争いなし
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@@@広域シンポ
高麗神社
徳川関係
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横浜 川越のお陰で生糸などの貿易 相互運転
ペリー黒船130年
横須賀市 陣屋<川越藩
会津 川越 彦根 忍
観光断章10項目 感謝とご挨拶に代えて 桑原政則
桑原政則
観光断章10項目 感謝とご挨拶に代えて
2008年11月22日「いい夫婦の日」にお運びくださいまして、ありがとうございます。
22団体から後援をいただき第1回の川奥観研シンポジウムを開催します。
川奥観研は、「情報による観光の振興」をモットーにした、観光、地域づくり、人のつながりに関心をもつ者の研究会です。開催にいたるまでに多くの方々から ご協力をいただき感謝いたしております。
1.
このシンポジウムは、川奥観研の手作りの発表会です。
スピーカー、発表者は、すべてメンバー、地元の方々からなります。外部から有名人や専門家をお招きしていません。自分たちの成長のため、地域の力をつける ために、あえて手作りにこだわりました。
2.
今日は、おそらく全国の学会、研究会で初の試みであるネットからのプレゼンをいたします。
プレゼンの資料はコンピュータにはなく、空中にあります。
いわばお金を自宅の金庫にしまうのから、銀行、郵便局へ預けるようなものです。
時代はあらゆるデータを空中に保管し、それを取り出して使うようになってきています(=クラウド・コンピューティング)。いずれ、これをおこなう団体、企 業が時代を先取りすることになります。
3.
2009年はNHKの春ドラ「つばさ」で、観光客がふえます。
しかし、かえって迷惑のところもあります。お寺さんがその代表です。
法事の最中にグループで観光にワイワイ訪れたり、ゴミなどを放置したりしますが、
おさい銭などにはほとんど寄与しません。
地域の大事な観光資源である寺閣へのなんらかのバックアップの必要があります。
4.
「つばさ」のあとの観光客減少対策を講じておく必要があります。これからの時代の観光は、「リピーター(既存客)の確保」が命題です。来訪者を離反顧客に しないためには、観光スポットを拡大するのも一法です。
マチナカ→ 川越市全域(「花と緑のぶらぶら散歩」)→ 川越都市圏7市町(「レインボー観光圏」)→ 川越地域・奥武蔵観光圏→ …
5.
観光力を向上するには、地域ブランド産品をふやすことも必要です。
この研究会の石井昭三副会長 の「骨酒パック」は、昨年「小江戸川越ブランド産品」に認定されました。今年は「彩の国優良ブランド品」に認定されました。多くの方、企業がこれに続け ば、埼玉の品格、魅力、観光力はさらに増すことになるでしょう。外国人にとって、日本の魅力は、「ショッピング」が1位です。2位は「伝統文化」です。
6.
先週観光情報学会の会合で金沢へ行ってきましたが、埼玉県の認知度は低いです。
まして「彩の国」では通じません。彩の国ではなく、堂々と「埼玉県」をもっと露出したほうがよろしいようです。「川奥観研」も「埼玉観研」へ改称手続き中 です(*)。
7.
埼玉県では、ホームページをまだもってない企業団体があります。広報が必要です。川奥観研は、ホームページの新設、質的向上のお手伝いをしたいと思ってい ます。金沢の研究会で、中国人大学院生は「中国人の9割以上はホームページを閲覧してから訪日する」と発表していました。都道府県別観光力ランキングで は、埼玉県は41位です。しかし埼玉県は「伝統的な古い日本は東京に近い埼玉にある」との趣旨のもとに「True Japan」という英語版のホームページで外国人にアピールしはじめました。埼玉観光が飛躍しはじめました。
8.
「埼玉」、「川越」の商標登録を中国でもおこなう必要があります。
でないと、中国産のうどんやウナギを「埼玉饂飩」、「川越鰻」と名付けて世界中で販売することができます。31道府県が府県名を商標登録していますが、埼 玉県はまだしていないようです。
9.
着地情報のデータ化が必要です。
ベンチマークにより独自のデータを作り上げ、量の拡大よりも質の向上をはかることが重要です。観光も科学の時代です。
10.
観光客が求めるのは、物よりもまちの人のやさしい笑顔です。
地域の人が、手をつなぎ、交流会などで笑顔で声をかけあう関係を幾重にもつくりあげ、地域の風通しをよくすれば、まちは魅力的に明るくなります。観光は笑 顔づくり、地域づくりの主要な手段です。
【*】
1.川奥観研は、埼玉県で初めての観光NPO法人です。
2.川奥観研は、関東圏で初の観光情報学会(全国組織)認定の研究会です。
3.川奥観研は、2010年観光情報学会の全国大会を開きます。
4.川奥観研は、規模を拡大のため「埼玉観研」へ改称申請中です。
5.川奥観研では、週1回通信をお送りしています。「通信を送ってください」とメールをおねがいします。
2008年シンポジウム挨拶集
蓮馨寺日鑑(れんけいじ にっかん)が刊行される。県指定有形文化財。川越のまだ知られざる事柄も
蓮馨寺日鑑(れんけいじ にっかん)が刊行される。県指定有形文化財。川越のまだ知られざる事柄も
粂原恒久、宇高良哲編『蓮馨寺日鑑』 平成26年(2014年)8月8日 全部で4巻になる見込みです。 |
解読中の『蓮馨寺日鑑』 |
1851年- 1854年の日鑑 |
『蓮馨寺日鑑』の中身。解読作業中 |
『蓮馨寺日鑑(れんけいじにっかん)』70冊が、2008年埼玉県指定有形文化財に指定されました。
日鑑とは、公用の日記のことです。
1714年から1866年の150年間にかけて記されました。
増上寺、川越藩、幕府、門前町との関係の記録、祭礼の記録、訴訟、嘆願の記録などが納められています。
埼玉県を代表する寺院日鑑です。
川越のまだ知られざる事柄が明かされることになるでしょう。
蓮馨寺は、徳川家康と浄土宗・増上寺の源誉存応(げんよぞんのう、蓮馨寺出身)上人によって、関東18壇林(僧侶養成大学)のひとつに定められました。
蓮馨寺案内
◇ ◆ ◇
蓮馨寺(れんけいじ)の桜。2010年4月 |
井沢元彦: 『古今和歌集』は紀貫之たちの鎮魂のため <読書メモ
905年に成立した『古今和歌集』は、最初の勅撰和歌集です。
勅撰和歌集とは、天皇の命により編集された和歌集のことです。
選者は、紀貫之、紀友則などです。
紀の一族は、藤原氏に追い落とされました。
その怨念封じの意味が『古今和歌集』には込められています。
紀貫之は六歌仙を歌の名人として持ち上げました。
僧正遍昭
在原業平
文屋康秀
喜撰法師
小野小町
大友黒主
これらの人々は、紀氏や紀氏と関係が深い惟喬(これたか)親王と深い関係にありました。
惟喬(これたか)親王は、天皇になるはずでしたが、藤原氏に邪魔されてなれずに終わりました。惟喬親王は、藤原氏に怨念をいだいてなくなりました。
藤原氏は、惟喬親王の怨霊鎮魂のために紀氏に『古今和歌集』の編集を託したのだと考えられます。
僧正遍昭(そうじょうへんじょう)や大友黒主(おおとものくろぬし)のような歌仙に値しない人が選ばれているのはそのためです。
古今和歌集
六歌仙
井沢元彦
勅撰和歌集とは、天皇の命により編集された和歌集のことです。
選者は、紀貫之、紀友則などです。
紀の一族は、藤原氏に追い落とされました。
その怨念封じの意味が『古今和歌集』には込められています。
紀貫之は六歌仙を歌の名人として持ち上げました。
僧正遍昭
在原業平
文屋康秀
喜撰法師
小野小町
大友黒主
これらの人々は、紀氏や紀氏と関係が深い惟喬(これたか)親王と深い関係にありました。
惟喬(これたか)親王は、天皇になるはずでしたが、藤原氏に邪魔されてなれずに終わりました。惟喬親王は、藤原氏に怨念をいだいてなくなりました。
藤原氏は、惟喬親王の怨霊鎮魂のために紀氏に『古今和歌集』の編集を託したのだと考えられます。
僧正遍昭(そうじょうへんじょう)や大友黒主(おおとものくろぬし)のような歌仙に値しない人が選ばれているのはそのためです。
古今和歌集
六歌仙
井沢元彦