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定印(じょういん)は「心静かに」

定印(じょういん)で瞑想する釈迦如来。喜多院五百羅漢内

定印のお釈迦様
http://www.daihorin-kaku.com/buddhism/

  • お釈迦さんは、菩提樹の下で瞑想をしていたとき、ももの上に両手を重ねていました。
    この手の形を定印(じょういん)といいます。
  • 定印により、心が落ち着きます。
    深呼吸をすると、さらに心が静まります。
  • 定印は座禅を組むときによく使います。

お釈迦さんの手は水かき


http://blog.mangyoji.com/
  • お釈迦さんの手には、水かきがついいているのがあります。
    これは悟りを開いたことを意味しています。
  • 誰ひとりこぼれ落ちないように、「みんなを救いますよ」ということをあらわしています。
  • お釈迦様の入滅後(なくなったあと)56億7千万後に、弥勒菩薩が如来となって人々を救いにやってきます。
    その間、お地蔵さんや観音さんが人々を救います。

釈迦(しゃか)。仏教を開く。紀元前500年半ばの人。4月8日が誕生日、花まつり

 釈迦(しゃか)。仏教の開祖。紀元前500年半ばの人。4月8日が誕生日、花まつり

ブッダ像 サルナート博物館

・シャカ(釈迦)。仏陀(Buddha。ブッダ)。ゴータマ=シッダールタ
・前565 ?- 前465 ? 北インド(ネパール)  4月8日が誕生日と、される

シャカ(釈迦)は、仏陀(Buddha。ブッダ)と尊称されます。
 「目覚めた人」のことです。

仏教とは、仏(ほとけ。ブッダ)の教えということです。

仏(ほとけ)さま、お釈迦さんは、紀元前500年半ばの人です。
北インドで生まれました。

菩提樹の釈迦

29歳から35歳まで、
菩提樹(ぼだいじゅ)の下で苦行(くぎょう)を続けました。

苦行を達成し、
欲も見えもなくなくなったときの姿が、
仏像のモデルです。
服装もシンプルです。

右手「大丈夫ですよ」
左手「願いをかなえますよ」

右手を胸の前で開いています。
「こわくないです。大丈夫ですよ」というポーズです。

左手を手のひら閉じてを上にしています。
すくい取ります。
「願いをかなえますよ」という意味です。


【1分ビデオ】東寺の五重塔

※五重塔(ごじゅうのとう
五重の屋根をもつ塔。
仏舎利(ぶっしゃり、シャカの遺骨いこつ)を安置するための塔。
法隆寺のものがわが国最古。
京都の東寺(とうじ)のは57mで最高。



阿弥陀 如来
あの世で、人々を救う仏さん


※ 世界の4大聖人
釈迦、キリスト、孔子、ソクラテスを4聖といいます。

紀元前5世紀前後は、世界的規模で大きな社会変動が起きた時代です。

インドでは釈迦(前565 ?- 前465 ? )、
中国では孔子(前551頃~前479頃)、
ギリシアではソクラテス(前469頃~前399頃)です。
旧約聖書は紀元前4~5世紀に成立しました。 


仏陀の道 【+27】




釈迦の次は、56億7千万後に弥勒菩薩(みろくぼさつ)が救済 <寺社

釈迦の次は、56億7千万後に弥勒菩薩(みろくぼさつ)が救済 <寺社
(2010年3月12日改稿)


弥勒菩薩の半跏思惟蔵(はんかしいぞう)。京都の広隆寺
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/62/Maitreya_Koryuji.JPG




弥勒菩薩(みろくぼさつ)は、おシャカ様が入滅後(なくなったあと)、56億7千万後に1段上の如来(にょらい)になることが約束された菩薩(=修行者)です。


弥勒菩薩は、おシャカさまよりも先に仏になるはずでした。
しかし、ちょっとさぼったので、シャカが先に、仏になってしまいました。
そ れで、弥勒菩薩は、56億7千万年後に釈迦が救いそこなった人々を救うことになっています。

  • 56億7千万。
    インド人の時間概念のスケールの大きさ、あるいは時間概念のなさが思いやられます。
    インドには、哲学はあっても歴史はありません。

「ホトケになったら、どうやってみんなをすくおうかなー」と考えているのが、
半跏思惟蔵(はんかしいぞう)です。

脚をももに乗せることを「跏(か)」といいます。
手は、ほおにそっとそえるようにしています。
思惟手(しいしゅ)といいます。

  • 1960年京大生が弥勒菩薩にほおずりし、
    指をおってしまうという事件が起こりました。
    魅惑にとりつかれての無意識の行動だったようです。
    のちに弁護士になりました。

沖縄では、弥勒信仰が盛んです。
東方の海上のニライカナイに神々が住んでいます。
このニライカナイ思想に弥勒信仰がとりいれられました。

弥勒は年に一度、ニライカナイからやってきて豊穣をもたらします。
「ミルク神」とよびます。


菩薩は、如来になる前の修行者です。
地蔵菩薩、観音菩薩、弥勒菩薩などがあります。

おシャカ様は雲の上の存在ですが、
菩薩は人と共にあるので、
なじみ深い存在です。

    観音さんは、やさしさが魅力 <寺社


    http://www2.nct9.ne.jp/yamazaki/syokai/bosatu.htm
    • 浅草観音などの観音さんも、地蔵さんと同じく菩薩で、修行中の身です。
      阿弥陀如来の脇にひかえる脇侍(きょうじ)です。
    • 観自在菩薩は、自由「自在」に世の中の声を「観」ているように、聞いてくださるのでこの名があります。
    • 観音さんは、33の姿に変身し人々を救います。
      ここから33個所めぐりがはじまりました。
      33個所めぐりは、信仰であると共に、観光、いやしでもあります。
    • 菩薩は、ボーディ・サットヴァの音訳です。釈迦如来のような「如来になろうとしている者」、という意味です。
      ありがたさを示すために、仏教では、大切な用語は訳さずに、音を漢字であらわします。


    • 菩薩は、出家前の釈迦がモデルなので、はなやかないでたちをしています。
      釈迦は、王侯でした。

    群馬県の鬼押出しには寛永寺別院が <寺社

    (2009年7月11日。2010年4月18日改稿)
    アイスランドの火山噴火で、空路大混乱です。
    天明の飢饉にも、アイスランドの噴火が関係しています。


    鬼押出しの東叡山寛永寺別院の山門



    浅間山観音堂からのながめ


    寛永寺別院の浅間山観音堂

    • 群馬県吾妻郡嬬恋村の浅間高原にある鬼押出し園は、1783年(天明3年) の浅間山噴火によって生まれました。
      火口の鬼があばれ、岩を押し出した、というのが名前の由来です。

    • 東京上野の東叡山寛永寺の別院である浅間山観音堂が設置されています。
      寛永寺の別院はここだけです。

      • 「東叡山」という山号は、川越の喜多院から寛永寺に移されたものです。天海が喜多院と東叡山の貫首(住職)でした。

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    • 1783年には、青森県の岩木山と浅間山が噴火しました。
      噴煙のため日射量がへり、冷害となり農作物はとれず、「天明の大飢饉」が起こりました。
      50万人ともいわれる死者が出ました。
      農民は都市部へ逃げ出し、江戸、大阪では米屋の打ち壊し事件が頻発しました。

    • 同じ1783年には、アイスランドでも噴火が起こりました。
      北半球一体の日射量が減り、冷害をもたらしました。
      これが1789年のフランス革命を導いたといわれています。

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    • 川越喜多院の五百羅漢は、天明時代から50年をかけて建立されたものです。
      天明の大飢饉も意識して建立にはげんだことでしょう。


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    • ドライブルート


    賽(さい)の河原って?

    賽(さい)の河原って?

    草津温泉の「賽(さい)の河原」

    死んだ子供が行く三途 (さんず )の川の河原。


    ここで子供は父母の供養のために
    小石で塔をつくろうとするが、

    絶えず鬼にくずされます。

    賽の河原


    積みに積まれた小石の山とお地蔵さまにすがりつく幼児

    子供の守り神なので、赤ちゃん姿のお地蔵さん



    錫杖(しゃくじょう)と宝珠(ほうじゅ)

    この世とあの世の境に三途(さんず)の川が流れています。
    この河原を「賽の河原」とよびます。

    親に先立って死んだ子供は、親を悲しませる親不孝者です。
    賽の河原で、罰を受けます。

    子供は、うたいながら、石を積んで親のしあわせを祈ります。
    「ひとつ積んでは父のため、
    二つ積んでは母のため…」

    石を積んでも積んでも、
    鬼がくずし、
    子を責めさいなみます。


    最後にはお地蔵さんが助けにあらわれます。

    お地蔵さんだけが、地獄に落ちた子をも救います。

    錫杖(しゃくじょう)

    六道という六つの世界を錫杖(しゃくじょう。魔をはらう法具)をもって歩き続けます。

    錫(すず)のようにシャリン、シャリンと音が鳴ります。


    宝珠(ほうじゅ。願いがかなえてくれる珠)でみんなの願いをかなえます。


    お地蔵さまは、正式には「地蔵菩薩」といいます。

    菩薩(ぼさつ)であって、お釈迦様のような如来(にょらい)ではありません。

    菩薩は、釈迦如来のような如来になるための修行中の者です。

    修行のひとつに、「人助け」があります。

    人々と共に歩むので、なじみがあります。 

    江戸時代の時刻システム #3 「正午」って?



    お岩は「草木も眠る丑三つ時」に登場
    http://dottailor.jugem.jp/?cid=36

    • 江戸時代には、十二支でも時刻をあらわしました。
    • 正午とは、「正(まさ)に午 (ウマ)の刻」のことです。
    • 午前とは、「午の刻の前」のことです。
    • 「草木も眠る丑三つ時」とは、午前2時過ぎのことです。
      丑の刻とは午前1時から3時までの頃をいいます。
      その2時間を4つに分け、3番目という意味が丑三つ時です。

    江戸時代の時刻システム #2 「時そば」

    medic21.iza.ne.jp/blog/entry/842545/

    落語の「時そば」は、そばの勘定のごまかしをめぐるこっけい話です。
    四つ(22時)の次は、五つでなくて九つ(0時)になることによってこの物語は成り立っています。

    【物語】

    ある男が通りすがりの屋台のそば屋をよびとめます。
    そばを食べる前に「いや、実にいい箸だねー」と割りばしをほめます。
    そばを食べながら、うつわ、汁、麺、ちくわなどを、ほめてほめてほめあげます。
    男は16文の料金を出しながら、「落としちゃいけねえ、手え出してくれ」と1文ずつおそば屋のおやじの手にテンポよく乗せていきます。
    男「ひい、ふう、みい、よう、いつ、むう、なな、やあ、今なんどきでい?」
    そば屋「へい、九つでい」
    男「とお、じゅういち、じゅうに、じゅうさん、じゅうし、じゅうご、じゅうろく、ごちそうさま」と1文をごまかしてすぐ屋台を去ります。

    その手口をみていてえらく感心した男が、まねをしようと翌晩でかけます。
    食べ終わったまね男「ひい、ふう、みい、よう、いつ、むう、なな、やあ、なんどきでい?」
    そば屋「へい、四つでい」
    まね男「いつ、むう、なな、やあ、…」
    は・ら・い・す・ぎ

    【メモ:久しぶりにイーモバでノートブックから更新。中軽井沢の山中にもかかわらず通信状態良好。2009年6月28日】