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徳川家康が「元和偃武(げんな えんぶ)」で誇りある日本を準備 <天海コラム#8

 徳川家康が「元和偃武(げんな えんぶ)」で誇りある日本を準備

応仁の乱(1467)から大坂夏の陣(1615年)まで150年続いた軍事衝突を、

家康は「元和偃武(げんな えんぶ)」の宣言で終了に追い込みました。


「元和偃武」とは、あたらしい「元和の時代に、戦乱をやめる」ことでした。
武家諸法度(ぶけ しょはっと)という基本法が制定され、
幕府、朝廷、寺社ももめなくなり、国民も法に従い、近代社会への用意ができました。

アフガニスタンなどは、 いくつもの部族社会のままで、
政情不安が続いています。
国をまとめることは、一大事業です。

徳川家康のしかめ像
※ 浜松の三方ヶ原(みかたがはら)で武田信玄に破れたときのしかめっ面の画像。

明治になって、西欧と対等につきあえることができたのも、
徳川家康の「元和偃武(げんな えんぶ)」による日本の統一によること大です。

※ 感染症対策でも、
欧米の「自由を!私の民主主義を返せ!」とは、
日本は一線を画しています。
マスク、手洗い、3密回避で、日本は高い水準を維持しています。
江戸時代から、日本は 「きれい」が取りえです。


日本の生きる道は、観光立国の道です。

観光は、
    平和産業、
    防衛産業
でもあります。

「きれいな風景」
「明るいやさしい市民」
「清潔で犯罪のない国」は、
魅力的です。


日本は、ホテルのランクで言えば、安全清潔上品の「五つ星ホテル」です。


日本の広域観光の発展が、
楽しいあかるい世界をつくります。


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