武田信玄は、天下統一前に、無念にも、病没 <天海コラム#7

 武田信玄は、天下統一前に、無念にも、病没

流浪の学問僧 天海は、1571年35歳の時、さらに学習を続けるために比叡山への入山を試みました。

しかし、比叡山が織田信長により焼き打ちされ、果たせませんでした。

 

天海は、 明智光秀の世話で、比叡山の学僧らと共に、
武田信玄の元に
身を寄せます。

武田信玄は、民政を重んじた徳政の人、書物好きの文人でした。
また僧侶でもありました。

天海は、武田信玄の元で、天台宗について講義したりしました。
武田信玄は、天海より15歳年上で、
天台宗の権大僧正(ごんだいそうじょう。大僧正の次)でした。

徳川家康は、三方ヶ原の戦いで武田信玄に破れました。
しかし20歳以上年上の武田信玄に徳川家康は心酔します。


武田信玄 領 1568年 

武田信玄は、甲州、信州、駿河、上野(こうずけ)を領する天下一の有力者でした。

今川義元も上杉謙信も織田信長も消えたあとには、
武田信玄が上洛して幕府を再建するだろう、と衆目は見ていました。


しかし、武田信玄は、目的途上で病気のため53年の生涯を閉じます。
最後の勝利を得るためには、長生きが必要でした。

また、武田信玄は10年早く生まれすぎました。


今川義元    1519、1560、42年
武田信玄  1521、1573、53年
上杉謙信 1530、1578、49年
織田信長 1534、1582、49年 
天海  1536、1643、108年
豊臣秀吉 1537、1598、62年
徳川家康 1543、1616、74年
伊達政宗 1567、1636、70年

生没年 表  (作業メモ ※いずれ横棒グラフに)


0 件のコメント: