天海は、薬草にも通じていたので、家康の深い信任を得る 。天海コラム

 天海は薬草にも通じていたので、家康の深い信任を得る。天海コラム

天海

天海は薬草に通じていました。

医者や古老に効能を聞きながら、
自分に試しました。

薬物に通じることで、
天海はいっぱしの良医になっていきました。

天海が徳川家康の深い信任を得ることができたのは、
薬物の知識があったからです。


徳川家康は、
粗食を実行、
運動と気分転換を兼ねた「鷹狩り」を愛しました。

薬事書などもよく読み、薬草を栽培しました。

薬は自分で調合しました。

家康は、駿府城では、
4000坪の「駿府 御薬園(おやくえん)」で
薬草を栽培しました。

【※】徳川家康のゆかりの地は
生誕の岡崎、出世の浜松、大御所の静岡・駿府」
岡崎→浜松→静岡・駿府

駿府 とは駿河国の府中(今の県庁所在地)のことです。
徳川家康は29歳~45歳までの    
17年間を今川義元の浜松城ですごしました。



後年、3代 家光の時代には、東京の小石川に小石川御薬園(おやくえん)をつくりました。
世界でも有数の歴史を持つ植物園で、薬草の栽培や研究をおこなっていました。



※御薬園(おやくえん)

会津若松にも、御薬園(おやくえん)があります。

ノウゼンカズラ。橙色の美しい花をつけます。
御薬園の秩父宮勢津子妃の顕彰碑前にて。
会津若松市。2010年7月

秩父宮 勢津子。会津と朝廷のかけ橋 。Setsuko, Princess Chichibu。8月25日没

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