1571年 35歳の時、天海は、比叡山入山を試みます。
しかし、比叡山が織田信長により焼き打ちされ、果たせませんでした。
天海は、 明智光秀の世話で、比叡山の学僧らと共に、
武田信玄の元に身を寄せます。
武田信玄の領地 1568年 |
武田信玄は、戦争嫌いで、書物好きの文人でした。
民政を重んじた徳政の人でした。
このころ武田は、天下一の有力者でした。
天海は、武田信玄の元で、天台宗について講義したりしました。
武田信玄は、天海より15歳年上で、
僧侶(「信玄」)でもありました。
武田信玄 |
天海は、武家の出です。
三浦氏一族の蘆名(あしな)氏の生まれです。
戦乱で父を奪われ、11歳で出家します。
みずからの「山王一実神道(さんのう いちじつ しんとう)」により、
徳川家康を泰平浄土の神にする腹案をこのころ得ました。
東照大権現とは、
家康が東照という神となって
仮に(=権)この世にあらわれている姿ということです。
戦乱で父を奪われ、11歳で出家します。
天海は至るところで修行します。
戦乱の世にあって、剣の力ではなく仏法の力で、
泰平浄土を願いました。
泰平浄土を願いました。
しかし、仏法だけでは泰平は訪れませんでした。
みずからの「山王一実神道(さんのう いちじつ しんとう)」により、
徳川家康を泰平浄土の神にする腹案をこのころ得ました。
1616年徳川家康の死にあたっては、
徳川家康を東照大権現(とうしょう だいごんげん) にしました。
徳川家康を東照大権現(とうしょう だいごんげん) にしました。
権現とは、「仮に(権)、この世に現れている姿」のことです。
天海は、伊勢神宮の天照大神(あまてらす おおみかみ)を念頭に、
徳川家康が東国の天照(あまてらす)となることにし、
「東照大権現」にしました。
東照大権現とは、
家康が東照という神となって
仮に(=権)この世にあらわれている姿ということです。
こうして、世界でもまれな
260年のパクス・トクガワーナ(徳川の平和)が、
260年のパクス・トクガワーナ(徳川の平和)が、
招来されました。
※パクス・ロマーナ(ローマの平和)は、200年です。
パクスとはラテン語で 平和 という意味です。
パクスとはラテン語で 平和 という意味です。
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※武田信玄
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