江戸を守る5寺社は、天海と川越が関係 <天海コラム#4

江戸を守る5寺社は、天海と川越が関係    <天海コラム#4

江戸を守る川越関連の人物、寺社

江戸城は、5寺社によって守られていました。
江戸を守る寺社には、天海と川越が何らかの意味で関係しています。

5寺社は、鬼門(北東)と裏鬼門(なんせい)に位置し、
江戸城を守っています。
※ 「鬼門」は当時は迷信ではなく、科学でした。

「川越は江戸の母」とよばれるのは、このためです。


寛永寺は、徳川幕府が建立し、川越・喜多院住職であった天海僧正が開山した寺院です。
山号は東叡山(とうえいざん)です。
「東の比叡山」を意味します。
比叡山延暦寺は「延暦」年間に創建されました。
東叡山寛永寺は「寛永」年間に創建されました。


浅草寺(せんそうじ)は、江戸で最古の天台宗のお寺です。
1590年、徳川家康は江戸に入府しました。
天海の進言があり、浅草寺は祈願所に定められ、あつい庇護を受けました。
浅草寺


神田明神は、天海僧正が大手町から、
鬼門を守る今の位置に移したものです。
神田明神


赤坂山王 日枝神社は、川越・日枝神社から太田道灌が分霊したものです。
日枝神社(ひえ じんじゃ)


1590年徳川家康は増上寺を菩提寺(ぼだいじ、先祖の墓のある寺)にしました。
増上寺は、ひところは3000人以上の学僧が学んでいました。
川越・蓮馨寺(れんけいじ)出身の増上寺 第12代目法主(ほっす)・存応(ぞんのう)がすすめたものです。
存応は、増上寺中興の祖といわれます。
増上寺 


#1  天海僧正の養生訓。健康法。勤行歩く粗食学習    <天海コラム#1 

#2  天海は薬草にも通じていたので、家康の深い信任を得た 

#3  天海は、織田信長による比叡山焼き打ちを逃れ、武田信玄の元へ。<天海コラム#3




郷土教育が青少年から疎遠になりつつあります。
郷土の皆さんには、自分の郷土に自信をもち、
しっかり下から豊かな歴史ある国をつくってほしいものです。
日本は、歴史、郷土史がおもしろい国です。


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