以下は、1996年9月韓国経由でベトナムを旅したときの対談集です。
ベトナムと韓国が、共通点が多いことの発見の旅でもありました。
(ベトナムには、1964年東京オリンピックの時に、貨物船・峰島丸で門司からサイゴンに渡ったのが最初です。ベトナム戦争の最中でした)
桑原政則:
今回は、韓国をざっと見て、ベトナムをじっくり旅してきたわけだけど、いろいろ発見があり、おもしろかったよね。
ムスコ:
うん、韓国とベトナムが意外に共通点があるのにびっくりしたよ。
桑原政則:
そうだね。韓国はベトナムとともに、中国と地続きの半島にあるため、歴史的運命がよく似ているんだよ。
ムスコ:
ともに
儒教国家 で、
漢字圏 に属し、食事には箸(はし)を使ったりとか。
分断国家 の悲哀を共有しているしね。
桑原政則:
うん、ともに
ミニ中国 だったんだよ。
国家体制も中国式だし、高級官吏は
科挙で 選んだし、知識人も中国式なんだよ。
ベトナムでも韓国でも士(し)といえば、日本と違って、武士のことではなく、文士のことなんだよね。
ムスコ:
名前も中国式 だしね。
「ベトナム」は越南、「ホーチミン」は胡志明、「ハノイ」は河内だとわかるとなんだかとっかかりができるね。
実際、ハノイは、ホン川に囲まれた河の内にあるものね。
桑原政則:
「中国の領土は、鶏の形をしているよね。
鶏のくちばしにあたるところが朝鮮半島で、脚にあたるところがベトナムなんだよ。
中国は昔からこれらの国を自分のうちの
裏庭のように考えていたようだよ。
ホン(紅)川は、鉄分を含んでいるので赤っぽいのだよ。
日常のあいさつ言葉にしても、「ありがとう」は、
韓国語で「カムサ(感謝)ハムニダ」、
ベトナム語で「カムオン(感恩)」で、
漢字音は 両国に深く根付いているのがわかったよね。
ムスコ:
韓国を経由してベトナムに入ったおかげで、ベトナムの食事にそれほど抵抗を覚えなくてすんだような気がするよ。
桑原政則:
ほう。いいことに気がついたね。
韓国人は、東南アジアの食事には、日本人よりもずっと入っていきやすいよね。
ムスコ: ホーチミン市の中央マーケットに韓国人の姿は見えても、日本人はいなかったね。
そういえば、庶民が気軽に買い物できるマーケットも、韓国にもあるしね。
桑原政則:
ベトナム人にかぎらず、東南アジアの人は、
とうがらし、にんにく、香菜 を常用するよね。
今度韓国へ行ったわかったように、韓国人も
とうがらし、にんにく、香菜 がすきだよね。
ムスコ:
東南アジアで生活するには、まず食べ物になれないとね。
ところで、
インドシナ半島で、中国文明圏に入っているのはベトナムだけで 、あとの国はインド文明圏だよね。どうして?
桑原政則:
アンナン山脈がさえぎってインド文明が入ってこれなかったんだよ。
ムスコ: でも、むかし、
チャンパというインド型の国家が、中部ベトナムに あったと本で読んだ記憶があるけど。
桑原政則: チャンパの人はマレー・インドネシア系で、チャム人とよばれるんだが、かれらは海を越えてきたんだよ。
桑原政則:
鶏のチャボ という名は、ここからきたんだよ。
名古屋コーチン は、中部ベトナムの旧称コーチシナのコーチに由来するんだよ。
ムスコ: そういえば、ベトナムの鶏はうまいね。
地鶏だからね。
カボチャは、となりのカンボジアからきたんだよね。
・・・・・・・・・・・
桑原政則: 昔、
ラウ屋 というのがあったんだけど、それはラオスからきたんだよ。
ムスコ: ラウ屋?
桑原政則:
うん、ラウとはキセルの竹の部分のことで、ラオス産のまだらの紋がある竹をキセルに使ったからラウというんだ。
ラウ屋はたばこの脂でつまったラウを新品とすげかえる行商人のことだよ。
ムスコ:
へえ。東南アジアと日本は意外と結びつきが古いんだね。
ジャガイモ は、ジャガタライモの略でインドネシアのジャカルタからきたんだしね。
桑原政則:
うん、ジャカルタは、昔はジャガタラとよばれていたからね。
・・・・・・・・・・・
ムスコ:
ベトナム人は、
本好きな国民だね 。
空港のレストランにも本売りの子供がいれかわり、本をかかえて売りに来たよね。
地図も好きな国民だね。
町中の新聞雑誌スタンドには、地図がおいてあるよね。
桑原政則:
識字率も高く、教育熱心 なんだよ。
また、よくはたらくしね。
ムスコ: 特に北の人は、元気人間だね。
桑原政則:
うん。それには自然環境も関係しているんだよ、特にハノイを流れるホン川がね。
ホン川は、ヒマラヤ山系が延長してきたもので、日本の川のように、
傾斜が急ですぐ氾濫するんだ。
それで昔から、
人々は協力しあって、治水、築堤にあたってきたんだ。
ハノイの郊外には、天井川があったね。
流れてくる土砂のために年々川床があがり、天井川となったんだよ。
ムスコ: バイクで回ったときには、川の底が道路より5メートルも高かったところもあったね。
桑原政則:
北ベトナム人が、勤勉で、集団行動が得意 といわれるのも、このホンデルタとの格闘によるところが多いんだよ。
ベトナム戦争の時も、南ベトナムの政府首脳などは北出身だったんだよ。今でも
南の政治や経済を牛耳っているのは、北出身のひとなのだよ。
ムスコ:
でも、南のメコン川も氾濫するよ。
桑原政則:
メコン川の氾濫 は、タイのチャオプラヤ川やミャンマーの川などと同じで、かえって歓迎されているくらいなんだ。
平野部でじわじわと水位が増してきて、
稲と魚をゆっくり育ててくれる恵みの浸水 なんだ。
肥料をやらなくとも稲は育つし、魚はとれるしで、そういうわけで南の人はどうしても、お人好しでのんき者になってしまうんだ。
ムスコ:
ホーチミン市には、カンボジア系の人が目立つね。
とくにシクロ(自転車タクシー)引きに多いみたい。
桑原政則:
そうなんだ。
もともとメコンデルタはカンボジアのもの だったんだよ。
今から200年ほど前に、ベトナムが南下してきてカンボジアから奪ったんだよ。
ムスコ:
メコンデルタは、北海道くらいで、世界最大の米作地帯だよね。
カンボジアとしては、とりもどしたいでしょうね。
カンボジア人がベトナム人をにくむのもわかるような気がするね。
桑原政則:
ベカラ三国が、フランスの植民地のときには、フランスはベトナム人を手先として使い、カンボジア人やラオス人を管理させていたのだよ。
カンボジア人やラオス人は、遠くにいる主人のフランスより、自分を直接支配するベトナムをうらむんだよ。
カンボジアやラオスは、歴史的にも、ベトナムにやられっぱなし なんだよ。
ムスコ:
ホーチミンは活気があって、あそこにいるとベトナムが、社会主義国だなんて思えないね。
桑原政則:
ベトナムは、統一後、ソ連の経済援助を受けてきたんだ。
しかし、その後ドイモイ路線を採用して、市場経済をとりいれ、外国からの投資を受け入れるようになってから、大きく発展しようとしているんだ。
今眠りから覚めた午前5時といったところかな。
日本は午後4時の国だね。
ムスコ:
ホーチミン市を流れる川が、メコン川でなく、サイゴン川とは知らなかったよ。
そういえば、ホーチミン市のかなりの市民がいまだに、ここをサイゴンとよんでいるね。
桑原政則:
うん、南の人は名称変更についてこう思っているんだ。
サイゴンという名を、勝手に変えたのは北の政府なんだ。
北の政府にとっては、「サイゴン」とは、退廃と堕落の象徴だったのだろうね。
しかし、そんなことは、サイゴン市民にとっては、あずかり知らないことで、サイゴンという名に今も愛着をもっているひとはおおいよ。
ムスコ:
南の人の北に対する恨みは根深いものがあるね。
桑原政則:
ホーチミンの人に一番嫌いな、人種は、と聞いたら、
バッキー(北域)つまり北ベトナム人だと答えるくらいなんだから。
もともと北ベトナム人と南ベトナム人は仲がよくないんだ。
南は、ベトナム戦争で負けて、奪われ、職を追放され、殺されたんだよ。
その恨みはなかなか消えるものではないよ。
ロシア人、中国人、韓国人も好かれていないね。
【※】いまは?
ムスコ:
ベトナム人の反中国感情がこんなに強いものとは想像できなかったよ。
桑原政則:
どこでも隣国同士は仲が悪いのが一般的なんだ。
でもベトナム人の中国人意識には、愛憎が複雑に入り交じっているね。
ベトナムは、2000年間も中国の影響を受けて、文明も中国化したのだが、1000年も直接支配されたこともあって、中国には強い警戒心と反発心を持っているんだよ。
ちょっと油断すると中国文明に飲み込まれてしまうからね。
ムスコ:
中国は昔からベトナムを属国扱いしてきたんだよね。
桑原政則:
ベトナム戦争が終わって、難民やボートピープルが発生したが、そのなかには中国系の人がたくさんいたんだよ。
彼らは、いわれもなく、財産を奪われ、命をうばわれかけたんだよ。
ムスコ:
それで中国が怒って、中越戦争を起こしたんだよね。
桑原政則:
中国では、中越戦争とは呼ばず、ベトナムを膺懲(ようちょう)したというんだよ。膺懲とは、お母さんがいたずら坊やのおしりをペンペンとたたくようなものだよ。
ムスコ: 中国にとって、ベトナムはいまだに子供なんだね。
桑原政則:
アメリカはドミノ(将棋倒し)理論を信じて、ベトナム戦争に介入したんだが、もし中越がこれほどまで仲が悪いと知っていたら、ベトナム戦争など起こらなかったかもしれないんだ。
600万の犠牲者もださずにすんだのにね。
外国へいって、人々の考え方や感情を知るということは、大切なことだね。
ムスコ:
それにしてもベトナム戦争は無益な戦争だったんだね。
15年の歳月と莫大なお金を使って。
ところで、韓国が嫌われているのは、ベトナム戦争に参加したからなんだね。
桑原政則:
ベトナム人にとって、韓国とは、ベトナム戦争時に勝手に入ってきて、残虐に殺し、その見返りにアメリカから褒美をもらい、アメリカに50万人も住むことを許された身勝手な国とうつっているようだね、昔を覚えている人には。
ムスコ:
ベトナムは、中国化することによりみずからの東南アジア性の脱却をはかり、今は国際化することにより中国化を脱しようとしているみたいだね。
桑原政則:
ベトナム人は心の底では、
フランス文化に あこがれているね。
アメリカも好きなんだよ。
日本は ベトナム人にとって3番目に好きな国なんだ。
【※】今後は?
ベトナムには、こんな言い伝えがあんだよ。
ベトナム男性の理想は、
日本人の奥さんをもらって、
西洋風の家に住み、
中国料理を食べる
ことだって。
日本の女性は人気が高いよ。
ムスコ:
ベトナム人は、竜が好きだね。
有名な水中人形劇にもでてきたし。
自分の国のかたちも、竜の形をしていると自慢しているよ?
桑原政則:
竜は、雲をおこし雨をよび、田んぼに必要な水を呼び寄せてくれるありがたい存在なんだよ。
神話では、ベトナム人は、竜の子孫なんだよ。
メコン川もベトナム地域では、九竜の川とよばれているしね。
ムスコ:
朝鮮民族も南下民族だし、ベトナム人も南下してきたんだよね。
桑原政則:
ベトナムは、
10世紀頃よりハノイから南下をはじめ、
15世紀には中部ベトナムのチャンパ王国を征服し、 18世紀には、カンボジア人がすんでいたメコンデルタを奪い、今日の領土を定めたんだ。