2013/04/18

徳川綱吉:生類憐れみの令で天下泰平の土台を築く

徳川綱吉  (※)WP
- 1646- 1709。64歳 -

いまの歴史の教科書では、
悪法で有名だった「生類(しょうるい)憐れみの令」を、
「綱吉政権による慈愛の政治」
と称賛しています。

綱吉は、「生類(しょうるい)憐れみの令」で、世界史でも珍しい200年以上にわたる天下泰平の世の中を築きました。

家康、秀忠、家光の時代は、戦国の荒々しい気風が残っていた暴力、殺人の時代でした。

第5代綱吉は、「生類(しょうるい)憐れみの令」により、戦国時代の価値観を否定しました。
「生類憐れみの令」は、武断政治を文治政治に変革するためのショック療法でした。
肉食系を草食系に変えるための革命でした。

「生類(しょうるい)憐れみの令」は、イヌ、ネコ、鳥などの生きものの殺生(せっしょう)を禁じたものです。
他にもいろいろの定めがありました。

・親が子を育てる財力がない場合は、役人が子供たちの世話をすること。
・妊婦と7歳以下の子供は、氏名は登録すること。捨て子や子殺しを予防するためです。
・幼児や老人を保護すること。
・捨て子や病人などの社会的弱者を救済すること。

犬を傷つけることが禁じられたということで、武士は町民を切り捨て御免にできなくなりました。

徳川綱吉により、生命を大事にする太平の世が実現しました。

綱吉は3代家光の子で、きびしく育てられました。

学があった徳川綱吉は、中国の古典を幕臣に講義し、湯島聖堂(ゆしませいどう)を建立しました。
ここは東京大学、筑波大学、お茶の水女子大学の源流となります。
湯島聖堂

いま、西欧が日本をめざすようになっています。
いまに続く「安全、環境、健康」の日本は、
300年以上前の徳川綱吉から始まっています。


【追】

はなやかな元禄時代
綱吉の元禄時代の30年間(1680- 1709)は、
江戸時代で一番はなやかな時代でした。
文化人が続出しました。
・近松門左衛門
・井原西鶴
・松尾芭蕉

ケンペル
 ドイツの博物学者ケンペルは『日本誌』で、日本を体系的に記述しました。
徳川綱吉に2回謁見しました。
「生類憐れみの令は、世界史上でも最も独創的な法律のひとつ」と絶賛しました。

綱吉の偏諱
綱吉が偏諱(へんき。御一字)を与えた主な人物には、以下がいます。
・徳川吉宗(紀州藩主。のち第8代将軍)
・柳沢吉保(幕府側用人。川越藩主)

終戦直後の日本≒江戸初期
終戦直後も、江戸時代初期に似ていました。
街は混沌無法で、警察は役立たずで、代わって暴力団、やくざが街の規律を守りました。
人々は感謝しました。
警察も暴力団、やくざに感謝しました。
警察が彼らに弱いのも、この時代のしがらみによるものです。

麻薬が違法になったのはやっと1951年のことでした。
それまでは、麻薬は、*合 法* でした。
戦時に、国民を軍需工場で長時間働かせるために麻薬が必要だったからです。
私のいとこの中学生も、工廠(こうしょう)で麻薬つきで働かせられました。

競馬も戦争馬を量産するために、奨励されました。
競馬でお金をかけることは「善」でした。
そのために皇族の名を冠する「天皇賞」「高松宮記念」などが設けられました。
他のギャンブルにはみられません。