鑑真(がんじん) |
・688年~763年6月25日没。76歳。奈良 唐招提寺(とうしょうだいじ)
【※】中国の年代 漢・隋・唐(618年 - 907年)・宋・元・明・清
カンズイトウ ソウゲンミンシン 鑑真は唐の人です。
【※】中国の年代 漢・隋・唐(618年 - 907年)・宋・元・明・清
カンズイトウ ソウゲンミンシン 鑑真は唐の人です。
鑑真(がんじん)は、日本の僧の願いで、日本行きを5度こころみました。
失敗しました。
盲目になってしまいました。
753年、6度めにようやく目的をはたしました。
そのころ日本では、仏教で国を治めようとしていました。
しかし仏教を知らないのに僧になろうする者が増え、仏教界はみだれていました。
鑑真は、唐招提寺(とうしょうだいじ)をたてて,新しい戒律を広めました。
戒律とは、僧が守るべききまりです。
鑑真は、戒律を守らせることで、たくさんの僧を育てました。
【奈良時代】51 鑑真ってどんな人?唐招提寺と観世音寺との関係は?【見て覚える日本史シリーズ】 【+6】
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【※】阿倍 仲麻呂(あべのなかまろ)
失敗しました。
盲目になってしまいました。
753年、6度めにようやく目的をはたしました。
そのころ日本では、仏教で国を治めようとしていました。
しかし仏教を知らないのに僧になろうする者が増え、仏教界はみだれていました。
鑑真は、唐招提寺(とうしょうだいじ)をたてて,新しい戒律を広めました。
戒律とは、僧が守るべききまりです。
鑑真は、戒律を守らせることで、たくさんの僧を育てました。
【奈良時代】51 鑑真ってどんな人?唐招提寺と観世音寺との関係は?【見て覚える日本史シリーズ】 【+6】
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【※】阿倍 仲麻呂(あべのなかまろ)
遣唐留学生。秀才のほまれ高く,玄宗(げんそう)皇帝から重用されました。
753年,鑑真をともなって帰国の途につきましたが,船が難破し中国で一生を終えました。
李白とも親しかったです。
望郷の詩は有名です。
< 天の原ふりさけみれば 春日(かすが)なる
三笠の山に出でし月かも >
【※】奈良仏教
奈良仏教は、
貴族のためのものになってしまい、
政治にも関与
してきました。
桓武天皇は、それをきらって、奈良から京都へ遷都しました。
奈良仏教は、
貴族のためのものになってしまい、
政治にも関与
してきました。
桓武天皇は、それをきらって、奈良から京都へ遷都しました。
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