浄土宗、法然、増上寺、蓮馨寺
芝の増上寺 |
巨大な三門 |
黒門
三門のわきにある庫裡の表門。桃山時代の豪華さがしのばれます。
唐獅子、牡丹が浮き彫りされています。
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1584年には、川越・蓮馨寺(れんけいじ)の源譽存応 (げんよぞんのう、1544年 - 1620年)が第12世になりました。
1590年には、徳川家康は増上寺を菩提寺(先祖をまつる寺)にしました。
増上寺は僧侶の大学でもあったので、学寮も100以上あり、
常時3000名の僧侶が修学していました。
常時3000名の僧侶が修学していました。
増上寺には、二代秀忠、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂の六人の将軍の墓所がもうけられています。
【※】寛永寺には6将軍の墓所があります。
増上寺は浄土宗の大本山です。
知恩院は浄土宗の総本山です。
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平安時代の終わりごろには、貴族の間で極楽往生への願い、浄土にいる阿弥陀さまへの信仰が急上昇しました。
平安時代の終わりごろには、貴族の間で極楽往生への願い、浄土にいる阿弥陀さまへの信仰が急上昇しました。
法然(1133-1212)は、貴族独占の仏教を大衆化しました。
南無阿弥陀仏(ナム・アミダブツ)は、「おすがりします、阿弥陀さまに」の意味です。
これを法然は、「お願いします。救ってください」の意味に変えました。
弟子の親鸞は 「全部阿弥陀さまにおまかせします」としました。
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