2017/10/18

日本留学需要の高まり 2016年24万人に 在日ニューヨーク日本総領事館 (英)




日本留学需要の高まり  2016年24万人に  
在日ニューヨーク日本総領事館 (英)   2017年10月 

(抄訳)

法務省の統計によると、2015年時点で、日本に220万人以上の外国人が住んでいる。この数は増加し続ける。

日本で留学する留学生の増加は特に劇的であった。
留学生数は、日本学生支援機構(JASSO)によると、2014年には18万人を超え、2016年には約24万人に増加した。
今後も今傾向はふえる。

これらの学生の93%がアジアから来ており、ヨーロッパの学生は3.3%学生の合計は1.3%に過ぎなかった。 これらの学生の60%以上が、人文科学、46.5%、社会科学、25.5%を追求している大多数の学生が卒業程度を追求するために日本にいる。

多くの日本企業はま才能のある人を探しています。
競争力を維持するために、多くの企業の雇用戦略の一部は外国人を雇うことである。
例としては、コンビニのローソン(Lawson)。楽天は、英語を公式な社内言語にした日本。その他富士通。

JASSOは、日本での留学に興味のある方や日本の大学についての情報を提供している。
JASSO(英)  

2017/10/17

10月23日、1853年。チュラーロンコーン大王 没。20世紀アジアの名君。(タイ)

10月23日、1853年。チュラーロンコーン大王 没。20世紀アジアの名君。(タイ)

チュラーロンコーン国王(1853 - 1910。ラーマ5世) は、タイを近代化した20世紀アジアの名君(アメリカの『タイム』)です。国民から人気が高く「大王」とよばれています。

***地図



かつて、タイ(当時、シャム)は、西側の


    西(左側)から、ビルマとマレーシアを占領していたイギリス
    に、
    東(右側)から、ベトナム、カンボジア、ラオス

ビルマとマレーシアはイギリスに、ベトナムがフランスにそれぞれ占領されていた。シャムも狙われていたが、ラーマ5世はイギリスにマレー半島の一部を割譲し、フランスにはラオスとカンボジアを割譲する事で、独立を保った。





チュラロンコーン大学 




欧米では1944年の小説『アンナとシャム王(Anna and the King of Siam)』(マーガレット・ランドン作)や、それを原作とするミュージカルや映画(特に『アンナとシャム王』(1946年)や『王様と私』
/タイでは不敬罪として上演されない。

チュラーロンコーン大学
チュラーロンコーン大学は、「チュラーロンコーン・大学」という風に名前を先によびます。

他の大学では「大学・○○(大学名)」と称します。
例えば、タマサート大学は、「マハーウィッタヤーライ(大学)・タマサート」。

チュラ大とタマ大は、東大vs京大、早大vs慶大のような国を代表する大学です。



2017/10/14

10月19日、1936年。魯迅 没。文学者、『阿Q正伝』

10月19日、1936年。魯迅 没

魯迅(ろじん。1881〜1936)は、中国の文学者です。浙江省の地主の家に生まれました。

1902年に,仙台医学専門学校(東北大学医学部の前身)に入学しました。
1905年,東京に中国革命同盟会(総裁は孫文)がつくられると、学校を中退し,文学を通じて革命運動に協力するようになりました。

1909年に帰国,文学を通じて中国の近代化につくしました。小説『狂人日記』、『阿Q正伝(あキューせいでん)』があります。

魯迅の師、藤野先生の故郷・福井を訪ねて  【22+】

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魯迅(ろじん、ルーシュン。Lǔ Xùn。1881〜1936)

2017/10/12

ゾンビ体操:血管の若返り。1分間

ゾンビ体操  池谷敏郎
一分間
血管の若返り ・・・動脈硬化。脳梗塞。脳卒中心筋梗塞

ゾンビ体操 #2 

ゾンビ体操  #3





10月15日、 1933年。新渡戸稲造 没。『武士道 Bushido 』

新渡戸稲造(にとべいなぞう。1862〜1933)は、明治〜昭和の教育家です。岩手県に生まれ、札幌農学校(現・北海道大学農学部)でクラーク博士教えを受けました。

アメリカ、ドイツに留学後,東京大学教授などを歴任しました。

1919年には国際連盟の事務局次長となり,キリスト教の立場から世界平和のためにつくしました。日本文化の紹介にもつとめました。『武士道 Bushido: The Soul of Japan』があります。

新渡戸稲造 ~未来につながる道~  【29+】
    エジソン--『武士道 Bushido 』-- 石清水八幡宮。

新渡戸稲造のページ 



2017/10/11

観光立国と地域の活性化 山田桂一郎


観光立国と地域の活性化(1)域内経済循環の拡大策必要 北海道大学観光学高等研究センター客員教授 山田桂一郎
2017/9/21~  日本経済新聞 を抜粋編集

 訪日外国人旅行者の増加と共に脚光を浴びてきた観光産業は最近、地方創生の切り札とまで言われ、政府は国内総生産(GDP)600兆円達成を目指した成長戦略の柱として位置付けています。政府だけでなく多くの地方自治体が観光産業に力を入れるのは、少子化高齢化、人口減少によって縮小する国内市場を交流人口の拡大で補い、経済を活性化させるのが狙いです。「観光産業は総合産業」と言われ、関連する業界や事業者は多岐にわたり、地域経済への波及効果が期待できるからです。

 筆者は国内外で観光を地域経営の基軸とする経済活性化策に数多く関わり、域内の経済循環の向上を最優先事項として取り組んできました。単なる観光客数の増加や観光客の直接支出額の増加にとどまらず、そこから波及して地域の税収や人口の増加など幅広く高い経済効果を狙うのならば、まずは域内の経済循環を拡大させなければなりません。

 しかし、観光振興のための新しい取り組みは日本各地で次々に生まれていますが、明確に地域経済循環の拡大を目指した事業はほとんど見かけません。むしろ知名度向上を狙っただけの宣伝や広告、動員数を増やそうとするだけの単発的なイベントなど、真剣に地域経済を活性化する気があるのか不明なものも数多くあります。

 残念ながら、いまだに観光振興策の評価では、実体経済に結び付くかどうかより、メディアに少しでも取り上げられ、来場者が増えて目立てば良しとされることが多いのも事実です。

 この連載では可能な限り観光・リゾート地の現場で実際に起きている事実の検証を通じて、観光産業による地域経済活性化のあり方について考えていきます。特に、経済活性化のために政府・自治体が観光分野で掲げる目標のあり方や、個別の観光施策によって経済的成果を上げるうえで注意すべきポイント、個々の事業者だけでなく地域として成果を上げるための仕組みなどについて重点的に論じていきます。

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 小泉内閣が2003年に日本の観光立国化を宣言、08年には国土交通省の外局として観光庁が発足し、政府は数多くの観光振興策を実施してきました。その結果、訪日外国人旅行者数は順調に伸び続け、16年には目標としていた年間2000万人を突破し、次の目標として20年に4000万人、30年には6000万人の達成を掲げています。17年3月には「世界が訪れたくなる日本」を目指して新たな観光立国推進基本計画を閣議決定しました。

 海外から日本を訪れる外国人旅行者は年々増えていますが、日本への旅行者だけでなく、国際旅行者の数は世界的に増加傾向にあります。国際旅行市場は今後も拡大が続く見通しで、国連世界観光機関(UNWTO)は国際旅行者数が16年の12億3500万人から30年には18億人へと5割近く増えると予測しています。

 この成長市場を巡って各国が旅行者の誘致を激しく競い合うなかで、どれだけ取り込めるかが日本経済にとって非常に重要になります。これまでも訪日外国人の消費額は旅行者数の増加と共に伸び続け、観光庁の調査では11年の8135億円から、16年には3兆7476億円に急増しています(ただし、1人当たりの支出額は15年の17万6167円のピークから17年4~6月には14万9248円と約15%も減少しました)。

 政府は訪日する外国人旅行者の数だけでなく、その旅行消費額についても目標を掲げ、20年には16年の2倍以上の8兆円、30年にはさらに2倍近い15兆円に増やそうとしています。

 島国である日本に日帰り旅行で来る外国人はほとんどいないため、入国した外国人が日本国内で全く消費せずに出国することはありません。外国人旅行者が増えるのに伴い、国内の消費額も必ずある程度は増えることになります。それでは政府が掲げる目標通りに外国人旅行者数が増え続ければ、多くの外国人が観光で訪れる地域の経済は活性化するでしょうか。

 観光による地域経済の活性化を目指すためには、外国人旅行者数とその消費額の伸びに注目するだけでは不十分であり、ほかにも重要な指標があることを次回に説明します。

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 日本を訪れる外国人旅行者数と消費額は増加傾向にありますが、外国人の旅行消費だけでは政府が目指す観光立国による経済活性化は困難です。それは国内観光市場のうち、外国人が占める割合はまだそれほど大きくないからです。外国人旅行者の消費額(2016年は3兆7476億円)が増えているとはいえ、日本人の国内旅行消費額(同20兆9547億円)の方が5.6倍も大きいのです。

 さらに、外国人か日本人を問わず旅行者が増加し、観光地での消費額が増えたとしても、地域経済が活性化するとは限りません。旅行者から事業者への一次消費が増えても、そのお金が事業者から地域外に流出してしまえば、地域内で経済循環が生まれないからです。例えば、ホテルに宿泊費が支払われても、他地域から食材を仕入れ、隣町からスタッフを雇っていれば、宿泊費原価の多くは地域外へ流出し、地元にもたらされる経済効果は非常に限られてしまいます。

 地域経済を活性化するためには、地域内のあらゆる資源を活用して「域内調達率」を引き上げ、地域の経済循環を高めることが重要です。地元の食材に徹底的にこだわり、地元の人材や仕入れ業者を活用するほど域内調達率が上昇し、旅行者から事業者への一次消費だけでなく、事業者から地域への二次、三次の需要が生まれます。このように一次消費がさらなる需要を喚起し、それに応じて様々なものが生産されていくのが「波及効果」です。

 波及効果が域内で広がり、地域内でお金の循環が加速していけば、地域の景気も良くなり、税収も増えるでしょう。このような地域経済の活性化こそが地方創生の目標です。しかし、域内調達率や波及効果の向上に取り組んだり、KPI(重要業績評価指標)として挙げる地方自治体はまだ少なく、多くの自治体は旅行者の入込数など経済活性化と関係の薄い目標を掲げているのが現状です。

 では、地域経済の活性化に向けて域内の調達率や波及効果を高めるため、どのような取り組みが求められるのでしょうか。その回答として次回は、「地産地消」ではなく「地消地産」が必要なことを解説します。

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 地域経済を活性化するには、域内調達率を高めて波及効果を生むことが不可欠で、その手段として地元企業の利用や地元食材の購入などがあります。ここでカギとなるのが「地消地産」です。これは「旅行者が切望する高付加価値の商品を地域内で生産・販売する」という考え方です。旅行の目的地として選ばれるためには、当地でなければ入手できない、体験できない商品やサービスが必要です。

 これに対して「地産地消」は基本的に「地元で生産したものを地元で消費する」という考え方です。地域振興としては重要なことですが、最近は「余ったものや外部で売れなかったものを地元で何とか消費してもらう」という傾向が強くなってしまいました。

 売れない地産地消には主に2つの問題があります。余剰品や外部での売れ残り品の提供では、低価格になって肝心の利益が増えないことと、旅行者を引き付ける魅力に乏しいことです。一般的に遠方からの旅行者ほど旅先での消費額は増えますが、地元産であったとしてもどこにでもある商品ならば、旅行者は低価格品の購入に走ります。これでは高い収益は望めません。

 一方、「地消地産」とは地域の良い素材に手間をかけて価値の高い商品に仕上げ、「その地域でなくてはならない価値ある商品」にすることです。高品質を維持するためにも高い単価を設定する必要があります。

 そもそも地元の素材や事業者を利用しないのは、他の地域から仕入れた方が安く、そうしないと利益が確保できないからです。「地消地産」によって単価を上げて利幅が広がれば、地元の事業者や良い素材を利用し、地元の人を雇うことが可能になります。そうした事業者や労働者が地域内で消費すれば、お金の循環が生まれます。その地域ならではの高付加価値化で単価を引き上げ、需要を生み出すことが売上高と利益の増加につながるのです。

 もちろん、ただ高額な商品を作るだけでは売れないでしょう。そこで重要になるのが、「顧客が本当に欲しいコトやモノ」を、「顧客とのコミュニケーションの中で一緒に作り出していく」というマーケティングの実践です。

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 今回はどのようにして地域の市場規模を拡大していくかを説明します。まず底辺の長さが数量で、高さが価格の三角形を想像してみましょう。面積が地域全体の消費額となり、面積を増やすことが地域経済の活性化になります。これまで日本では「安い物を大量に売る」、つまり頂点の高さを変えずに底辺を横に広げることばかりに熱心でした。

 しかし、頂点を引き上げられれば、シャワー効果で裾野も広がり、市場が階層化することで事業者のすみ分けも可能になります。高付加価値化によって、その地域で可能な限り客単価を引き上げ、ハイエンド層の顧客を獲得することが市場拡大には有効なのです。

 これは一店舗にもあてはまります。例えばレストランで料理を一品一価格から「松、竹、梅」などと多層化することで客単価を引き上げられれば、収益増の可能性が高まります。食材によりコストをかけられるようになれば料理人の技能を生かせますし、価値がわかる顧客の増加はスタッフ意欲やお店の質的向上につながります。このように事業者単位でも地域全体でも、客単価の上限の引き上げは好循環をもたらします。

 2007年に北海道で筆者も協力して「1万円ランチ」が実現しました。北海道の食の多くが「素材の良さ、量の多さ、安さ」を売り物とする状況を打破するために企画したものです。道内の五つのレストランが毎日数量限定で提供したこともあり、すぐに先々まで予約で埋まっただけでなく、予約できなかった客も既存メニューの高額料理を積極的に選ぶ傾向がありました。「1万円のランチを提供する店なら他の料理もおいしいはず」とシャワー効果が発揮されたのです。

 当時他の店でも、1万円は難しくても、少しでも客単価を引き上げ、商品の多様な階層化による他店とのすみ分けに取り組んでいれば、地域経済への効果はもっと高まったでしょう。

 また観光客向けの商品・サービスだとしても、地元の住民に支持されているかどうかはとても重要です。地元で食べられていないB級グルメのように、地元で人気がなければ、わざわざ外部から食べにきてくれるはずがないからです。

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 日本では「マーケティング」は「宣伝広告」のことだと思われがちですが、それだけではありません。「売る側と買う側の必要と欲求を一致させて売買が活性化するように計画し、実行する活動」であり、簡単に言えば「売り続けるための仕組みづくり」です。

 基本はSTP(セグメンテーション、ターゲティング、ポジショニング)ですが、最重要なのはポジショニングです。「顧客からどのように見られているか」「顧客が欲しいものは何か」を明確にすることです。顧客が求める価値ある商品やサービスだからこそ、その価値を認めてくれる人に的確に情報を届け、購入につなげる必要があります。

 筆者が関わった「富山湾鮨」は、富山湾で水揚げされた魚介類を使い、富山県内だけで提供しています。旅行者の「せっかく富山に来たのだから地元ネタを食べたい」というニーズに応え、「富山でおいしいお寿司を食べるなら富山湾鮨」というポジショニングで認識され、成功しました。

 また「とやまの山幸」は県内の旬の食材を使ったコース料理(1万円から)で、新幹線のグランクラス利用者層を主に狙ったものです。これもターゲット顧客から見たポジショニングを意識した商品として成功しました。顧客にとって価値ある商品やサービスは「今だけ、ここだけ、あなただけ」と認識され、ポジショニングが明確です。顧客に支持されないものほど「いつでも、どこでも、誰にでも」とポジショニングが曖昧になっていないでしょうか。

 優良企業ほどマーケティングを重視して顧客ニーズに対応しています。そのためには顧客情報管理(CRM)を確立して顧客と長期的関係を築くことが必要です。観光業界には「一見さんだけで十分」と言いかねない風潮がありますが、それでは長期的に持続可能な事業になりません。

 筆者は地域単位でファンクラブを立ち上げる形でのCRM構築を推奨しています。地域で実施すれば的確なマーケティングや事業者のすみ分けが可能になります。顧客が求めているものを見つけるには、トレンドの変化が分かるだけのビッグデータよりも顧客データベースを重視すべきです。

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 かつて日本の観光業界では、旅行会社や宿泊業者、土産店などが手を結び、一種の利益共同体を形成していました。団体旅行が主流だった時代はそれで問題なかったかもしれませんが、近年、旅行消費額に占める団体客のシェアは大幅に低下しています。そして、多様化している個人客は周遊旅行よりも一カ所での連泊を選ぶ傾向にあります。

 しかし、自らマーケティングを行う力のない観光地はいまだに集客から宣伝、周遊プラン作りに至るまで広告代理店や旅行会社に丸投げし、行政に補助金を求め、宣伝広告費を使うことが半ば目的化しています。多くの観光地は、他人任せで効果が薄いにもかかわらず、マージンだけ取られ、地域全体として顧客満足度を高めて稼ぐことにつながっていないのです。

 観光地に今求められているのは、BtoB(対事業者)だけでなく、自分たちで直接顧客に販売するBtoC(対消費者)に取り組むことです。旅行会社を通じて旅行者を呼び寄せてばかりいると、観光地側は「顧客=旅行会社」となり、本来の顧客との関係を構築するまでに至らず、長期にわたって何度も訪れたくなるような観光地の形成には到底結びつきません。

 欧州では多くの観光局が顧客情報を一括管理し、顧客との関係を地域単位で構築しています。サービスを提供する側(観光・リゾート地)と受ける側(旅行者)との間に長期的な関係が築かれているので、個人客に対しても効果的なマーケティングが可能なのです。

 地域全体で旅行者の受け入れに取り組んでいる北海道弟子屈町では、観光業だけでなく農業や商業の事業者、そして主婦から子供までの多様なメンバーで構成する住民主体の協議会が、「地消地産」型の商品やサービスの開発、情報発信を地域単位のマーケティングとして行い、地域経済の活性化に結びつけています。

 このように住民が主体的に地域全体のマネジメントに関わり、ブランディングを前提とした総合的なマーケティングに取り組むことで初めて、その地域にとっての“外貨”獲得による経済の活性化、ひいては地域の自立化と持続性の向上につながるのです。

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 企業が収益を安定させ、持続可能な経営を実現するには、各顧客との継続的な取引による収益(顧客生涯価値=CLTV)の向上を目指す必要があります。そのためには、単に良い商品を作れば売れるというプロダクトアウトの考え方ではなく、顧客が求めるものを提供するマーケットインの発想がより重要です。

 観光でも旅行者が求めるものを絶えず提供できれば地域への満足度が向上し、リピーターとして何度も訪れる可能性が高まります。CLTVを高めるためには前回までに説明した顧客情報管理(CRM)が必要になります。しかし、日本の観光地では地域単位のCRMという概念はほとんど理解されていません。個別のホテルチェーンや老舗旅館では実践されていますが、地域単位で旅行者の行動履歴や消費履歴のデータベースを基にマーケティングを行う例は限られています。

 これに対し、欧州の多くの観光地では各観光局が域内ホテルの宿泊データを一括管理する形で顧客データベースを持っているため、地域として旅行者一人ひとりのニーズに合わせた「One to Oneのマーケティング」が可能なのです。

 日本でも地域通貨のようなポイントカードの導入や地域のファンクラブ設立などで、顧客データベースの構築に取り組む地域は出ています。例えば宮城県気仙沼市の「気仙沼クルーカード」の会員制度は、地域単位でOne to Oneマーケティングを実践するCRMの仕組みになっています。

 顧客データベースがあれば、地域で個々の顧客の嗜好を把握するだけでなく、新商品を開発する際に会員への限定販売を通じてフィードバックを得ることも可能です。地域内で連携してマーケティングを行い、旅行者がより満足できる商品・サービスを継続して提供できるようになるのです。

 今後、観光地がマーケティングとブランディングを実践するためには、地域単位でCRMを構築し、CLTV向上が必須になるでしょう。地域内の経済循環を高めていくには、これこそが基本中の基本の方法ではないでしょうか。

タイ史

* 地図

タイの地形は、タイ人の尊ぶ象の頭

  • 1 スコータイ朝
  • 2 アユタヤ朝
  • 3 ラタナコーシン朝

タイ史は、南下史です。
タイ人は、中国の雲南あたりに住んでいました。

8世紀前後に南下をはじめました。

1253年、雲南の大理(だいり)が、モンゴル帝国のフビライに滅ぼされると、大量にインドシナ半島に移動しました。


1 スコータイ朝(1257~15世紀)

1257年タイ人は、カンボジアのアンコール朝から独立し、スコータイ朝を建てました。
スコータイ朝は上座部仏教を立国の精神にかかげました。

3代ラーマカムヘン(位1275頃~1317頃)は、カンボジアの文字をもとにタイ文字をつくりました。

15世紀に南のアユタヤ朝に併合されました。


2 アユタヤ朝(1350頃~1767)

1350年ころアユタヤ朝が建国されました。

1432年アユタヤ朝は、カンボジアのアンコール朝を滅ぼし、領土を拡大しました。

アユタヤの日本町の山田長政は、数々の戦功を立てて最高の官職につきましたが、王位継承争いに巻き込まれて死去しました。

アユタヤ朝は、1767年ビルマのコンバウン朝に滅ぼされました。


3 ラタナコーシン朝(1782~)

1782年 ラーマ1世は、バンコクにラタナコーシン朝を建てました。

ラーマ5世は、ヨーロッパの諸制度を積極的に導入しました。
そのため、英仏の重圧を回避でき、さらに両国の緩衝地帯となることができ、植民地を免れました。

東南アジアで植民地にならなかったのはタイのみです。

第一次世界大戦後の1932年にタイ立憲革命が起こり、陸軍将校のピブンが首相に就任しました。

1941年に太平洋戦争が起こると、日本と同盟条約を締結し、結果的に日本軍による占領を免れました

戦後はSEATO(シアトー、東南アジア条約機構)、ASEAN(アセアン、東南アジア諸国連合)の原加盟国となりました。

経済的には、2003年6.7%の経済成長率を達成しています。
政治的には、軍事クーデターが頻発し、軍政と民政が繰り返されています。

*ラーマとは

2017/10/10

【武蔵観研通信】226号:2017年10月10日

【武蔵観研通信】226号:2017年10月10日


★ アセアン
  
★ 川越、埼玉
  ❖ 埼玉県庁   ❖  川越市役所     ❖ 10/14-15 川越まつり


★ 観光


★ 人物、名言
  〇山本周五郎 「人間は弱いから、温かい環境にいては仕事ができないよ」


  〇 きだみのる 「一番重要なことは長生きだ。、、長生きすれば、いま生きている連中の正誤がわかる」


★ 徳川


─────────────────────────
★ 余滴
  〇 鶯谷駅の子規庵
  〇 改革派住職 本気の寺院経営 熊谷市曹洞宗【動画】
  〇 国際情勢:中国は暗い。年金なし。20歳以下は男が3000万人多く、結婚できず、イライラ。自由がないので、絵、映画、音楽などの文化が花開かない。【cf.】柯隆(かりゅう)


┗武蔵観研ホームページ  https://goo.gl/SCKbHU

地政学





地理と政治の関係「地政学」  

  • 英語では「Geopolitics(ジオポリティクス)」。ジオグラフィー(地理学)とポリティクス(政治学)の組み合わせです。
  • 周囲を海に囲まれ、国土の小さな国は、食糧や資源の確保のため貿易を重視するでしょう。一方、国境線を挟んで隣国と地続きになるような大陸の場合は、安全保障のために隣国への影響力を強める戦略を重視するかもしれません。

2017/10/06

仮想現実で訪日客誘え。 城や寺院再現・ゲームで楽しく 地方で消費促す

仮想現実で訪日客誘え
城や寺院再現・ゲームで楽しく 地方で消費促す
2017/10/4付 nkを抜粋編集

 観光庁は訪日客が日本での体験を楽しむ「コト消費」を広めるため、仮想現実(VR)や拡張現実(AR)を活用した観光推進に乗りだす。来春にも滞在期間が長い欧米客の観光ニーズを調べ、日本文化などをより身近に感じてもらえるように環境を整えていく。地方への誘致を促し、2020年には訪日客消費を8兆円に増やす狙いだ。

 【※】
仮想現実(VR)  Virtual Reality
拡張現実(AR) Augmented Reality

 観光庁はVRを用いてしか得られない体験型の観光を広げ、地方の隠れた名跡への訪問を促したり、名産品を買ってもらったりするのを目指す。

 VRのコンテンツの候補として挙がっているのは、伝統的な日本文化の体験や、ゲーム、スポーツなど。文化関連では、訪日客が全国各地の寺院や城に足を運んだ際に、VRを組み込んだ双眼鏡のような装置やスマートフォンを活用してもらう。

 今は石垣しか残っていない史跡でも、VR技術を使えば戦国時代や江戸時代の迫力のある城の様子を目の当たりにできたり、当時の風景なども再現できたりする。

 より正確に再現するために文化庁が保有するデジタル文化財を積極的に活用するほか、VRを開発しているベンチャー企業の技術も支援する。

 ゲームでは、観光地を巡ると、VRによって街中に人気キャラクターが現れてお薦めのルートを案内したり食事の場所や宿泊施設を紹介したりすることが考えられる。

 コンテンツ作成に向け、来春、米国、英国のほかドイツ、フランス、オーストラリアなどの10カ国を対象に、インターネットを使ったマーケティング調査をする。

 在日外国人や観光に詳しい通訳を交えた有識者会議も新たに立ちあげる。

 外国人が日本でどのような「コト消費」に興味をもっているかを探り、VRコンテンツについても議論し、来年末をめどに観光推進に向けたガイドラインを作る。

 2016年の訪日客消費額は、前年に比べて8%増の3兆7476億円だった。中国人による“爆買い”は減っているが、消費額の4割を占めている。

 20年に8兆円の消費額を目指すなら、1人あたり消費額の大きい欧米からの集客を増やしていくことが欠かせない。VR体験を取り入れ、長期間にわたって日本を楽しんでもらう観光スタイルを提案するほか、リピーターの獲得につなげる。

 調査会社IDCジャパン(東京・千代田)によると、VRとAR関連の世界市場は21年に2150億ドル(約24兆2000億円)と、17年に比べ19倍の規模に膨らむという。

 世界の年間平均成長率は113%を見込んでおり、今後、運輸や教育、観光など様々な分野に用途が広がるとみられる。特に欧米では日本に比べて市場が急拡大している。

2017/10/03

10月13日、2016年。プミポン タイ国王 永眠

10月13日、2016年。プミポン タイ国王 永眠

/ sabaai  sabaai! Thailand  
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プミポン国王は18歳(1946年)から70年間にわたり国王をつとめました。

プミポン国王は農村を豊かにしようと各地に精力的に足を運びました。
国民は敬愛をこめて「国父」とよぶ様になりました

第二次対戦の頃には、東南アジアの国々は植民地になってしまいました。
タイだけが独立を守り通しました。

【※】東南アジアの宗主国と植民地

イギリス:ミャンマー。マレーシア
フランス:ベトナム。カンボジア。ラオス
オランダ:インドネシア
アメリカ:フィリピン

戦後、タイは農業国から工業化を目指し経済成長もしました。
しかし政治は不安定のままでした。
軍と市民はよく衝突しました。
クーデターも20回ほど起しています。

プミポン国王は、国民の敬愛と支持を背景に争いごとの調停者となって行きました。

首相とデモ指導者に和解を説くプミポン国王。1992年 暗黒の5月

1992年市民に軍が発砲する暗黒の5月が起きました。国王はデモ隊と軍の指導者を王宮に呼び出し、和解する様に説得しました。

双方の指導者は、国王の前にひざまずいて和解を受け入れました。
国王の影響力を全世界にまざまざと印象付けた場面です。

プミポン国王が、築き上げた絶対的な地位は、後継者に受け継がれることはないようです。

プミポン国王と昭和天皇  1963年。/AP


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ラーマとはタイ国王のこと

ラーマ1世は、ビルマ軍を撃退して、1782年バンコクにチャクリ王朝を建てました。200年以上続く東南アジア最古の王朝です。
プミポン国王は、9代目でした。

歴代国王は”ラーマ”の称号でよばれています。

ラーマは、インドの『ラーマーヤナ』の主人公です。ラーマは、ブッダの化身(けしん。生まれ変わり)です。タイの国王は、生き仏です。

王政は、社会の安定、秩序に役立ちます。
王政がゆらぐと、タイの政治は混乱します。

軍政が安定を保っているのも、プミポン国王陛下のご存在があってこそでした。

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国民の支持を失った王政は崩壊します。
ネパールの王政が崩壊したのは、王族同士の内紛で国民が愛想をつかしたからだ。

東南アジアは、植民地化され、王室もなくなってしまいました。

タイ王室が存続しているのは、植民地化、共産化しなかったからです。アジアでは、タイ、ブータン、日本が君主制です。


2017/10/02

10月7日、1821年。塙 保己一(はなわ ほきいち)没

10月7日、1821年。塙 保己一(はなわ ほきいち)没


塙保己一(はなわ ほきいち。1746- 1821)は、江戸後期の国学者です。埼玉県本庄市児玉町に生まれました。

5歳で失明し、賀茂真淵(かもの まぶち)から国学を学びました。

古書や古記録を『群書類従(ぐんしょるいじゅう)』670冊にまとめました。水戸の徳川家にむかえられ、『大日本史』の校正にもしたがいました。

菅原道真を守護神としていました。

塙保己一 【12+】

塙 保己一 資料館
3重苦のヘレンケラーも1937年に来館しました。

埼玉県立 塙保己一 学園  川越市笠幡

塙保己一 賞

シンガポール、起業家の卵、世界のVB(ベンチャービジネス)に 300社設立、成長担う 学生2200人派遣

シンガポール、起業家の卵、世界のVB(ベンチャービジネス)に 300社設立、成長担う   学生2200人派遣 

2017/10/1 nkを抜粋編集

 シンガポールがIT(情報技術)立国をめざし、国をあげて起業家を育成している。その中核的な役割を担うのが「アジア1位」と評価されるシンガポール国立大学(NUS)だ。この15年間で2200人超の学生をシリコンバレーなど世界各地のベンチャー企業に派遣。海外の武者修行を経て、多くの起業家が育った。新興企業の海外進出も支援する。技術革新を成長の起爆剤に位置づける小国の戦略は、多くのヒントを与えてくれる。

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 「多くの起業家と出会い、彼らが特別に賢いわけではないと思った。しかし、彼らは起業家に最も必要なビジョンと決断力を備えていた」。学生時代にNUSのプログラムで、シリコンバレーの上場企業で1年間、インターンシップを経験したデリアス・チョン氏(36)は当時を振り返る。

経営を間近で

 シリコンバレーで感化されたチョン氏は帰国後、携帯電話用のセキュリティー会社を起こした。その会社を軌道に乗せて米大手に売却した後、今は不動産のポータル(玄関)サイトを運営する。

 NUSのプログラムが人生を変えたのはチョン氏だけではない。海外サイトで買い物をする消費者に有利な為替レートを提供する事業を立ち上げたジン・ロン氏(24)は言う。「それまではゲームが好きな、どこにでもいるコンピューター工学専攻の学生だった。シリコンバレーでの1年がすべてを変えた」

 NUSが米スタンフォード大学と提携し、シリコンバレーに学生を1年間派遣するプログラムを始めたのは2002年。今や提携網は上海やイスラエルのテルアビブ、スウェーデンのストックホルムなど8都市に拡大。派遣された学生は2200人に達し、卒業生が立ち上げたベンチャー企業も300を超えた。

 プログラムの最大の特徴は世界中のベンチャー企業でインターンとして働き、経営の醍醐味や厳しさを肌で感じられる点だ。起業家のヴェラッパン・スワミナザン氏(31)は派遣先のシリコンバレーのベンチャー企業で、経営者が株主から退任を迫られる場面を目の当たりにした。

 NUS時代に海外で「武者修行」したこれらの卒業生は起業するだけでなく、官庁や大企業にも散らばり、シンガポールの成長の新たな担い手になりつつある。シンガポール政府は2月に打ち出した成長戦略でNUSの海外プログラムを例に挙げたうえで「こうした提携網をアジアにさらに広げるべきだ」とした。

 シンガポールが起業家育成に力を入れる背景には、高成長を続けないと世界の中で埋没するという小国ならではの危機感がある。面積は東京23区程度、人口はわずか560万人。水や食料、エネルギーなどの資源にも乏しい。そんな小国の発展の原動力は、貿易や金融のハブとなり、世界からヒトやカネを引きつけることだった。

深圳など台頭

 しかし、日本と同様に少子高齢化が急速に進み、成長率も今は2%台と伸び悩む。人工知能(AI)やビッグデータといった技術革新を取り込み、有望なベンチャー企業を育てることに新たな成長の芽を見いだそうとしている。テオ・チーヒエン副首相は「シンガポール経済は分岐点にある。国民はもっとリスクを取って挑戦する必要がある」と日本経済新聞に語っている。

 6億人を超える東南アジア諸国連合(ASEAN)の成長市場を取り込む布石も打つ。NUSは7月末、インドネシアの首都ジャカルタに起業家向けの支援施設を設けた。シンガポールのベンチャー企業が隣国に進出する際の足がかりとなる。女性用品を開発・販売するピーエスラブも施設に入る企業の一つだ。NUS出身で、創業者のタン・ペック・イン氏(29)は「東南アジアの人口の4割を占めるインドネシアの消費市場は魅力的だ。提携相手を探し、早く進出したい」という。

 もっともシンガポールの試行錯誤が花を開くかは未知数だ。シリコンバレーに人材、資金の厚みで遠く及ばないほか、アジアでも中国の深圳などが有望な新興企業の集積地として台頭している。政府に主導されたシンガポールの発展モデルが、自由で創造的な企業文化が欠かせないベンチャーの育成に適しているのかという問題もある。

 「貿易のハブ」から「革新のハブ」に生まれ変わる――。建国からわずか50年あまりでアジアで最も豊かな国の一つになったシンガポールの真価が問われている。

(シンガポール=中野貴司)

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シンガポールのランキング

  • NUS(Singapore National University)は、世界で22位。アジア1位。
  • 学習8到達度。15才児。読解力、数学、科学で首位。OECD
  • チャンギ空港は5年連続で首位。
  • 東南アジア6億の貿易のハブ。

2017/09/28

曹洞宗のページ

道元 : 只管打座(しかんただ)  『正法眼蔵(しょうぼう げんぞう)』  修証一等   ⇔ 親鸞:  悪人正機説

曹洞宗  白坂慎太郎 【13+】

高校倫理36 道元の曹洞宗はどうすれば悟れると説いているのか? 【13+】

改革派住職 本気の寺院経営【動画】

曹洞宗 見性院

改革派住職 本気の寺院経営 【23+】
    企業努力  定額  檀家制度(=岩盤規制)の廃止  開放系の経営  送骨サービス  永代供養墓3万円

橋本英樹 『お坊さんが明かす あなたの町からお寺が消える日 』(洋泉社)

橋本住職



檀家減少。不明朗なお布施。家族の寺から個人の寺に

「うちのお寺」今は昔 不明朗なお布施に嫌気
2017/9/27nk を抜粋編集

 村上●全(●はたまへんに深のつくり、しんぜん)さん(38)は山梨県内で8つの寺の住職を兼務している。臨済宗建長寺派寺院「花岳寺」(上野原市)はそのうちの一つ。室町将軍からの信任も厚かったとされる古先印元禅師が1340年に開山した歴史ある寺だ。

 9月上旬、村上さんの案内で、花岳寺を訪ねた。「歩きにくくてすみません」。山門から本堂までの参道は膝の高さまで草が伸び放題、本堂の入り口には大きなクモの巣が張っていた。

 30年ほど前に住職が死亡。京都から僧侶が移り住んだ時期もあったが、わずか3年半で出て行った。その後の十数年は「無住」になっている。

 檀家総代の男性(68)は「常駐の住職がいたら安心だが、なり手がいない」と肩を落とす。周辺地域では、檀家が300軒あればお布施だけで寺院経営が成り立つというが、現在の檀家数は200軒にとどまる。

 1人の僧侶が複数の寺の住職を務める「兼務寺院」は全国で急増。宗教専門紙「中外日報」(京都市)によると、仏教10大宗派6万1789の寺のうち、少なくとも1万2061の寺が無住・兼務寺院となっている。

 地方の人口減で経営が成り立たないことが主な原因だが、戒名料、読経料など、弔事にかかる費用が不明朗なことも寺から檀家が離れる背景にあるようだ。

 お布施の相場は地方や宗派によって違い、数千円から数十万円と差が大きい。いくら包めばよいのかはっきりしない寺にまつわる「お金」への戸惑いが寺への不信につながった面は否定できない。国民生活センターに寄せられたお布施を含む葬儀サービス関連の相談は2016年度に715件と、過去10年で1.8倍になっている。

 埼玉県熊谷市にある見性院の住職、橋本英樹さん(52)は「明朗会計」で生き残りを図る。12年に檀家制度を廃止してお布施は定額にした。永代供養墓は3万円から納骨でき、遺骨の郵送も受け付ける。利用者は日本全国に広がり、収入は3倍に増えた。

【※】見性院 

 「仏様を利用したビジネスだ」。旧檀家の猛反発を受け、周辺寺院との交流も途絶えたが、橋本さんは「透明化で信頼を取り戻さなくては生き残れない」。

 光明寺(東京・港)の僧侶、松本紹圭さん(38)は経営学の視点を檀家制度の改革に持ち込んだ。東京大卒業後に仏門に入った異色の宗教家だ。MBA(経営学修士)を取得し、12年に寺院運営を考える「未来の住職塾」を開いた。これまでに約500人の住職が参加。「寺業計画書」を提出してもらい、アドバイスを送る。

【※】お寺の未来 

 かつて寺院は地域社会の中心だった。松本さんは「先祖代々の寺ではなく、自分で寺を選ぶ時代になった」と考えている。昨年には「心のこもった葬儀ができるか」など10の基準を満たした寺を紹介するインターネットサイト「まいてら」を知人の僧侶らと開設。「現代に合わせた形で、もう一度『お寺のある生活』を提案したい」と話す。

【※】まいてら

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 仏教系団体、信者は8000万人? 檀家の寺離れが指摘される一方、文化庁の「宗教年鑑」では仏教系宗教団体の信者数は8千万人台と高い水準にある。各団体の自己申告に基づいており「実態を反映していないのでは」という指摘もあるという。
 文化庁は毎年、国内の宗教団体の信者数を調査。1949年の仏教系の信者数は約3695万人、90年には約9625万人と2.6倍に増加した。その後も8千万~9千万人台で推移している。
 信者数の集計は各団体に委ねられており、正確な統計を作るのは難しい。仏教にキリスト教、神道など他宗教の信者数を足し合わせると国内の総人口を超えることもある。

葬儀。檀家。寺院経営

 葬儀。檀家。

改革派住職 本気の寺院経営【動画】

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2017/09/26

パンダの名は、 シャンシャン (香香)。「香港」はなんて読む?



ジャイアント パンダの名が「シャンシャン(香香)」と決まりました。

「香」は、シアン (xiang)と読みます。

しかし、「香港」はなんて読みますか。
 「ホンコン」です。広東読み(=香港読み)です。
「ホンコン」は、中国では通じません。
標準語(普通話)では、xiang gang(シアンカン) となります。

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赤ちゃんパンダ 「シャンシャン」発表 「最終候補で応募最多」
小池都知事
2017/9/25 nk

 東京都の小池百合子知事は25日記者会見し、上野動物園(台東区)で6月に誕生したジャイアントパンダの雌の赤ちゃんの名前を「シャンシャン(香香)」に決めたと正式に発表した。理由について「(最終候補の)8案の中で応募が最も多く、選考委員の評価が高かった」と述べた。

 小池氏は名前の印象について「とても呼びやすいと思う。香りがするようなかわいらしい名前。花が開くような明るいイメージではないか」と語った。

2017/09/25

正岡子規の未発表句 。子規庵「歳旦帳」発見 未発表5句や自画像も

子規庵「歳旦帳」発見 未発表5句や自画像も 

2017/8/22  nk

 俳人の正岡子規(1867~1902年)の未発表句5句や自画像などが収められた「歳旦帳」が見つかったことが22日、分かった。東京の子規庵(あん)保存会が発表した。

 歳旦帳は子規が亡くなる前年、年始に子規庵を訪れた客が記帳した芳名録のようなもの。子規の俳句や自画像がこれだけまとまって発見されるのは珍しい。

【※】歳旦帳 さいたんちょう
前年中に歳暮などの句を集めた小句集

 見つかった俳句は〈寝後れて新年の鐘を聞きにけり〉〈暗きより元朝を騒く子供哉〉など正月の情景を簡潔に詠んでいた。生誕150年を記念して東京都台東区の子規庵で開かれる展覧会「子規の歳旦」で9月に公開される。〔共同〕

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正岡子規の未発表句
【※】正岡子規は、わかりやすい俳句をめざしました。

< 寝後れて  新年の  鐘を聞きにけり >

  上野・寛永寺の鐘を  除夜にではなく、 新年に「聞きにけり」


< 暗きより  元朝(がんちょう)を騒ぐ  子供哉 >

朝も暗いうちから、元日の朝を横丁で騒ぐ  子供たち


< うらうらと  初日の影や  枯木立(かれこだち) >

上野の山の  枯木立に  初日の光が差し込んでいる様子。


< 初夢や  巨燵(こたつ)ふとんの  暖まり >

初夢をみる条件がそろいぶみ。


< 留守の戸に  名刺投込む  御慶(ぎょけい)かな >

「御慶」は新年のめでたいあいさつ。

2017/09/24

鶯谷駅の子規庵

正岡子規の根岸・子規庵
子規庵<東京都指定史跡

子規庵



病牀六尺の舞台
正岡子規は、子規庵で、俳句の革新をめざして命を燃やしつくしました。子規庵は、旧前田侯の下屋敷の長屋でした。
高浜虚子、河東碧梧桐、伊藤左千夫、長塚節、中村不折がよく集まっていました。
夏目漱石、森鴎外、与謝野鉄幹も子規庵を訪れています。

< 漱石が来て  虚子が来て  大三十日(おおみそか) >

<  汽車過ぐる  あとを根岸の  夜ぞ長き >

享年34歳。

子規庵   【※】子規庵について  左上に MENU あり。English
    交通案内 :子規庵、笹の雪、ねぎし三平堂、書道博物館(中村不折)  鶯谷の山側は、谷中(やなか)、寛永寺。

正岡子規の未発表句 。子規庵「歳旦帳」発見 未発表5句や自画像も 

正岡子規の「子規」とはホトトギスのこと 

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「プレバト」の 夏井いつき は松山市の出身。
夏井いつきの100年俳句日記

2017/09/20

インドシナ半島、加速する交通網整備

インドシナ半島、加速する交通網整備
2017/8/17付  nk 岸本まりみ  :抜粋編集 桑原政則

インドシナ半島の東西回廊、南部回廊
中国からの南北回廊

 ASEANは着実に経済統合の歩みを進めている。既に域内ではほとんどの関税を撤廃した。ASEAN自由貿易地域(AFTA)が発効した1993年に11.4%だった平均関税率は、2015年時点で0.23%まで下がった。

 関税がほぼなくなった結果、モノの往来は膨らんだ。ASEAN各国の15年の域内向け輸出は3056億ドル(約34兆円)と、00年と比べ約3倍に増えた。自動車や電機など製造業を中心に域内分業が進み、国境をまたいだ部品などのやり取りも盛んになっている。

 2015年末にはASEAN経済共同体(AEC)が発足。ヒトやカネ、サービスの分野でも自由化推進を目指している。非関税障壁の撤廃などを盛り込んだ25年までの目標を掲げ、統合を進める考えだ。

【※】ASEAN経済共同体(AEC)
ASEAN Economic Communityの略。アセアン内の関税を撤廃。

 国境を越えたビジネスのカギを握るのが、各国を結ぶ道路や鉄道などの交通インフラだ。地続きのタイ、カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナムではASEANの大動脈の整備が加速する。

 幹線道路の「東西経済回廊」「南北経済回廊」は15年までにほぼ完成した。さらにベトナム、カンボジア、タイをつなぐ「南部経済回廊」も、バンコクからミャンマー南部のダウェーまでの延伸工事が進行している。

 中国の掲げる「一帯一路」構想に基づく高速鉄道計画も動き始めた。中国の雲南省昆明からシンガポールまでをつなぐ計画で、既にラオスで建設が始まっている。

 日系企業はこうした交通インフラを生かしながら、製造・物流網を広げてきた。南部経済回廊沿いのカンボジアの経済特区ではデンソーやミネベアが進出。東西経済回廊に近い、ラオスの経済特区にはアデランスやニコンが製造拠点を構える。

 同じ地域連合でも、通貨統合まで踏み込んだ欧州連合(EU)に比べると、ASEANでは経済統合のペースでは見劣りする。だが域内各国は人件費の違いなどを生かした分業により、ゆっくりと着実に連携を深めている。

(バンコク=岸本まりみ)


2017/09/18

【武蔵観研通信】225号:2017年9月18日

【武蔵観研通信】225号:2017年9月18日

★ アセアン

★ 川越、埼玉
  ● 埼玉県庁   ● 川越市役所   ● 10/14-15 川越まつり

★ 観光

★ 人物、名言
  〇 永六輔 「むずかしいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く」

  〇 ウォルト・ディズニー 「誰にでも締切が必要。締切がないと気持ちが緩んでしまう」

★ 徳川

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★ 余滴









  〇韓国:韓国では、民心が最高規範となり、国を動かしてしまう。
┗武蔵観研ホームページ  https://goo.gl/SCKbHU

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武蔵観研例会 9月19日(火)午後6時30分~ のおしらせ
どなたもお待ちしています。

例   会 :セミナー、近況報告、ショートスピーチ、座談
              セミナー 「川越にゆかりの地名」「川越太郎の養寿院」。 他
参加費・資料代:500円
日 時:9月19日(火)午後6時30分~8時ごろ
会 場:湯遊ランド・ホテル三光  川越市新富町1-9-1

電 話:090-2650-2136(当日のみ)

反"薩長史観"本が相次ぎ刊行:武田 鏡村

反"薩長史観"本が相次ぎ刊行  武田 鏡村 : 歴史家


最近よく聞かれるようになった「薩長史観」という言葉がある。明治維新を成し遂げた薩摩・長州(薩長)の側からの歴史解釈ということである。要は「勝者が歴史をつくる」ということであり、「薩長=官軍=開明派」「旧幕府=賊軍=守旧派」という単純な図式で色分けされた歴史観だといわれる。明治以来、政府の歴史教育はこの薩長史観に基づいて行われ、国民の「通史」を形作ってきた。

ところが、ここにきて、この薩長史観に異議を申し立て、旧幕府側にこそ正義があったとする書籍が相次いで刊行されている。原田伊織著『明治維新という過ち』を皮切りに、『三流の維新 一流の江戸』『明治維新という幻想』『明治維新という名の洗脳』『大西郷という虚像』『もう一つの幕末史』『明治維新の正体』といった書籍がさまざまな著者により刊行され、ベストセラーになっているものも多い。雑誌でも『SAPIO』(小学館)9月号が「明治維新 150年の過ち」という大特集を組んでいる。

来年の「明治維新150年」を前に、反「薩長史観」本がブームになっているわけだが、そもそもこの「薩長史観」とは何なのか。なぜここに来てブームになっているのか。このたび『薩長史観の正体』を刊行した武田鏡村氏に解説していただいた。

■「薩長史観」により偽装された幕末維新史

薩長史観――明治維新から太平洋戦争の敗戦まで日本人の心を支配し続けてきた歴史観のことである。それは、薩摩と長州が中心となって成しとげた明治維新は、頑迷な徳川幕府を打ち破って文明開化をもたらし、富国強兵によって世界に伍する国家を創り上げた、とするものである。

だが、薩長史観は明治新政府がその成立を正当化するために創り上げた、偽装された歴史観であることは、意外に知られていない。

それは、薩摩や長州が幕末から明治維新にかけて行った策謀・謀反・暴虐・殺戮・強奪・強姦など、ありとあらゆる犯罪行為を隠蔽するために創られた欺瞞に満ちた歴史観である。


そこには、天皇が住む御所を襲撃したという事実や、あるいは天皇を毒殺したのではないか、といった疑問がいっさい封印されている。

それにもかかわらず、明治新政府は、かつて自分たちが蔑(ないがし)ろにした天皇を絶対化し国民に忠誠を誓わせることで、血にまみれた犯罪の数々から目をそらさせ続けたのである。

しかも薩長史観では、日本は現人神(あらひとがみ)である天皇が治める神の国であり、天皇への絶対的な忠誠を示す愛国心こそが日本人の誇りであり、死をもって天皇に仕えることが日本人であるとする。これを徹底させたのが「教育勅語」であった。


靖国神社には「賊軍」兵士は祀られない

さらに薩長史観は、起こす必要のなかった国内戦争である戊辰戦争を、薩長などの「官軍」が行った正義の戦争と見なし、反抗した者を「賊軍」として排除し続けた

偏狭な愛国心と排外主義は表裏するものであるが、それを象徴するのが薩長によって創り上げられた「靖国神社」である。

靖国神社には「官軍」の戦死者は祀られたが、「賊軍」は排除されて、今日に至っている。

薩長は靖国神社を、愛国者を祀る「死の祭壇」とすることで、官軍の戦死者だけではなく、近隣諸国への侵略によって戦死した兵士たちを誇らしく祀り、国民皆兵による軍国主義の拡張を正当化したのである。それは太平洋戦争の敗戦まで続く。

ちなみに昭和天皇は、A級戦犯として処刑された東条英機らが靖国神社に合祀されたことを不興に感じられて参拝を取りやめられたが、薩長史観の信奉者たちは天皇の意向を無視して、相変わらず参拝を続けている。

これは、明治維新のとき、尊皇といいながら孝明天皇の意向を無視して武力討幕に走った薩長の軌道と重なるものがある。

では、明治維新から現代に至るまで「薩長史観」によって欺かれている歴史とはどのようなものだったのか。薩長にとって都合が悪く、あまり表立って語られることのなかった歴史の真実とはどのようなものなのか。


以下に象徴的なものを挙げる。

●吉田松陰は松下村塾でテロリストを養成して、近隣諸国への侵略主義を唱えていた。
●高杉晋作は放火犯で、テロの実行を煽(あお)っていた。
●木戸孝允は、御所の襲撃と天皇の拉致計画を立てていた。
●初代内閣総理大臣の伊藤博文は殺人者で、放火犯であった。
●西郷隆盛は僧侶を殺めた殺人者で、武装テロ集団を指揮していた。
●西郷隆盛は平和的な政権移譲を否定して、武力討幕の謀略を実行した。
●三条実美(さねとみ)は天皇の勅許を偽造して、攘夷と討幕運動を煽っていた。
●薩摩と長州は何食わぬ顔で攘夷を放棄して、代わりに尊皇主義を旗印とした。
●岩倉具視は女官を使って孝明天皇に砒素(ひそ)を飲ませて毒殺させたとうわさされていた。
●大政奉還でなされた「慶応維新」は評価すべきものだったが、薩長による武力討幕の前に粉砕された。
●「討幕の密勅」といわれる天皇の宣旨(せんじ)は完全に偽造されたものである。
●坂本龍馬の暗殺は、薩摩の大久保利通らが指令を出していた可能性がある。
●西郷隆盛は「薩摩御用盗(ごようとう)」を指揮して江戸市中を騒擾させ、軍用金を強奪させた。
●鳥羽・伏見の戦いで掲げられた「錦の御旗」は偽造されたものであった。
●戊辰戦争は薩長によって強引に引き起こされたものであった。
●大村益次郎は上野にいた彰義隊を不意に砲撃し、「官軍」は戦死者の肉を食ったとうわさされた。
●「官軍」は国際法を無視して捕虜や負傷者を惨殺した。
●「官軍」は会津などで強奪と強姦の限りを繰り返していた。
●帝国陸軍に君臨した山県有朋は、越後長岡戦争では裸同然で敗走していた。
●明治維新がなければ日本は外国の植民地になっていたというのは完全なうそである。
 

薩長史観は、こうした真相を隠蔽し続けて、現在に至っている。

なぜ「反薩長」本がブームになっているのか

ここにきて、薩長史観に異を唱える反「薩長史観」本ともいうべきものが続々と出されている。これは、明治維新から150年という時間が経過し、ようやくタブーなく歴史の真実を語れるようになったためかもしれない。ようやく国民が、明治政府の「洗脳」から解放されてきたといえるのだろう。

そもそも、上に挙げたような「真相」の数々は、特に異説でもなんでなく、歴史の事実を追えば容易にわかることなのである。



それが、明治以来の歴史教育により、知らず知らずのうちに「薩長=官軍=開明派」「旧幕府=賊軍=守旧派」という“刷り込み”が国民になされてきた。いわゆる「司馬史観」でさえもその呪縛にとらわれており、薩長史観の影響は現代に及ぶと指摘する声もある。

ところが、最近続々と出される反「薩長史観」本により、ようやく反対側(旧幕府)からの歴史観に初めてふれることになり、多くの人々が新鮮な驚きとともに共鳴しているのではないだろうか。それまで「明治維新」に対してモヤモヤ感じていた疑問が、すっきり解消したという人も多いようである。

また、イギリスのスコットランド独立投票に見られるような、世界的なローカリゼーションの流れも関係あるかもしれない。

今まで「賊軍」側とされてきた東北や新潟の人々が、官製の歴史観とは違った、自分たちの郷土の側に立った歴史の見方を知り、溜飲を下げたのではないだろうか。そして、自分たちの郷土に、それまで以上に誇りを持つようになってきているように思える。実際、会津や仙台などで、こうした反「薩長史観」本の売れ行きがいいと聞く。

本来、歴史の見方は多様であるはずである。戦争の勝者=権力者の側からの歴史観だけが正しいわけではない。地域ごとの歴史の見方があって然(しか)るべきではないだろうか。

いまはやりの地方創生も、こうした地元の歴史に対するリスペクトといったソフトパワーを抜きにしては語れないと思う。

今後、地域ごとの歴史の見直しの動きは、ますます加速していくのではないだろうか。


「薩長史観」の呪縛から解き放つ

そしてもう1つ、近年の歴史修正主義的な動きも背景にあるのではと思う。

明治維新から太平洋戦争の敗戦まで日本人の意識と思想を形成していたのは、薩摩と長州を中心としてつくられた絶対的な天皇主義、軍国主義、愛国心であった。それが、身の丈を超えた侵略主義、帝国主義へとつながっていく。そして、そのバックボーンとなったのが「薩長史観」なのである。

それはやがて日本を壊滅的な敗北に導いた。その反省から日本は徹底した民主主義と平和主義に徹するようになったのである。

だが近年になって、教育勅語の見直し論に見られるように歴史修正主義が台頭し、またぞろ薩長が唱えていた国家観が息を吹き返しているようである。いずれ稿を改めて書きたいが、歴史修正主義的な傾向の強い安倍晋三首相は「長州」出身であり、その言動には「薩長史観」が深く反映されている。

そんな風潮に対して、そもそも薩長が行った明治維新とはいったい何であったのか、という根源的な疑問が提示されるようになってきた面があるのではないか。そこを解明しないかぎり、日本の近現代史を正確に認識することはできない、という考えが「反薩長」本ブームの背景にあるように思えてならないのだ。

今、明治維新の歴史の事実と向き合うことは、薩長史観の呪縛を解き放つことにつながり、自由で活気ある平和な民主国家を追求する一歩となるのである。

そんな思いから今回、『薩長史観の正体』を刊行した。来年、「明治150年」を迎えるのを機に、新たな歴史の見方を知っていただきたいと思う。