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ホー・チ・ミン。1960年代のベトナム戦争を勝利に導いた民族英雄。Ho Chi Minh。9月2日没

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ホー・チ・ミン。1960年代のベトナム戦争を勝利に導いた民族英雄。Ho Chi Minh。9月2日没 ホー・チ・ミン 21歳 ・1890年5月19日 ~1969年9月2日没。79歳 ホー・チ・ミン(Ho Chi Minh  胡 志明)は、ベトナム独立運動を指導し、 ベトナム戦争を勝利に導いた民族英雄です。 清貧でいばらず、「 ホーおじさん(バック・ホー、伯胡)』の愛称で呼ばれています。 南ベトナムの旧サイゴンは、いまはホーチミン市です。 【名言】 「独立と自由ほど、尊いものはない」 (フランスの植民地におとしめられているときの言葉) ベトナムの紙幣  すべて ホー・チ・ミンの肖像 【※】 ベトナムの名称は漢字起源が多い  紀元前から中国の支配を受けたので、漢字由来のものが7割を占めています。     ホー・チミン    胡 志明     ハノイ                河内     ベトナム            越南  しかし、 ベトナムは、 高らかに、 中国の漢字を捨てさりました。 ・・・・・・・・・・・ ベトナムは、19世紀の中ごろからフランスに侵略されます。 「ベトナムを独立させよう!」 ホー・チ・ミンは、21歳のとき、 ふるさとの村を、あとにします。 イギリス、フランス、中国、ソ連で革命の思想を学びます。 1939年、第2次世界大戦が始まります。 1941年、ホー・チ・ミンは、 30年ぶりに故国に戻ります。 このときベトナムは、勝ち進んだ日本軍に侵入されています。 「フランスと戦え。日本と戦え」 ホー・チ・ミンは、立ちあがります。 しかし、軍隊にとらえられ、1年以上のあいだ、 各地をひきずりまわされます。 1945年、第2次世界大戦が終わると、 ベトナムの独立を宣言して、初代の大統領 となります。 ところが、フランスが、またも、進入してきます。 「われわれは、二度と、他国の奴隷にはならないぞ」 ホー・チ・ミンは、戦...

ベトナム韓国問答集(4000字超)。1996年

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雄君とおじさんは、1996年9月韓国経由でベトナムを旅しました。 この旅は、ベトナムと韓国が、共通点が多いことの発見の旅でもありました。 以下は、その問答集です。 おじさん:  今回は、韓国をざっと見て、ベトナムをじっくり旅してきたわけだけど、いろいろ発見があり、おもしろかったよね。 雄:  うん、韓国とベトナムが意外に共通点があるのにびっくりしたよ。 おじさん:  そうだね。韓国はベトナムとともに、 中国と地続きの半島にあるため 、歴史的運命がよく似ているんだよ。 雄:  ともに  儒教国家   で、  漢字圏   に属し、食事には箸(はし)を使ったりとか。 分断国家   の悲哀を共有しているしね。 おじさん:  うん、ともに  ミニ中国   だったんだよ。 国家体制も中国式だし、高級官吏は  科挙で   選んだし、知識人も中国式なんだよ。 ベトナムでも韓国でも士(し)といえば、日本と違って、武士のことではなく、文士のことなんだよね。 雄:  名前も中国式  だしね。 「ベトナム」は越南、「ホーチミン」は胡志明、「ハノイ」は河内だとわかるとなんだかとっかかりができるね。 実際、ハノイは、ホン川に囲まれた河の内にあるものね。 おじさん: 「中国の領土は、鶏の形をしているよね。 鶏のくちばしにあたるところが朝鮮半島で、脚にあたるところがベトナムなんだよ。 中国は昔からこれらの国を自分のうちの裏庭のように考えていたようだよ。   ホン(紅)川は、鉄分を含んでいるので赤っぽいのだよ。 日常のあいさつ言葉にしても、「ありがとう」は、     韓国語で「カムサ(感謝)ハムニダ」、     ベトナム語で「カムオン(感恩)」で、  漢字音は  両国に深く根付いているのがわかったよね。 雄:  韓国を経由してベトナムに入ったおかげで、ベトナムの食事にそれほど抵抗を覚えなくてすんだような気がするよ。 おじさん:  ほう。いいことに気がついたね。 韓国人は、東南アジアの食事には、日本人よりもずっと入っていきやすいよね。 雄: ホーチミン市の中央マーケットに韓国人の姿は見...

ベカラ3国とはベトナム、カンボジア、ラオスのこと

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ベカラ3国 1883年にベトナムは、中国への足場を狙っていたフランスの植民地にされました。 それ以降1945年までの60年間、「東洋の真珠」として、フランスに奉仕のみする道を歩みました。 ベトナム、カンボジア、ラオス は、まとめてベカラ3国とよばれました。

ベトナムコラム

べトナムはドラゴンの形 ベトナム(越南)の由来は? 首都ハノイは、河川の内側に ホンハ・デルタは、ベトナム民族発展の舞台 ベトナム史は北属南進史 チュン(徴)姉妹は、ベトナムのジャンヌ・ダルク ベカラ3国とはベトナム、カンボジア、ラオスのこと インドシナ戦争とは、対仏、対米独立戦争のこと 第1次インドシナ戦争 ホー・チミンは、ベトナム第1の民族英雄 朝鮮とベトナムは、常に中国が脅威 朝鮮とベトナムは、ミニ中国 朝鮮:ベトナム=日本:フィリピン ベトナム韓国問答集(4000字超) ベトナム華僑は、広東系 阿倍仲麻呂は安南節度使にも バンタン(文紳)は、村の権力者 村が集団としての最高の単位 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 桑原政則のコラム  Twitter(桑原政則のフェイスブック履歴)

漢字の伝来は紀元前2世紀

【書きかけ】 中国における漢字の誕生は紀元前13世紀である。 ベトナムには紀元前2世紀以降に入った。 朝鮮には紀元前3世紀以降に伝来した。 日本に入ったのは4世紀後半である。 ベトナム、朝鮮がいかに古くから中国の影響下にあったが、ここからもおしはかられる。 cf. 司馬遼太郎『人間の集団について―ベトナムから考える』中公文庫 近藤紘一『サイゴンから来た妻と娘 』文春文庫 『美味しんぼ』第66巻 ベトナムの卵(前編・後編):海老芋 ホビロン フォー カー・コム(ニョクマムの原料) サイゴン春巻き タマリンド マムネム 

ニョクマムは魚醤

【書きかけ】  △△△△△ △△△△△は、小魚に塩やニンニクなどを加えて、瓶の中で重しでつぶし、発酵させた魚醤である。匂いは独特のものがある。米飯とニョクマムがベトナム農民の最も簡素な常食である。 魚醤は東南アジアを代表する調味料で、カンボジアではタク・トレイ、タイではナム・プラー、フィリピンではパティスとよばれる。秋田県の「しょっつる(塩汁、のなまったもの)」も魚醤 である。 《A》 ニョクマム

ニワトリのチャボはチャンパから

【書きかけ】  △△△ 【画像】 △△△【画像】は、愛玩用の小型の鶏である。江戸時代の初期にチャンパから渡来したためにこの名がついた。世界的に愛好者が多く、各国にバンタムクラブ(Bantam clubがある。 《A》 チャボ 

チャム人仏哲は、林邑楽を日本に紹介

【書きかけ】  チャム人 仏哲 チャム人仏哲は△△△△の音楽を日本に伝えたことで知られる。インド人のバラモン僧とその弟子の仏哲は奈良を訪れ、聖武天皇や仏教僧から歓待を受け、752年の東大寺の大仏開眼(かいげん)の法要にも列席した。 大仏開眼とは、大仏ができあがった時の魂を入れる儀式のことをいう。仏哲が日本に伝えた音楽は今でも雅楽「林邑楽 (りんゆうがく)」として残っている。林邑とはチャンパの中国名である。 【cf.】チャボ

「失われた王国」チャンパ

【書きかけ】 インドネシア系に族するチャム族の国チャンパは、 2世紀以来ベトナム中部以南 の海岸沿いを版図とする典型的な△△△型の国家を営んでいた。チャンパは東南アジアにおけるインド文化圏の東方フロンティアであった。 しかし10世紀以降中国から独立したベトナムに執拗に圧迫され、その南進政策のために次第に領土を奪われ、ついに 17世紀の末に滅亡 、民族は四散し「失われた王国」となった。現在では、中部ベトナム各地に残るチャム碑銘や美術建築がわずかに当時の王国の栄光を伝えるのみである。 チャム族の人口は現在は13万人を数えるのみで、ベトナム(2万人)、カンボジア(11万人)で細々と暮らしている。現在ベトナム中部のチャム族は仏教徒で、ベトナム南部およびカンボジアのチャム族はイスラム教徒である。もともとチャム族は、海の方から北上して来た民族である。

チュノムとは、ベトナム製漢字

【書きかけ】  △△△△ 【画像】 △△△△【画像】とはベトナム製の漢字で、14世紀より伝わりました。 18-19世紀の文学作品にチュノムによるものが多いです。 20世紀に入ると、現行のローマ字表記法クォックグー(国語)に変わられた。 韓国、北朝鮮でも漢字廃止路線を走っている。

アオザイは、ベトナム女性の民族服

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【書きかけ】  △△・△△(上着+長い) 【画像】 アオ・ザイ(上着+長い)はベトナム女性の外出着です。 中国風の立てえり、前開きの丈の長い上着とゆったりした白無地のスラックスからなリます。 外出時にはこれに麦わらの笠型の日除け帽をかぶります。 竹のようなしなやかなベトナム女性にはこれがよく似合います。 中国の伝統をベトナムの風土に同化させた好例です。   説明を追加 下校風景   説明を追加

ベトナム人とカンボジア人・ラオス人の違いは、文明のちがいから

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【書きかけ】 ベトナム人は、隣国のカンボジア人やラオス人と比べると、器用あるいは小ずるいといわれます。 のんびり屋で生産性の低い仕事をやっているカンボジア人やラオス人に対し、ベトナム人は強い優越感情をあらわします。 旧宗主国のフランス人もベトナム人を警察官や官吏として重用しました。 ベトナム人とカンボジア人やラオス人の気質の違いは、文明の型と環境が違うからであって、先天的なものではありません。 カンボジア人やラオス人は インド文明を受容してきており、そのため目先のことにこだわらず諦観的・瞑想的です。 また戦闘や人との競争を好みません 。 しかし現実を重んずる中国文明を2000年も受容してきたベトナム人は、頭の回転が早く、すばしこく、商才があり、手先が器用です。 したがって、機械の修理がたくみであったり、働き者であったりするような資質を自然につちかうようになリました。 これは、中国文明の影響を受けた日本や朝鮮においても同様です。 路上の靴修繕屋 自動車の古タイヤで靴底を再生  1996年 路上の自転車修理店 オートバイ屋の 若い主人

安南は、ベトナムの旧称

【書きかけ】 安南はベトナムの旧称です。 唐が植民地ベトナムにおいた安南都護府の名に由来します。 中国は19世紀までベトナムを安南とよんでいました。 またフランス植民地時代には、     ベトナム北部がトンキン、     中部がアンナン、     南部がコーチシナ とよばれていました。 安南は「 南を安んずる 」といった意味があるので、ベトナム人は好みません。現在は用いません。 《A》 安南

バンタン(文紳)は、村の権力者

バンタン(文紳、vantan)は、下位の科挙の試験の合格者で、 村の実権を握っていました。 19世紀末の暴動の指導者の多くはバンタンでした。 バンタンは、 朝鮮のヤンパン(両班)と同様、読書人階級で、社会的役割は似たところがあリます。 「士農工商」の「士」は日本では武士ですが、中国、ベトナム、朝鮮では文士の士です。  

村が集団としての最高の単位

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ハノイ郊外の村。1996年 ベトナムでは村が集団としての最高の単位であり、ひとびとは先祖以来、村で生活し、守りあってきました。 村は  「皇帝の法令も村の垣根でとまる」 ほど強い自治権を持ち、 中央政府とはタテの関係でなく、ヨコの関係にありました。 村は、いわば国の中の国として、強い自治権を持ち、自立的排他的な共同体をつくっていました。  

阿部仲麻呂は安南節度使

【書きかけ】  □□仲麻呂(701-770) 「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」とよんだ阿部仲麻呂(701-770)は、奈良時代の遣唐留学生で、科挙の試験に合格し、玄宗皇帝につかえ、詩人の李白などとも交友があリました。 仲麻呂は安南節度使としてハノイに2度にわたり 駐在しました。 節度使とは、唐の時代の辺境要地の軍団の長のことです。辺境諸州の民政、財政を司ったため、私兵を養い強大な力を蓄えた者もいます。 

ベトナム華僑は、広東系

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ボート・ピープル( ※)Smithonian Insititute かつての南ベトナムには、ベトナム系華人が居住していました。 ベトナムの社会主義化により、迫害を受け、100万人以上がボート・ピープルとして国外に逃れました 。 アメリカなどでは、これらの華人はベトナム人として扱われています。 現在では、かなりの者がベトナムへ帰ってきているようです。 華僑の民族グループは、福建、潮州、客家(はっか)、広東に分けられます。 ベトナム華人は広東出身です。 広東は、ベトナムのすぐ北にあります。 香港も広東圏の一部です。 広東系は日本人に一番似ています。

朝鮮:ベトナム=日本:フィリピン

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朝鮮、ベトナムは中国隣接の半島国家 :(※) あるものの実体を知るためには、まずそれと似たものとの比較をおこなうのが常道です。 しかし、あまたの「朝鮮・韓国論」には、ベトナムとの対照研究をおこなったものがまずありません。 ともに、中国に隣接する半島国家です。 また「日本論」においても、フィリピンとの比較をおこなったものはまずありません。 ともに中国からある程度離れた島国国家です。 韓国と日本を、比較する場合には、次の図式も忘れてはならないでしょう。 日本が儒教国家でないのは、イギリスがラテン文明国家でないのと同様 です。 朝鮮民族は、儒教の観点から、中国を父、日本を礼節が足りない弟と見がちです。 これはまちがいです。 日本は、儒教国家ではありません 。 朝鮮民族の日本観のまちがいの根本はここにあります。 朝鮮民族は、自らをベトナムと比較するところから始めましょう。 (※)http://www.docstoc.com/docs/3756052/ASIA-MAP-MONGOLIA-TURKEY-CYPRUS-LEBANON-TEL-AVIV-ISRAEL-NORTH

朝鮮とベトナムは、ミニ中国

朝鮮とベトナムは、ミニ中国 朝鮮とベトナムは、その歴史的運命が酷似しています。 たとえば、     漢字圏 に属し、     儒教国家 で、     食事には 箸 を使います。     今に至るも朝鮮、ベトナムの 姓名 は中国式です。 【※】 漢字圏 ベトナムは「越南」(中国の越の南)、ハノイは「河内」、ホーチミンは「胡 志明」より。 両国は、中国と地続きの半島にあったため、中国の影響をもろに受け、 中国式国家体制 をとり、 中国式知識人階級 をもちました。  【※】  日本は、儒教国家ではなく、読書人ではなく士農工商の 武士が柱 でした。> ベトナムは直接間接に中国の支配を2000年間受け、朝鮮は2000年間に500回の侵略 を受けたといわれています。 また 中国式官僚体制は、内治には強いが、外圧には弱い という弱点があったため、     朝鮮の李朝は日本に簡単に侵略され、     ベトナムのグエン朝はあっさりとフランスの植民地にされてしまいました。 儒教史観の根本は、「万古不易(ばんこ ふえき)」 (=歴史の法則は変わらない)ということです。 このため、新しいものや、外の変化を認めようとせず、 外敵に弱い です。 また最大の徳目は、「親に孝」です。 子は自分の親が生きている限り、従わねばならず、新しいことができません。 これが大きな問題点です。 なぜならば、年寄りは、保守的で、変化を好まず、新しいものを認めたがらないからです。

朝鮮とベトナムは、常に中国が脅威

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朝鮮とベトナムは、常に中国が脅威。中国が ニワトリで、クチバシとアシは? 中国はニワトリ。クチバシとアシは? 中国の近隣諸国は、隋(581- 618)、唐(618- 907)のような大陸を統一する大帝国ができると、大きな畏怖と衝撃を受けます。 とくに半島国家の朝鮮、ベトナムは逃げることができないので、一大事です。 逆に中国が四分五裂の状態が続くと、中国は膨脹政策をとることができないので安心です。 近隣諸国にとって、 中国が分裂状態の方が望ましい のは、今も変わリません。 日本では 、中国からの脅威を感じ、     聖徳太子の摂政政治(593)から大化の改新(645) に至る過程で、これまでの部族国家をにわかづくりの統一国家に仕立て上げました。 統一日本の歴史はこの時期に 始まります。 日本と似た環境のフィリピンは、わずかに中国から遠かったために、脅威を感じず、スペインに支配されるまでのんびりと部族国家(村=国)のままでした。 漢民族は、海が苦手で、 台湾へ最初に進出 したのも、中国ではなく、 オランダ が最初でした。 しかもそれは中国の長い歴史から見れば、つい最近の 1624年 のことでした。 日本と比べ、中国と地続きの朝鮮半島の場合、混乱はもっと深刻でした。 隋の侵攻を受け内乱が続きました。 やがて新羅が唐の支援を受け、百済を、次いで高句麗を滅ぼし、半島を統一しました(676年)。 唐の時代には、668年に北朝鮮のピョンヤンが唐の直轄領となり、安東都護府が置かれました。 都護府とは、唐が設けた中国辺境異民族の統治機関です。 都護(長官) のもとに、地元の王を地方官に任じて、間接的な支配をおこないました。 以後朝鮮半島は20世紀初頭に至るまで中国の儒教体制の優等生となり、ミニ中国国家となりました。 ベトナムは以前から中国の支配を受けていましたが、 中国の国力が弱いと一揆、反乱を起こし反発 していました。 しかし、隋の出現と同時にきびしい攻撃にさらされました。 唐の時代には、679年にハノイが直轄領となり、679年安南都護府が置かれました。 このとき阿倍仲麻呂は、安南の都護をつとめました。 【※】「天の原 ふりさけ見...