2017/08/21

ASEANは政治の安定を。糠谷英輝

留意すべきASEANの政治動向
2017/8/17  NKを抜粋編集

 アジア通貨危機から20年が経過し、東南アジア諸国連合(ASEAN)の加盟国では危機対応が進んだ。域内諸国は堅調な経済成長を続け、経済に問題はない。課題は政治にある。

 主要国のタイでは軍政下でタクシン派と反タクシン派の分断が続き、新国王も政治への関与を強めつつある。民政への転換も見通せない。

マレーシアではナジブ首相の汚職問題が晴れない一方、イスラム化が進む方向にある。

 インドネシアでは、ジャカルタ州知事選を契機にイスラム主義を強硬に唱える一派が力をつけた。政治目的での宗教の利用であるにせよ、多元主義と社会の調和が脅かされている。

フィリピンではドゥテルテ大統領がこれまでの政策を一転。親中・反米政策を進め、ミンダナオ島ではイスラム過激派との戦いを繰り広げている。

 域内で最も安定していたシンガポールでも、国民の経済格差に対する不満が高まる。シンガポール初代首相の故リー・クアンユー氏の遺言を巡る、リー・シェンロン首相と家族の争いも影を落とす。

 政治状況の安定は海外から資金を導く前提条件である。ASEAN諸国の経済成長は外資が主導した面が大きく、政治の安定が持つ意味は大きい。アジア通貨危機後の経済成長は国内の格差問題なども生んだ。経済成長の過程で生じる問題であるが、それを解決するのは政治であり、対応を誤れば社会不安の激化が避けられない。

 地域に大きな影響を与える米国と中国の間にも緊張が増している。また域内諸国と両国との関係も不安定だ。経済が成長したASEANも政治面では未成熟な民主主義にとどまる。政治が経済を傷つけることに留意が必要だろう。

(広島経済大学教授 糠谷 英輝)

【※】アジア通貨危機(Asian Financial Crisis)
1997年7月よりタイを中心に始まった、アジア各国の急激な通貨下落)現象。

東アジア通貨危機「マレーシアの独自路線」 〜 竹下雅敏 【3+】

8月22日。1943年。島崎藤村 没。

8月22日。1943年。島崎藤村 没。

島崎藤村(1872年3月25日ー 1943年8月22日)は、詩人・小説家です。岐阜中津川市の本陣(大名が泊まった宿舎)を兼ねる旧家に生まれました。
1897(明治30)年,詩集『若菜集』@例@で近代詩の扉を開きました。1906年に長編小説『破戒』により自然主義の文学の第一歩を記しました。他に、『夜明け前』、『千曲ちくま川のスケッチ』も有名です。

島崎藤村の記念館 



2017/08/17

ユーグレナ社 出雲充(みつる)。こち亀、ドラゴンボールから着想

ユーグレナ社 出雲充(みつる)。こち亀、ドラゴンボールから着想  

2017/5/13  NKを抜粋編集  リーダーの本棚


 東大発ベンチャーの旗手。ミドリムシ企業を生んだ原動力は2つの超大作コミックにあった。

 両親も私も活字中毒です。父は歴史小説が大好きで、本が部屋を埋め尽くしていた。充実度は近所の書店以上でした。小学生のころは子供向けの伝記や漫画版の日本の歴史、そして漫画にたどり着きました。



 「こち亀」との出合いは50~100巻の時代。急にベンチャーや企業再生の話になるんです。駄菓子屋を両さんがプロモートするとか。

 両さんが釣り糸にスルメを付けて大量のザリガニを釣る話が85巻にあります。私も小遣いを稼ごうと弟と池に行きました。スルメでもポッキーやイチゴでもだめで、割けるチーズを使ったら何十匹と集まった。チーズから低分子のアミノ酸が溶出して触覚を刺激するわけですが、当時は分からない。でも漫画をまねして手を動かし、面白い体験をしました。

 全200巻、言い訳が1コマもない。お金や学問やコネがないからできないと決して言わない。起業家に一番必要な態度じゃないですか。ユーグレナを創業して500社回っても受注ができず落ち込んだときに読み「そんなこと言っても仕方がないな」と元気になった。伊藤忠商事から提携話が来たのはその直後です。

 ミドリムシのヒントは『ドラゴンボール』の8巻に出てくる仙豆(せんず)です。1粒食べれば10日間空腹にならない。魔法の豆を探した先に、植物と動物の59種類の栄養素が入ったミドリムシがありました。

 漫画と活字の本に違いを感じないか? 難しいことを聞かれますね。子供時代から全く同じ存在です。

 難局を頑張り抜いた経営者の伝記に自らを重ね合わせる。


 会社が鳴かず飛ばずのときに、自分より大変だった経営者はいないかと探して、ヤマト運輸の小倉昌男さんの本を見つけました。「宅急便」がないときから国の規制と闘って道を切り開いた。その経験と哲学を自分自身で書かれているところにすごみを感じました。

 周辺の本も勉強して出合ったのがリコー三愛グループの創業者である市村清さんの伝記『茨と虹と』です。最初からめちゃくちゃです。佐賀の本当に貧しい家で仲良くした牛を奪われたときの悲哀。病気をマラソンで克服し、上海で上役の横領容疑をかばって監房で暮らす。その人が戦火を乗り越え、リコーという光学系で断トツの技術の会社を率いていく。技術を社会に還元するという意味でも、いまの仕事にとって非常に勉強になります。二人の話に「ああ、自分は本当に大変じゃないな」とつくづく思いました(笑)。

 大学1年の時、バングラデシュへ。マイクロファイナンスを発案したユヌス教授と出会う。

 尊敬する先生からいつも勇気をもらっています。私にとって最大のメンターであり、神様のような存在です。ユヌス先生の自伝は私の一番の座右の書で、何回も読み返しました。第7部の40章で「この壮大で、狂った、正気とは思えない、不可能な夢を現実のものにしよう! 私たちは貧困なき世界を作ることができる!」という言葉は暗記してたびたび思い出しています。

 「Have fun」、楽しくないとダメ。これが先生の決めぜりふです。大変なときだけでなく、楽しかったときや良い発表ができたときにも自分を勇気づけるために読みます。今年77歳になるのに満足せずにすべてを懸けてまだ頑張っている。私の会社はまだ総勢約250人。慢心したり油断したりなんて、ユヌス先生が生きている限りはありません。

 米航空宇宙局(NASA)の技術者が高校時代、友人と4人でロケットを飛ばそうと夢を追いかけた『ロケットボーイズ』も好きです。04年に米バブソン大学の集中プログラムに1カ月参加した時のテキストで、本のエピソードから体験談を学生同士でシェアしました。今でも壁に突き当たったときに読みます。

 速読で年に200冊は読みます。好きな本は擦り切れるまで何回も。石垣島の工場に年に二十数回行く際の往復3時間半のフライトで4冊。新幹線や飛行機も読書の時間です。

 皆さん、読書に効率や目的を求めすぎでは。それでは新しい本を読まなくなるでしょう。全然関係のない、遠くにあるものに、本という形ですぐ接することができる。それが本の一番の価値だと思います。

(聞き手はコメンテーター菅野幹雄)

いずも・みつる 1980年生まれ。東大在学中にバングラデシュで食料問題に接し、銀行勤務を経て05年にユーグレナを設立。ミドリムシ大量培養に成功した。

出雲充 wp

2017/08/15

【武蔵観研通信】222号:2017年8月15日

【武蔵観研通信】222号:2017年8月15日

★IT、パソコン  


★ アセアン


   >シンガポール


★ 川越、埼玉
  〇 埼玉の「名低山」伊豆ケ岳、四阿屋山。


★ 観光
 〇 休日の分散を:日本の学校では、部活動があるし、学校がすべて。そして上下関係をすごく重視。会社に入ると会社がすべてになってしまう。企業ではトップに就く人は内部昇格だ。ドイツでは、トップになるような人は1、2回は転職してキャリアアップする。内部昇格しか選択肢がないと会社への忠誠心競争になってしまう。日本は成功してもあまり評価されないが、失敗したときの罰が大きい。休日は分散して取れるように。(略述)


★ 健美医


★ 宗教


★ 人物


★ 徳川コラム


★ 本
  〇 ケント・ギルバート『ついに「愛国心」のタブーから解き放たれる日本人』   日本人はなぜ「愛国心」を危なく感じるのか? 


★ 余滴
  〇 スペースマーケット  スペースの貸し借り。月5000件。
  〇 世界&トランプ:自前の羅針盤が必要。学級崩壊、機能不全。アメリカは劣化し、ジャングル化。エゴ丸出しのアメリカ中国ロシア、 安保理の常任理事国なのに。
  〇 知の再武装が必要に:社会人の学び直し制度(リカレント教育)を。オンライン講座。教育投資が日本のカナメ。コンピュターサイエンス(AI)、世界史、…。
  〇 安倍政権:内閣人事局の新設→ 官僚人事を首相官邸に→ ヒラメ官僚の急増。
  〇 2016年生まれは、 90歳まで生存:男性は4人に1人、女性は半数が90歳まで生きる。

渋沢 栄一:志実現を中断し、旧主・旧臣の救済に

渋沢 栄一:志実現を中断し、旧主・旧臣の救済に 

JA 2017.08.13  【童門 冬二(歴史作家)】

◆幕府消滅で送金停止

 フランスのナポレオン三世は、慶応三(一八六七)年にパリで万国博覧会を開いた。世界各国の元首に招待状を出した。日本にも来た。時の将軍徳川慶喜は、ナポレオン三世と仲よしだったので、弟の昭武(慶喜と同じ旧水戸藩主徳川斉昭の息子)を派遣することにした。使節団を構成し、いろいろな実務をおこなう事務長に渋沢栄一が命ぜられた。栄一はそのころ、慶喜に登用されて幕府役人となり財政を担当していた。

  慶喜は栄一に、
「弟の昭武はまだ十四歳なので、万国博が済んだあともヨーロッパに留学させたい。その面倒も頼む」
 と告げた。栄一はこのとき二十四歳である。が、博覧会への参加行事はスムーズに進んだが、日本においてとてつもない政情変化が起こった。

  この年(1867年、慶応三年)十月十四日に、慶喜が朝廷に「大政奉還」をおこなったことである。引き続き、十二月九日には「王政復古」の大号令が出て、新政府が樹立された。この時点で、徳川幕府は消滅してしまった。その余波がパリにも届いた。はっきり言えば、昭武をはじめとする使節団に対する送金が絶えてしまったことである。栄一は頭を抱えた。

  このとき、パリに本店を持つナショナルバンクの頭取フェラーリという人が訪ねてきた。フェラーリは、かねてから栄一を見ていて、主人昭武への奉仕の姿勢や、同僚たちへの面倒見のよさを見て、
「これこそ、日本の武士道なのだ」
 とひどく感心していた。そこでフェラーリは、
「ムッシュ・シブサワ、お困りでしょう」と持ちかけてきた。栄一は正直に、
「本国からの送金が絶えたので、帰国の費用もどうしようかと悩んでいます」と答えた。

  フェラーリは、
・フランスでは、公共事業に対しても市民が拠金する。その拠金額に応じて、もしも事業で益を生じたときは配当をおこなっている
・それらの金融を扱うのがわたしのナショナルバンクだ
・もしムッシュ・シブサワに残金があればお預けなさい。帰国の費用ぐらいなんとか生んでさしあげる
 と申し出た。栄一は感に入った。それは、フランスにおける合本(資本を集める)主義と銀行の存在だ。

  日本の金融制度は質屋や大手商人の扱いで制度としては相当に古い。栄一は、
(日本に戻ったら、ぜひこの二つを自分の手で実現しよう)と、大きな志を抱いた。生きてきて初めて「自分のやるべき仕事」が発見できた。

 フェラーリの世話で、日本使節団は無事に帰国した。栄一はまず旧主人の慶喜の行方を探した。そのころ慶喜は、静岡にいた。ある寺に入ってひたすらに新政府(天皇政府)に恭順の意を表していた。そして、驚いたことに静岡の町には、旧幕臣が家族連れで群れていた。中には野宿をしている者もいる。新政府は、徳川家に大名の資格を許し、静岡で七十万石の領地を与えていた

  それを知って、旧幕臣が家族連れで一斉に訪れていたのである。しかし、七十万石というのは旧幕府の収入からすれば、五分の一ぐらいになる。全員を再雇用することができない。そのため、旧幕臣たちは困窮のきわみに達していた。

道徳と金融の一致 

 栄一が会った慶喜はひげぼうぼうでやつれていた
「朝敵の汚名が除かれるまでは、ひげもそらない」と慶喜は言った。その姿に栄一は胸をえぐられた。日本に戻ったら、すぐ合本主義(株式)と銀行の設立を自分の手でおこなおうと勢い込んで日本に戻ってきたのだが、そのモラール(士気・やる気)が萎えた。パリでフェラーリが感動したように、栄一にはもともと〝日本人の精神〟が横溢している。かれの場合は、
「困っている者への共感」だ。やつれた慶喜と、町に群がる旧幕臣たちの困窮の姿を見ては、栄一は自分一人だけ東京に行って志を遂げることがどこか躊躇するものがあった。

  栄一はこのとき、
(志の実現を中止し、慶喜公と失業している旧幕臣たちの救済に力を注ごう)
 と方針を転換した。しかし、このとき栄一が打った手は、必ずしもかれの志と遠いものではなかった。かれは失業幕臣の救済にある組織をつくった。「静岡商法会議所」と名づけた。県内の富豪を説得して歩き、旧幕臣救済のための拠金を求めた。基金をつくると、これに政府が各大名家に新貨幣の普及を求め、石高一石について一円の割合で貸付金を出した。十三年の返済期間だ。利子は安い。渋沢はこれも活用した。

  かれは、幕臣たちの生業に「茶の生産」を選んだ。それは、横浜に着いたとき対外貿易の日本の目玉品が、生糸とお茶だったからだ。生糸の生産は難しい。しかし茶なら旧幕臣たちにもなんとかやれるだろうと踏んだのである。土地と家屋を用意し、また茶の生産の研修もおこなった。農耕具も買い込んだ。その資金に、静岡商法会議所の名で集めた拠金を充てた。言ってみれば、これはフェラーリから教えられた「合本主義」の日本版で、また商法会議所の仕事はそのまま金融であった。つまり、栄一が東京で実現しようとした志の静岡版だったのである。

 この事業は成功する。政府から借りた金も栄一はたちまち返納した。これに気づいた政府の財政担当者がびっくりした。
渋沢栄一を新政府に招くべきだ」という声が起こり、渋沢はやがて大蔵省に招かれる。そして租税制度を一挙に変える。年貢という米の現物納入を、不安定な国税制度だとして、土地に課税することに変えた。しかも現物ではなく「金納」に変えた。しかし一連のこの渋沢の事業進展は、あくまでもかれの胸の中にあった、
「弱い者を見捨てない」という日本人特有の温かい精神に基づくものだ。だからこそ、パリのフェラーリが感動し、「フランスにない美しいスピリットだ」と賞賛したのである。

 渋沢は明治六年に日本で初めての銀行を設立する。このとき銀行員に告げたのは、
論語とソロバンを一致させてほしい」ということだ。つまり「道徳と経営の一致」を願ったのである。そしてかれは弱者救済の二本柱として「老人と子供」の福祉を企てた。東京市立養育院はその所産だ。ここに孤児院も併設した。そしてかれ自身が、東京市長に頼んで初代の養育院長になった。かれはその後数百の会社を起こす。しかし、昭和二年に九十二歳で亡くなるまで、
「東京市立養育院長」
 という肩書は、名刺から消したことがなかった。当初の志を中断し、旧主・旧臣の救済に励もうという決断が、そういう温かい結果をもたらしたのである。

脳が休まる「最高の習慣」

悩み別にマインドフルネス 脳が休まる「最高の習慣」 
日経ウーマン  2017/8/15

 休んでも疲れがとれないのは、脳の疲労が原因。「マインドフルネス」で、脳の疲労を回復しましょう。
■脳の疲れが取れると平日も週末も楽しめる
 「現代人は、自分で思っている以上に脳が疲れた状態です」と指摘するのは、医師の久賀谷亮さん。「ネットやSNSの影響で、脳や心があちこちへと『さまよう』場面が多い上、生産性を求めるあまり、マルチタスクになりすぎて脳がリラックスできない。そのまま放置しておくと、『幸せ度』も下がります」
 自分ではボーッとしていると思っても、脳は活動を続けている。蓄積していく疲れを取るには、休日に「何もしない」時間をつくることが大切。その際に有効なのが、マインドフルネスと呼ばれる「脳の休息法」だ。
 「自分の呼吸や感覚に意識を向けることで、さまよう心を『今ここ』に戻すことができる。それにより、脳の過剰活動が抑えられ、疲労感が消えていきます。続けていくことで、仕事のパフォーマンスも、休日の充実度もアップするはずです」
 久賀谷さんが提案するマインドフルネスメニューを紹介しよう。
 
■悩み:週末にやらなくちゃいけないことばかり浮かぶ…
→「マインドフルネス呼吸法」で脳を鎮める
[効果:感情が穏やかに・雑念がスッキリ・ストレス低減]
1.基本の姿勢をとる
 椅子に座る。背筋は軽く伸ばし、背もたれから離す。手は太ももの上に置き、脚は組まない。静かに目を閉じる。
基本の姿勢
2.体の感覚に意識を向ける
 足の裏が床に着いている感覚、お尻が椅子に触れている感覚、体が地球に引っ張られる重力の感覚などに意識を向ける。
体の感覚に意識を向ける
3.呼吸に注意を向ける
 鼻呼吸がおすすめ。鼻を通る空気や、息を吸ったり吐いたりすることで胸やお腹が動く感覚、吸う息と吐く息の温度の違いなどに意識を向ける。「深呼吸をしたり、無理に呼吸をコントロールしたりする必要はありません」
4.雑念は「認めてあげる」
 悩み事や今日あったこと、やらなくてはいけないTO DOなどが浮かんだら、「雑念が浮かんだな」と思って、再び注意を呼吸に戻す
■悩み:仕事のトラブルが頭をグルグル…
→「マインドフルネス呼吸法」 + 「モンキーマインド解消法」で考え方をチェンジ
[効果:グルグル思考が止まる・集中力が高まる・自己嫌悪がなくなる]
1.マインドフルネス呼吸法を10分続ける
 基本のマインドフルネス呼吸法で「いまここ」に意識を向けることで、過去の出来事や未来の不安などに向かっていた心を「現在」に戻す。
2.「賢者の目線」で考える
 尊敬する人や、歴史上の偉人、憧れの先輩だったらどう考えるか想像してみる。「物事を違う角度から見ることで、凝り固まった考え方から解き放たれます」
「賢者の目線」で考える
3.思考にラベルを貼って「捨てる」
 頭の中をグルグルしている物事に「A」「B」「C」などラベルを貼る。「何度も同じことを考えている事実に気づきやすくなります」。その上で、「もう十分に考えた」と思ったら、思考を頭の外に送り出す自分を想像する。
思考にラベルを貼って捨てる
■悩み:家族や友達についイライラ…!
→「怒りを客観視」で衝動をコントロール
[効果:怒り、欲、衝動を抑える]
1.「怒っているな、自分」と気づく
 自分のなかに怒りが湧いていることを認識する。その上で、「怒り自体と、自分自身とは別物」と考える。
怒っている自分に気づく
2.怒っている自分を受け入れる
 怒っている自分をいい、悪いなどとジャッジせず、「今、怒っているのだという事実だけに目を向けて」。
体に意識を向け、怒りを客観視する
3.体に意識を向け、怒りを客観視する
 怒りによる心拍数の変化や、体のどこに緊張した感じがあるかなどをチェック。体に意識を向けることで、怒りを客観視できる。「怒りを“突き放す”ことができれば、他人事のように捉えられるようになり、衝動的に相手に怒りをぶつけることがなくなります」
■悩み:月曜日の仕事が憂うつ…
→「マインドフルネス呼吸法」 + 「ポジティブフレーズ」で平静を取り戻す
[効果:ポジティブな感情が芽生える・仕事や他人へのマイナス感情が和らぐ]
1.基本のマインドフルネス呼吸法を10分続ける
2.不安なことなどを思い浮かべる
 職場の苦手な人や、仕事の不安などを具体的に頭の中で描く。「まずは不安を感じている、嫌な気持ちになっているという事実を認めましょう」。ネガティブなことを思い描いたときの、体のこわばりや呼吸の変化にも意識を向ける。
不安なことを思い浮かべる
3.心の中でフレーズを唱える
 仕事の不安に対しては、「どんなことも、ありのままに受け入れられますように」、苦手な人に対しては、「あなたが幸せで心安らかでありますように」など、前向きなフレーズを心の中で唱える。「この『儀式』で、脳に疲れがたまりにくくなります」
心の中で前向きなフレーズを唱える
■悩み:旅先でも気が休まらない…
→おすすめ1:スケジュールを決めずに動く
 「○○で××をする」といったTO DOを設けず、予定を決めない旅をすることで、時間や予定から自分自身を解き放つ。
→おすすめ2:自然や街並みなどに意識を向ける
 目的地や観光名所だけでなく、道中の景色や自然の様子などに意識を向け、「今そこにある一瞬」を五感で味わう
旅先では自然や街並みに意識を向けて
この人に聞きました  久賀谷亮さん



2017/08/14

Singapore 5 districts。シンガポールの5地区地図

  • シンガポールは5地区に区分されます。
    1. Central  中央地区
    2. East  東地区
    3. North  北地区
    4. North East  東北地区
    5. West  西地区

シンガポール地下鉄の路線図  【PDF】
    MRT(Mas Rapid Transit)
    南北線東西線北東線環状線ダウンタウン線の5路線が開業

2017/08/12

タイの漁村・シラチャで急増する日本人 日本人学校も

タイの漁村・シラチャで急増する日本人  日本人学校も

ZUU online  2017/08/09 を抜粋編集

タイの首都バンコクから100キロメートルほど離れたチョンブリ県にシラチャという町(┗地図 )がある。シラチャは漁村が中心の町であり、海沿いに位置する町だ。人口25万人ほどの町に日本人が8千人前後ほど暮らしており、シラチャは日本人学校もある。タイの日本人学校は首都バンコクに1校、そしてシラチャに1校置かれている。このようにタイの中でも日本人にとって大事な拠点であることがわかる街だ。


シラチャの日本人学校は2009年に開校したのだが、1991年にレムチャバン港という国際物流拠点が設置され、日系企業の進出に拍車がかかったといういきさつがある。それに伴いシラチャに日本人が住み始め、日本食レストランなどが集まってきたというわけだ。

日系企業の商業施設の相次ぐ進出

シラチャでは日系企業の商業施設の進出も相次いでいる。「イオンシラチャショッピングセンター」が2015年10月にシラチャの中心地にオープンした。店舗や商品は日本のイオンに沿って設置されており、日本食や日本の調味料なども手に入る。

「Jパーク日本村 シラチャ」という日本をテーマにしたショッピングモールもある。LEOというお店では日本製にこだわっており、豆腐やインスタントラーメンなど日本製のものを置いている。バイパス沿いにあるため会社帰りの日本人が気軽に立ち寄ることができるスポットでもある。

またシラチャの町には日系の居酒屋や和食レストランも相次いでオープン。シラチャの漁港でとれた新鮮なイカや魚を使っておいしいお寿司も食べられるのだという。

日本人向けのアパートメントや祭りも

「ハーモニック レジデンス シラチャ」はサハ東急コーポレーションが運営を手掛ける日本人向けのファミリータイプアパートメントである。この物件は日本人駐在者の家族を対象とした物件で日本の住居をベースに設計されている。シラチャ日本人学校やオイスカ幼稚園からも近い場所にある。

日本語通訳が常駐しているサミティベート総合病院へのバン接続サービスやパン屋のテナント、ちびっこサッカークラブなど日本人が喜びそうなサービスの提携についても積極的に進めている。まさしく外国にいながら日本のような生活ができるアパートメントなのだ。

また、シラチャでは「タイ チョンブリ・ラヨーン日本人会」があり、こちらの開催で毎年日本祭りが行われている。日本祭りでは盆踊りや物品販売やゲーム、ヒーローショーや沖縄民謡の披露やタイの人気バンドをゲストに迎え、日本人もタイ人も楽しめるお祭りとなっている。

日本人学校問題とは?

タイでは首都バンコクとシラチャに日本人学校が設置されているが、バンコクの日本人学校は小学校・中学校あわせて3000人前後のマンモス校であり、生徒の受け入れも限界に達している。そのため2014年1月からチョンブリ・ラヨーン県に職場がある家庭ではシラチャ校に通うといったルールが設置されている。

バンコクに住む日本人の多くがチョンブリ・ラヨーン県にある工業団地から通勤している。学校などの環境もバンコクの方がいいということでバンコクに居住する人が多い中、バンコクに居住する場合、バンコクの日本人学校に入れないという現象が起きている。そのため近年はシラチャへ住みシラチャの日本人学校へ通うか、インター校に通うかといった選択が迫られる事態となっている。これもシラチャへ移住する日本人が増えている要素の1つとなっている。(ZUU online編集部)

2017/08/11

外国人を呼ぶのは「カネのため」と割り切ろう アトキンソン

外国人を呼ぶのは「カネのため」と割り切ろう  アトキンソン  
デービッド・アトキンソン :小西美術工藝社社長 2017年08月04日
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「鎖国」のままでは地方から崩壊する

これからの日本は、労働人口が激減するというのはすでにご存じのとおりです。それを乗り切るためには生産性を向上させるしかありませんが、日本の生産性は過去25年間、ずっと低迷を続けています。

「そこはロボットやバイオテクノロジーなど日本が誇る技術力でカバーする」と楽観視する人もいますが、世界中の国がITを活用して生産性を向上させてきた中、日本はそれができていません。なぜ今度はうまくいくと確信がもてるのか、私にはわかりません。

残念ながら、このままでは日本経済が大打撃を受けるのはもはや時間の問題という、厳しい現実があるのです。

「鎖国」をやめないと「地方」がもたない

その兆候は「地方」にあらわれてきています。東京や大阪という都市部にお住まいの方はなかなかピンとこないでしょうが、労働人口も減って、大企業の工場もないような地方の小さな町などは、すでに壊滅的なダメージを受けています。

そのような地方をかつて救っていたのが「観光」でした。とはいえ、それは「国内観光」ですので、日本人の数が減ってきている今、かなりの悪影響を受けています。

そうなると、残された道は「外国人観光客」を招くしかありません。日本人にかわって外国人に消費してもらうしかないのです。

これこそが、「外国人なんかにたくさん来てもらっても迷惑なだけ」「日本人のやり方に従う外国人だけが来ればいい」という主張が、日本の現実を直視していない感情論だというゆえんです。

数年前まで日本の観光産業はほぼ「鎖国状態」でしたが、それでも観光産業はそれなりに元気でした。それを可能にしたのは1億2000万人を超える人口以外の何物でもありません。

そんな人口規模、戦後の人口激増という「強み」がなくなっていくわけですから、衰退していく道か、「開国」する道かを選ばなくてはいけないというのは、ご理解いただけるのではないでしょうか。

こういう厳しい現実があるので、私はかねて日本のインバウンド戦略は「稼ぐ」ということに主眼を置くべきだと主張してきました。

さまざまな方から、「文化や心を大切にする日本人と違って、欧米人はすぐにカネ、カネと騒ぐ」などと批判されてきましたが、「稼ぐ」ことができなければ地方を潤わすこともできません。それはつまり、財源不足でボロボロのまま放置されている地方の貴重な文化財や、美しい自然の保護・継承ができないということです。

だからこそ、日本政府も2020年に4000万人という「国際観光客数」目標だけではなく、8兆円という「国際観光収入」目標も設定しているのです。これは「1人当たり20万円」ということです。

観光庁によると、2016年の訪日外国人の平均支出金額は15万5896円ですから、20万円という目標を達成するために、政府は中国や韓国など「アジア諸国以外」の外国人観光客の誘致に力を入れています。これは、「稼ぐ」ということでいえば理にかなった戦略といえます。

アジアからの訪日外国人の平均支出額は15万0020円ですが、「アジア以外」からの訪日外国人の平均支出額をみると18万6840円と跳ね上がっています。「稼ぐ」ということに主眼をおけば、このような「上客」の比率を上げて、全体の客単価を上げていこうというのは、ごくごく合理的な判断なのです。

しかも、もっと言えば、この戦略は非常に「いいところ」を突いています。日本には「上客」がまだほとんど訪れていないと言ってもさしつかえない状況だからです。


アジアからの訪日客のうち、「観光目的」でやってくる人は76.6%に上りますが、アジア以外の国から「観光目的」でやってくる訪日外国人は53.0%にとどまっています。また、アジアからやってくる訪日外国人のうち女性の比率は54.2%となっていますが、アジア以外になると33.0%にとどまっています。

これらのデータから導き出される答えはひとつしかありません。それは、アジア以外から来ている訪日外国人は、「ビジネス目的」が多いということです。

これは裏を返せば、アジア以外からの「観光目的」の外国人は、まだまだ大きな「伸び代」があるということです。

しかも、そこが伸びるということは、日本にとっても非常に大きな「効果」が期待できるということです。アジアの「観光目的」の訪日外国人の平均滞在期間が5.2日なのに比べて、アジア以外の「観光目的」の訪日外国人は11.6日と2倍以上長く滞在するのです。そうなると、日本に落とすおカネも増えていくのは当然です。

アジアから「観光目的」で来た訪日外国人の平均支出額が14万6968円なのに対し、アジア以外から「観光目的」できた訪日外国人の平均支出額が21万3751円ということをふまえても、この層が伸びることで、観光収入的には非常に大きな成長が期待できるのです。

客単価を上げるための「高級ホテル」と「自然観光」

ただ、アジア以外の「観光目的」の訪日外国人を大きく増やすことができても、それだけでは先ほど紹介した8兆円、1人あたり20万円という政府目標は達成できません。

そこで必要になってくるのが、本連載でこれまでふれてきた「高級ホテル」や「自然観光」の整備です。

「高級ホテル」が客単価を上げるのは言うまでもありませんが、「自然観光」も大自然の中に身を置くので、滞在期間を延ばすことができます。つまり、「自然観光」は自然を整備する費用を捻出するという社会メリットがあるだけではなく、客単価を引き上げるというビジネス上のメリットもある、非常に「効果」の高い観光戦略なのです。

日本の「観光客1人あたり支出額」は現在、世界で第46位となっています。タイの第26位、アメリカの第6位、インドの第7位、中国の第13位と比較すると、「低い」ということは一目瞭然ですが、これは非常に大きな「伸び代」が期待できるということです。

これまで日本社会は、日本人がつくった日本人のためのルールで、日本人だけが快適に暮らせる社会でした。もちろん、そうありたいと思うのはどの国の人々も同じですが、それを許さない厳しい現実があります。日本はこれまでそのような現実とは無縁でしたが、子供の減少と高齢者の増加によって、いよいよ「開国」を余儀なくされてきたということなのです。

外国人による「国際観光収入」によって地方のマイナスをカバーするというのは、世界的な常識です。インバウンドで地方都市がよみがえり、雇用にもつながったというケースは枚挙にいとまがありません。

「外国人観光客など来ても迷惑だ」と主張する方たちは、私に言わせれば、まだ危機的状況に追いやられていない「恵まれた方たち」です。東京や大阪にいると、なかなかインバウンドの重要さは実感できないでしょうが、せめて確実に迫ってきている「危機」に気づいていただきたいと思います。

日本の明るい未来を築くため、ひとりでも多くの方が「観光」がもつポテンシャルの高さと、それを生かす道しかないということに目覚めていただきたい、と心から願っています。

2017/08/10

シンガポールに学ぶ子育て。中野円佳

「申し訳なさ」を感じていた日本での子育て~シンガポールに学ぶ3つの両立支援策 - 中野円佳  2017年08月08日 Blogos を編集

今年春、家族でシンガポールに引っ越してきた。夫の転勤に家族で帯同することにしたのだが、その理由の1つは、日本での仕事と育児の両立に疲れ切っていたからだ。2人の子どもは認可保育園に入ることができたものの、別々の園。電動自転車で、蒸し暑い汗だくの夏の日も、手や耳がジンジンするような寒空の日も、あちらへこちらへとまわっているとお迎えだけで40~50分かかった。もうタクシーでいいやと思った雨の日にタクシーが捕まらず、絶望的な気分になったのは一度や二度ではない。さて、思い切ってシンガポールに来てみて、実際に子育てのしやすさはどうか。

メイド文化は仕事と育児両立の柱

シンガポールや香港というと、住み込みのメイドさんがいて出産後もキャリアを築きやすいというイメージがあるのではないかと思う。実際、共働きを中心にメイドを雇用して子供の送迎・家事を頼んでいる家族をよく目撃するし、現地で働く日本人の女性たちからは「いまやメイドさんなしの生活が考えられない」「今のポジションでメイドを雇わずに出張や残業ができないというのは無責任だと言われた」などの声を聞く。

国同士の経済格差等を利用した家事労働者の雇用については、雇用主に搾取されがちだったり、自身の家族のケアを担えなかったりする問題が指摘されている。グローバルな調査研究によると、シンガポールは欧米に比べ家事労働者の転職の自由や永住権獲得等に課題があるとの指摘もある。

雇用する側も、子どもとの愛着形成や教育など悩みは尽きないし、メイドの存在が全てを解決するわけではない。ただ、国の政策的に家事労働者の受け入れ態勢を整えてきた経緯があり、何でもかんでも母親自身に要求しがちな日本に比べれば、メイドを雇える文化がシンガポールにおける「仕事と育児の両立」を成り立たせる大きな柱になっていることは間違いない。

スクールバスの充実で送り迎えが格段にラク

また、こちらに来て、メイドを雇っていなかったとしても、多くの幼稚園や学校でスクールバスが利用でき、送り迎えの必要性がないことも親の負担を非常に減らしていると感じた。

外国人の場合はコンドミニアム、シンガポール人の場合はHDBと呼ばれる公共団地に住んでいることが多い。もちろん追加の費用がかかるが、住んでいる共同住宅を登録すればマンション・団地の下まで送迎してくれる。この仕組みにより、家からの距離を気にしないで施設を選ぶことができるのもメリットだ。人気のインター校などを除けば待機児童は実質なく、入れたいところに入れられる。

シンガポールである幼稚園を見学した際、幼い子供のバス利用について懸念を示すと、過去の事故歴(園児がけがをしたことはなく、中学生が自転車でバスにこすったなど)を教えてくれたうえで、学校側がバス会社を選べることで、たとえばシートベルトを締めずに出発してしまったなどの不備があれば改善を求め、改善されなければバス会社を変えるような措置を取ることができるとの説明を受けた。

日本でも江東区、世田谷区などが待機児童対策として駅前などから保育園へ送迎する取り組みを始め、大阪市でも検討をしているという。バスには安全性の配慮などは徹底してほしいが、子どもも3~4歳になれば友達とバス内でおしゃべりをするのが楽しいのか、毎日が遠足かのように喜んでバスを利用しており、日本でももう少し広がればと感じる。

常に「申し訳なさ」を感じていた東京での子育て

こうしたインフラ的なもののありがたみを感じつつも、実は日本を離れてもっとも私が感じたのは、「両立」以前に、東京という都市は、そもそもの「ワーク」、そもそもの「ライフ」がものすごくしづらかったのではないかということだ。

シンガポールに来て最初の2週間で、私はいかに東京にいたときに自分がビクビクしていたかということに気が付いた。改札をくぐるとき、残高が足りなくて通れなかったら後ろの人たちを立ち止まらせてしまって嫌な顔をされるんじゃないか。エレベーターが閉まる直前に滑り込んで乗り込んだら、早く閉めないと舌打ちをされるんじゃないか。タクシーを降りるとき、急いでおりないと後ろからクラクションを鳴らされるんじゃないか。こういうことに常におびえていた。

とりわけ子供を連れていると、強烈に感じる「申し訳なさ」。子どもを連れて電車に乗ったりお店に入れば、迷惑な顔をされないかと常に子供の行動を見張り、叱っていないといけなかった。シンガポールに来てから、子供が騒いだりモノをぶちまけたりしても「誰もそんなことで怒ったりしない」ということが徐々に分かってきた。日本から来ている母親たちがふとした瞬間に「日本に帰るのこわいもん…」とつぶやくのを聞くと、びくびくしていたのは私だけではないらしい。


「心の余裕」が子育て世代への寛容を生む

よく「海外は子育てにやさしい」などと言われる。確かにベビーカーを押していると、ドアを開けておいてくれようとする人、子どもに話しかけてくれる人が非常に多い。特に東京と比べて違うと感じたのが、日本では主に自分も子どもがいるような年齢の女性や大学生くらいの若い男性が助けてくれることが多いのに対して、シンガポールでは中年、そしてシニアの男性が子どもに非常にフレンドリーだ

日本ではスーツのサラリーマンや年配の男性が話しかけてくれることが少なく、むしろ迷惑顔をされることが多いので、私はそういった男性が近づいてくると必要以上に端っこによけていた。シンガポールでそれをすると「いいんだよ、お先に通りなさい」というようなそぶりで道をあけてくれ、子どもに手を振ってくれる。

これは、もしかしたら、子どもに優しいかどうかというよりも、ものすごく急いでいる人や不機嫌な人の総数の問題かもしれない。たとえば、シンガポールでは、エレベーターの「しまる」ボタンを押さない人が多いことに気づく。東京では、押してあるのに場合によっては何度も押す人を見かけることも少なくない。私もときに「すみませんすみません」という気持ちで押しまくることがある。自分しか下りないことが分かっているエレベーターは降り際に閉まるボタンを押して出ていくこともある。


もちろんシンガポールにも色々闇だってあるだろう。でも、極めて統制が厳しい都市国家ですら、東京ほどのせわしなさがないことに驚いた。東京では、どうしてあんなに皆急いでいて、どうしてあんなにイライラしているのか。

時間通りに来る交通機関や配達等のサービス。素晴らしいことである反面、それが当たり前になり、少しでも遅れればイライラする。他の人、特に弱い立場の人への寛容度が低い。それはそれだけ、日本人男性が抑圧されてきたことの裏返しなのかもしれない。

シンガポールに比べて、日本の良さは、四季を感じること、文化があること、様々な地方を持っていること。山ほどある。国全体を見れば、その資源ははるかに豊かで、様々意味でのゆとりがあっていいはずだ。

働き方改革が、生産性の追求でよりせわしなさを生むのではなく、働き盛りの男性を中心とする人々の心に余裕を生みますように。インフラ整備や政策も必要だが、それが子育て世代をおびえさせない、少子化対策につながるかもしれない。

<著者プロフィール>
中野円佳
ジャーナリスト/東京大学大学院教育学研究科博士課程。 著書に『「育休世代」のジレンマ』。現代ビジネスで「コイツには何言ってもいい系女子」シリーズ連載中。
Twitter @MadokaNakano

2017/08/09

ASEAN 50年(下)高まる中国リスク 重み増す 盟友ニッポン

ASEAN 50年(下)高まる中国リスク 重み増す 盟友ニッポン
2017/8/8 NKを抜粋編集

 カンボジアの首都プノンペン中心部から車で1時間足らずの経済特区。空港に近い好立地の一画に立っていた日本の大手二輪車メーカーの「進出予定」の看板が今年に入り、ひっそりと姿を消した。「進出を断念したようだ」と関係者は言う。


進出の利点薄く

 日本と東南アジア諸国連合(ASEAN)は過去40年以上、蜜月関係を築いてきた。日本企業は人件費が安い東南アジアを生産・輸出拠点として活用。帝国データバンクによれば、ASEAN進出企業は昨年時点で1万1000社を超える。だが、2012年に月額61ドルだったカンボジアの最低賃金は、17年に153ドルと2.5倍に上昇。進出の利点は薄れる。

 一方、ASEANにとっても、日本だけが重要なパートナーではなくなりつつある。「吉利の力で、東南アジア市場にプロトンの事業を広げてほしい」。6月、中国の自動車大手、浙江吉利控股集団がマレーシアの自動車大手、プロトン・ホールディングスの株式の約半数の取得で最終合意した際、同国首相のナジブはこう期待を込めた。

 かつて日本企業が技術支援した国民車メーカーの株主交代は、東南アジアにおける勢力図の変化を象徴する。米ENR誌の調べでは、アジアにおけるインフラ受注の国別比率は中国が17%でトップ。日本は10%で5位に沈む。米国の存在感が低下する今、中国の経済支配力がさらに強まるのは間違いない。だが、それは「中国リスク」を抱え込むことにもつながる。

 「はやくやれ」。7月下旬、インドネシア大統領のジョコは運輸相らに活を入れた。日本案では既に建設が始まるはずだった高速鉄道計画。実際は15年秋に中国案の採用を決めたが工事はほとんど進まず、当初予定の19年開業はほぼ絶望的だ。中国側の資金提供が遅れ、「日本案の方がよかった」との声も同国政府高官からは漏れる。

直接投資20兆円

 米の不在と中国の台頭は、カウンターバランスとしての日本の重要性を照らし出す。中国にない「信頼」という資産だ。日本の東南アジアへの直接投資残高は20兆円近く。ものづくりだけでなく、人材育成や法整備など様々な基盤を残した。三菱総合研究所がASEAN6カ国に調査したところ「日本が大好き・好き」との回答は86%と中国の36%を上回った。

 日本にとっても、親日的な東南アジアは中国のように政治リスクを抱えない、安定した成長市場だ。東南アジア6カ国でシェア8割を誇る日本車の販売台数は年250万台規模に上る。欧州、インド市場を上回り、中国市場の7割弱に迫る。

 朝鮮半島情勢が緊迫し、中国の海洋進出が加速するなか、安全保障上の連携相手としての重要性も増す。

 日本とASEANの互恵関係を体現する企業がある。「日本の品質を東南アジアのコストで」。包装用フィルム大手、サイエンテックスの工場に掲げられたスローガンだ。ASEAN発足翌年にマレーシアで創業した同社はフタムラ化学など日本企業との提携をテコに、約80カ国に製品を輸出するまでに成長した。

 ASEANの域内総生産(GDP)は25年ごろに日本を追い抜く。政経両面で対等なパートナー関係を築けるか。次の50年の課題だ。

(敬称略)

 中野貴司、鈴木淳、富山篤、遠藤淳、岸本まりみが担当しました。

2017/08/08

ASEAN50年(上) 薄まる米の存在感 中国色強く

ASEAN50年 変わる座標軸(上)薄まる米の存在感 崩れる均衡 中国色強く
2017/8/7付  NKを抜粋編集
 東南アジア諸国連合(ASEAN)が8日、設立50年を迎える。東西冷戦下に誕生した小国連合は6億人を抱える巨大経済圏に育ち、存在感を増してきた。ただ足元ではトランプ米政権の政策見直しに伴い、多くの国が中国色に染まる。大国の力学の変化はASEANの座標軸を変え、日本にも影を投げかける。


東西冷戦の産物
 7月、ラオスの古都ルアンプラバン郊外。建設資材を積んだトラックが走り抜けていった。ここは中国企業が主導する雲南省昆明からシンガポールを南北に貫く高速鉄道の最初の建設地だ。「一帯一路」。建設現場には漢字で、習近平指導部が進める広域経済圏構想の名称が書かれる。中国の「磁力」は着々と東南ア各国をのみ込んでいる

 ベトナム南部ビントゥアン省。大型石炭火力発電所「ビンタン1号」の建設が中国企業の手で進む。ベトナムの国内電力の3分の1を賄う石炭火力発電所のうち、建設計画の約9割を中国企業が受注。エネルギー政策の根幹を中国に握られる。

 対中姿勢も弱腰にならざるを得ない。「中国がベトナム軍のいる南沙諸島を攻撃すると脅した」。英BBCによると、南シナ海での石油掘削をいったん許可したスペイン企業に対し、7月、ベトナム当局はこう説明して掘削中止を命じた。

 ASEANは東西冷戦の産物だ。当時、東南アジアはベトナム戦争の舞台となり「新たなバルカン半島になる恐れがあった」(インドネシア外相のルトノ)。米国の敗色が濃厚になるなか、共産主義拡散の懸念も台頭。5カ国がASEAN設立で一致したのは「米国の退場による権力の空白に対して連帯による力を得ることだった」とシンガポール元首相の故リー・クアンユーは回想した。

【※】アセアン5:インドネシア、タイ、フィリピン、ベトナム、マレーシア

輸出割合が逆転 

 だが今、大国の力の均衡は再び崩れつつある。ジャカルタにある駐ASEAN米国大使オフィス。大使のポストは今年1月から空席のままだ。トランプ米政権は中国との「取引」を重視。対中強硬一辺倒はなくなり、南シナ海は軍事拠点化を進める中国の裏庭と化す

 貿易面の米中の立ち位置も変わった。国際通貨基金(IMF)によると、2000年時点で米国はASEANの輸出額の19%を占め、中国の同4%を引き離していた。だがリーマン・ショック後、米国向け輸出が減り両国の割合は逆転した。

 米国の影響力低下は米国の顔色をうかがっていた国々を「民主主義のくびき」から解き放った。米主導で民政化を果たしたミャンマーの指導者、アウン・サン・スー・チーは国軍によるロヒンギャ族の虐殺疑惑に口をつぐむ。麻薬犯殺害をいとわないフィリピン大統領のドゥテルテは、人権侵害との批判を「内政に干渉するな」と一蹴する。

 ASEANは民族や宗教、政治体制などが異なる「モザイク集団」だ。結束が緩めば、大国にたやすくのみ込まれる。その危険性を知っているからこそ過去のリーダーたちは、粘り強い交渉による全会一致で経済や政治の方向性を決めてきた。

 15年末に悲願だったASEAN経済共同体(AEC)発足にこぎ着けたが、理想とするヒト・モノ・カネの域内自由化にはまだ遠い。結束を磨くことでAECの潜在力も開花する。

【※】AEC: ASEAN Economic Community

8月9日。シンガポールの建国記念日(National Day)

8月9日。シンガポールの建国記念日

シンガポールのナショナル・デー・パレード(NDP、建国記念パレード)  2016年 

“#OneNationTogether” 
    National Day 09 Aug 


  • 建国は1965年。
  • 50年で世界有数の先進国に。
  • 英語が共通語。
  • アセアン6億のハブ都市。
  • 生活は日本の2割上。

・・・・・・・・・・・
ナショナルデー ~ シンガポール国旗を扱うときのルール 

2017/08/07

8月8日。1967年。アセアン創立記念日

8月8日。1967年。アセアン創立記念日。

ASEAN(東南アジア諸国連合) 外務省

原加盟国はタイ,インドネシア,シンガポール,フィリピン,マレーシアの5か国=アセアン5
・・・・・・・・・・・
  • 世界の成長センターに
  • 6億人
  • アセアンでは、日本の好感度、信頼度が高いです。
  • アセアンの若い人々は、英語を共通語にしつつあります。
  • アセアンでは米が主食なので、ホッとします。

東南アジアが近代世界史を準備


外国人が心底ガッカリする「日本の旅館事情」 まとめ

外国人が心底ガッカリする「日本の旅館事情」  まとめ

問題点1:長期滞在に不向き

外国人観光客の平均滞在日数は約10日間。
豪華なコース料理を、10日間食べ続けるのはキツイ。

問題点2:ファミリー層に不向き

一部屋いくらではなく、人数分の宿泊料を取られるのは理不尽。

問題点3:ルームサービスが不十分


問題点4:「夜のエンターテインメント」がない

門限があり「おやすみなさいモード」。夜が遊べない。

問題点5:老朽化が目立つ


外国人が心底ガッカリする「日本の旅館事情」。アトキンソン






2017/08/06

大学教授の永住権取り消し シンガポール政府

大学教授の永住権取り消し シンガポール政府
2017/8/5  NK

 【シンガポール=中野貴司】シンガポール内務省は4日、リー・クアンユー公共政策大学院の フアン・ジン教授と妻の永住権を取り消すと発表した。米国籍の2人が外国のインテリジェンス機関と共謀し、シンガポールの外交政策を変えようと働きかけたためだという。内務省はジン氏の情報によって、実際に外交政策が影響を受けたことはないと説明している。大学教授がこうした理由で永住権を取り消され、再入国を禁じられるのは極めて異例だ。

2017/08/04

宗教のページ


檀家制度廃止で収入4倍 仏教界騒然のお寺

檀家制度廃止で収入4倍 仏教界騒然のお寺 
     
by 野村昌二 2017/8/7号 アエラ を抜粋編集

 日本人がなじんできた「お葬式のかたち」がいま激変している。従来型のお葬式ではなく、「家族葬」が広く受け入れられ、弔いの形は家から個へ――。葬儀費用の「見える化」と価格破壊は何を生むのか。AERA 8月7日号で、新しい葬式の姿と、大きく影響を受ける仏教寺院のいまを追った。

「檀家(だんか)制度廃止」という、江戸時代から連綿と続く仏教のスタイルに一石を投じた、古刹の僧侶がいる。“裏切り者”のレッテルを貼られながらも、改革に驀進中だ。

*  *  *
 地方を中心に集落の高齢化や過疎化、地域共同体の希薄化で、江戸時代から400年近く続く檀家制度が、揺らいでいる。そんな時代に、「改革」に名乗りを上げた僧侶がいる。埼玉県熊谷市にある曹洞宗の古刹(こさつ)・見性院(けんしょういん)の橋本英樹(えいじゅ)住職(51)だ。

「今の資本主義経済の自由競争の中で、お寺だけ時間が止まり、僧侶も堕落していました」

 穏やかな口調で、橋本住職は語る。

 見性院は400年以上の歴史を持ち、橋本住職は23代目に当たる。駒澤大学大学院を修了し、曹洞宗の大本山・永平寺で3年間修行。25歳の時に見性院の副住職になった。しかし月収は10万円。とても生活できないので、葬儀に僧侶を仲介する10近くの派遣業者に登録しアルバイトに明け暮れた。

 一方、バブル期、寺が所有する土地は高騰し、お布施の相場もグンと上がった。高級車を乗り回しギャンブルや酒色に溺れる僧侶も目にした。仏教はこれでいいのか──。

●檀家の解放宣言の衝撃

 2007年、42歳の時に先代住職だった父の跡を継ぎ同院の住職となると、改革に乗り出した。

 11年4月、見性院の檀家総代が集まる役員会に「檀家制度の廃止」を諮った。

お寺を滅ぼす元凶が、檀家制度です」(橋本住職)

 寺院と人は本来、自らの思想や信条、宗教観によって自由に結びつくべきだ。それを妨げているのが、江戸時代に生まれた檀家制度と気づいたという。ならば、諸悪の根源にメスを入れるしかない、と。だが、地方では地縁・血縁はまだ濃く、檀家制度は残っている。前代未聞の檀家の解放宣言に、檀家たちからは厳しい声が飛んだ。


「お寺をつぶす気か」

「年会費や管理費などもやめて、それでどうやってお寺を維持していくのですか」

 そんな檀家たちに、橋本住職は根気強く説きつづけた。

「このままでは檀家は増えません。見性院は衰退して、やがては存続の危機を迎えます」

 議論を重ね12年6月、檀家制度の廃止に踏み切った。宗教・宗派、国籍すら問わない、誰にでも開かれた「みんなのお寺」にした。同時に、400軒近くあった檀家との関係をいったん白紙に戻し、「随縁会(ずいえんかい)」という会員組織にし、名称も檀家から「信徒」に変えた。旧来の檀家は全員が信徒に移行した。

「聖」と「俗」という考え方からすれば、僧侶は聖職者だ。しかし橋本住職は力を込める。

「お寺が収入を増やすことは悪いことではありません。お寺も経営力を持って初めて、地域や信徒のためになる社会事業を行えます。葬式や法事も取引である以上は、僧侶も半分はサービス業です」

●お布施と戒名のお値段

 その言葉通り、檀家制度廃止にあたり橋本住職が重視したのが、「明朗会計」と「サービス重視」だった。

 まず手をつけたのが、法要の際のお布施だ。仏教界は「お気持ち」というあいまいな言葉で、高額なお布施をとってきた。これを値下げし、明確な料金にした。たとえば、僧侶1人が通夜と葬儀でお経をあげ「信士・信女」の戒名を授けた場合、20万~25万円。以前は50万円もらっていたのを、半額以下にした。

 遺骨を郵送で受けつける「送骨サービス」も始め、通販サイト大手のアマゾンジャパンが始めた僧侶派遣サービス「お坊さん便」にも賛同した。

 15年暮れ、仏教の主な宗派でつくる全日本仏教会(東京)は「お坊さん便」について、「疑問と失望を禁じ得ません」と、理事長名で談話を発表した。ビジネス坊主の成れの果て──。近隣寺院からそんな声が聞こえ、“裏切り者”とレッテルを貼られた。

 しかし、時代が後押ししたのか、橋本住職が掲げた理想に、賛同の声も集まった。送骨は全国から集まり、永代供養の需要も増えた。葬儀・法事の回数は以前の3~5倍。見性院の信徒は約800人と「改革」前の2倍となり寺の収入基盤は確保された。


 多くの仏教者は、寺と檀家はお金ではなく、心と心でつながってきたと思っている。また、子どもの頃に神社仏閣の近くで育った人は、そうでない人に比べて幸福度が高いという調査結果を、大阪大学の大竹文雄教授(労働経済学)らが3月に発表し、話題となった。各宗派の僧侶でつくる仏教情報センターの前理事長で、東京・元麻布の正光院(高野山真言宗)の高橋隆岱(りゅうたい)住職(63)は、「お布施の定額化などお金で換算していくと、仏教でなくなっていく。ひいては自分の首を絞め、本当の信仰が見えにくくなってしまう」と憂える。

心の問題を扱う宗教者は信用が第一です。私生活において私たちの背中を見せるしかありません」(橋本住職)

 同院では僧侶として守るべき最低限の戒律を「心得十カ条」として掲げる。▽ゴルフ・釣りはしない▽ギャンブルはしない▽高級車に乗らない──といった項目が並ぶ。

●宗教法人の収支公開

 寺など宗教法人の経理はベールに包まれ「ブラックボックス」だ。そんな中、見性院は収支を公開している稀有な寺だ。
 16年度の見性院の収支だ。同院の収入は、檀家制度をやめた当初こそ伸び悩んだが、1年を過ぎると増加に転じた。14年度は約9980万円、16年度は約1億2816万円となった。先代のやり方を踏襲していたころは3千万円弱だったというから、経営規模は実に4倍以上に拡大した。

 収入の大きな柱となっているのが、永代供養。料金は合同納骨プランが3万円、10年間個別保管プランが10万円など。各地から年間200件近く受け入れる。葬儀や法事の数は以前の2~5倍になり、葬儀は年35件、法事は年約300件執り行う。

 一方、支出の合計は約1億2480万円(16年度)。ここには住職や寺のスタッフ10人分の給料も含まれる。給料は月給制にしていて、橋本住職は月約50万円をもらう。差し引き約336万円の黒字となった。前代未聞の情報公開に、橋本住職はこう話す。

「収支の公開による風当たりは強いものがありましたが、襟を正し、さらに精進していく覚悟ができました」

 家から個へ──。旧体制の呪縛を断ち切ることで、信徒が増え活性化した寺院は少なくない。新潟市にある700年以上の歴史を持つ日蓮宗の妙光寺もその一つ。改革に着手した、53代目の小川英爾(えいじ)住職(64)は言う。


「家というものが壊れ、檀家制度が消えていく。家制度に縛られた墓の在り方は、とりわけ女性には理不尽なものがある。時代に合わせた墓が求められていました」

 こうして1989年、会員制で永代供養をする集合墓「安穏廟(あんのんびょう)」を建築した。そこから生まれた会員制度は、全国寺院のモデルになったことでも知られる。

 当初、10年で満杯になればいいとスタートした1基目の安穏廟108区画は、4年で完売。その後3基を造り、計4基432区画に増やしたが、12年間で完売した。02年には小型の集合墓「杜(もり)の安穏」を造ったが、それもほぼ売り切れたそうだ。

●宗派超えてつながり

 現在会員は全国に約900人。寺では年4回会報を発行し、毎年8月下旬に遺族や会員が集まる送り盆の行事を開き、合同法要や、老いや死に関するセミナーなどを催す。

檀家制度が時代に合わないことは、多くの寺院が認識しています。寺批判の一方には期待があります。一つを変えると全部を変えないといけなくなりますが、一つずつ丁寧に変え、誰もが納得できる供養ができるお寺に変えていきたいと思います」(小川住職)

 風穴は開いたが、先の橋本住職は、改革はまだ「5合目」だという。いまだ見性院の若い僧侶が他の寺に行くと、「あそこのお寺には行くな」と言われ、旧檀家の中には檀家制度廃止を完全に納得していない人もいるという。それでも将来、M&A(統廃合)によって他の寺と手を携えグループとしてまとまるHD(ホールディングス)化も橋本住職は視野に入れている。すでに、こうした考えに賛同する僧侶は宗派を超えて全国に70人近くいて、「善友会」としてお布施の額を明示し、僧侶の紹介など横のつながりを強化している。経済的に自立できる「強いお寺」を増やし、仏教の教えを広めていく考えだ。その「頂上」には何が待っているのか。橋本住職が言う。

「日本の仏教は死後にかかわりすぎてきた感があります。お釈迦様の説いた仏教は、一貫して生きるための教え。生きているうちからお寺と縁を結んでもらい、その最終章に葬儀と供養があるのが本来の姿。信徒が生きている間に何ができるのか。それを追求していきたい」

(編集部・野村昌二)