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徳川家康。その4。三河、遠江(とおとうみ)、駿河、甲斐、信濃、上野(こうずけ)を治める大大名に

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  徳川家康。その4。三河、 遠江(とおとうみ)、 駿河、甲斐、 信濃、上野(こうずけ) を治める大大名に 1579年、徳川家康は、 織田信長の命により 自分の長男・松平信康を自刃(じじん) させます。 この痛恨事にあっても、 徳川家康は 信長との同盟関係を守り ます。 1582年の本能寺の変までには、 三河(愛知県)、 遠江(とおとうみ。 静岡県 )、 駿河(静岡県)、 甲斐、信濃、上野(こうずけ、群馬)を治める大大名になります。  【 遠江(とおとうみ)とは 】  都に近い海・琵琶湖に対し、 都からは遠い海 ・浜名湖 のある国 のこと です 徳川の版図  ★ がまん強い家康 < 鳴かぬなら  鳴くまで待とう  ほととぎす >徳川家康 家康のがまん強さを形容するうたです。 【cf.】 < 鳴かぬなら殺してしまえ  ほととぎす >  織田信長 <  鳴かぬなら鳴かせてみせよう  ほととぎす >  豊臣秀吉 #三河  # 遠江(とおとうみ)  # 駿河  # 甲斐  # 信濃  # 上野(こうずけ)   

徳川家康。その3。三方ヶ原(みかたがはら)の戦い 。1573年。徳川・織田が武田に敗退

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徳川家康。その3。三方ヶ原(みかたがはら)の戦い 。1573年。徳川・織田が武田に敗退 徳川家康。その1     2      3    4    徳川家康  半跏思惟像(はんかしいぞう、しかみ像) 、三方原戦役像。徳川美術館 三方ヶ原(みかたがはら)の戦い  三方原<浜松  1572年30歳、 徳川家康は武田軍との三方ヶ原(みかたがはら  浜松)の戦い で、完敗します。 命からがら城に逃げ戻ります。 その時の苦渋の 半跏思惟像(はんか しいぞう)の姿 を 描かせたのが上の肖像です。 以降、折りにつけこの絵を見て自重します。     【※】三方ヶ原(みかたがはら) 三方ヶ原は、静岡県西部の遠江(とおとうみ)にあります。 京都から見て琵琶湖(近江=ちかつあわうみ)より、 遠い湖(=遠江(とおとうみ))がある地域だったことが名前の由来です。 遠江(とおとうみ)の右側が駿河(静岡県)、 左側が三河(愛知県)です。 【名言】 「堪忍は無事 長久のもと、怒りは敵と思え」 「大事を成し遂げようとする者は、 本筋以外のことはすべて荒立てず、 なるべく穏便にすますようにせよ」 【8】 家康がいた街 浜松 『三方ヶ原の戦い』  【ショート】徳川家康。三方ヶ原(みかたがはら)の戦い 徳川家康。三方ヶ原(みかたがはら)の戦い 徳川家康。三方ヶ原(みかたがはら)の戦い 徳川家康。三方ヶ原(みかたがはら)の戦い 徳川家康。三方ヶ原(みかたがはら)の戦い < 生誕の岡崎、 出世の浜松、大御所の静岡>  #三方ヶ原(みかたがはら)の戦い   # 半跏思惟像   

徳川家康。その2。 桶狭間(おけはざま)の戦い

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  徳川家康。その2。 桶狭間(おけはざま)の戦い ←  その1 ★  桶狭間(おけはざま)の戦いは、 1560年、織田信長が今川義元をやぶった戦いです。 これが信長の全国統一のきっかけとなります。 徳川家康は、主君の 今川義元が敗れたことで、 故郷の岡崎に 戻ることができました。 【受験】1560    以後群れ(1560)なす信長軍 1560年、徳川家康は、19歳の時に、 桶狭間(おけはざま)の戦い で、 主君の 今川氏が織田信長に敗れ たことで、 故郷の岡崎に 戻ることができました。 桶狭間の戦い  ① 桶狭間の戦い ② 【ショート】織田信長 対 今川義元 桶狭間の戦い 桶狭間の戦い 桶狭間の戦い