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緒方洪庵。大阪で適塾を開いた日本近代医学の祖。岡山、津山、オランダ、大阪大学。7月25日没

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緒方洪庵。大阪で適塾を開いた日本近代医学の祖。岡山、津山、オランダ、大阪大学。7月25日没 2026年7月21日  (火) 18時半~    川越みがき のつどい    @ホテル三光             ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 森田 初江   川越市長『川越の観光と関連産業の課題について』 笛木醤油社長  笛木吉五郎  (埼玉県物産観光協会副会長) 板本勝雄(石川県 代表。 石川県人会副会長 ) 山岸博之(福井県  代表。 若狭湾観光連盟会長 )  第2部は「暑気払い」。   個人自由発表も 緒方 洪庵 ・1810年8月13日。岡山県-1863年7月25日没。54歳。 江戸 緒方洪庵(おがた こうあん)は、 29歳のとき大阪で オランダ医学の 適塾(てきじゅく) を開きます。   適塾とは、 緒方洪庵の号である「適々斎」が名の由来です。     橋本左内(さない。開国論者)、     福沢諭吉、     大村益次郎(ますじろう。兵学者) を育てます。 適塾の自由な学風と、洪庵の学者としての名声をしたって、 たくさんの弟子たちが集まります。 25年間に3000人に およびます。 適塾は、 吉田松陰の松下村塾 とならび称されて います。 緒方洪庵は、日本ではじめて天然痘や、 コレラの対策に力をそそいだりします。 翻訳書で西洋医学の普及につくします。 阪大の原点をつくります。 郷土に輝く人々 緒方洪庵 【+5】 【10分】緒方洪庵と津山ゆかりの蘭学者たち(津山市×大阪大学×オランダ ... 津山とオランダ、大阪大学の間には歴史的な関係 【名言】 「医者がこの世で生活しているのは、 人のためであって自分のためではない」 【緒方洪庵の妻  八重(やえ)】 緒方洪庵の妻は八重(やえ)は、17歳で洪庵と結婚しました。 9人の子どもを育てながら適塾の塾生たちから「母」のように慕われ、 洪庵の活動を支え続けました。 福沢諭吉は、大阪を訪れるたびに八重へ挨拶に立ち寄りました。 生...

岩倉具視。岩倉使節団で米欧を2年視察、西欧への猛追をはかる。Iwakura Tomomi。7月20日没

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岩倉具視。岩倉使節団で米欧を2年視察、西欧への猛追をはかる。Iwakura Tomomi。7月20日没 2026年7月21日  (火) 18時半~    川越みがき のつどい    @ホテル三光             ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 森田 初江 川越市長『川越の観光と関連産業の課題について』 笛木醤油社長  笛木吉五郎  (埼玉県物産観光協会副会長) 板本勝雄(石川県 代表。 石川県人会副会長 ) 山岸博之(福井県  代表。 若狭湾観光連盟会長 )  第2部は「暑気払い」。   個人自由発表も 岩倉使節団 (左から)木戸孝允、(一人おいて)、岩倉具視、 伊藤博文、大久保利通 ・1825年10月26日。京都 ~1883年7月20日没。57歳。京都 公家(くげ) 岩倉具視(ともみ)は、 大久保利通(としみち)らと、 公武合体 (こうぶ   がったい。朝廷・幕府の協力)を 進めます。  明治政府では 、幕府ではなく、 「天皇」が政治をとる ことを明らかにします。 1871年(明治4年)から 2年間近くも、岩倉使節団の団長として、 米欧を回り ます。 大久保利通、木戸孝允(たかよし。桂小五郎)、 伊藤博文ら高官など 約100人が参 加します。 【※】できたばかりの政府が よくも高官を2年ちかく も派遣したものです。 よその国では、考えられません。 明治維新を行った当時のリーダーたちの意気込みが 感じられます 。 岩倉使節団の行程 岩倉使節団は、 日本、サンフランシスコから米国を横断。 英国、フランス、ベルギー、 オランダ、ドイツ、ロシア、 デンマーク、スエーデン、オーストリア、イタリア、スイス 地中海からインド洋を越えて、 セイロン、シンガポール、 香港、上海 と 2年近くも旅を続けます。 旅を続けるうち、 一方的に欧米を真似ることが よいわけでは ない ことに 気が付きます。 「 和魂 洋才」の重要さです。 その後の明治政府の政策に生きてきます。 そのころアメリカは...

李登輝:新渡戸稲造の影響で農業経済学に進んだ台湾元総統

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李登輝:新渡戸稲造の影響で、農業経済学に進んだ台湾元総統 2026年7月21日  (火) 18時半~    川越みがき のつどい    @ホテル三光               ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 森田 初江 川越市長『川越の観光と関連産業の課題について』 笛木醤油社長  笛木吉五郎  (埼玉県物産観光協会副会長) 板本勝雄(石川県 代表。 石川県人会副会長 ) 山岸博之(福井県  代表。 若狭湾観光連盟会長 )  第2部は「暑気払い」。   個人自由発表も 李登輝 アジア第一の哲人政治家といわれる李登輝が 農業経済学に進んだのは、 新渡戸稲造(にとべ いなぞう)の影響によります。  台湾人の李登輝には『「武士道」解題』(小学館)という 新渡戸稲造の『武士道』についての著作があります。  李登輝は中学生の時すでに 鈴木大拙(石川県の禅の研究者を読み、 『臨済録』をひもとき人生の指針としていました。 さらに『漱石全集』、 阿部次郎の『三太郎の日記』、 倉田百三『出家とその弟子』、 『古事記』、 『玉勝間』、 『源氏物語』 『枕草子』 『平家物語』の愛読者でもありました。 高校での愛読書は、     西田幾太郎『善の研究』     和辻哲郎『風土』     中野好夫『アラビアのロレンス』     アインシュタイン『物理学はいかにして生まれたか』     『ファウスト』     『若きウェルテルの悩み』 などで、 岩波文庫だけで700冊以上も所有していました。  1942年8月台北高校を繰り上げ卒業し、 同年10月京都大学農学部農業経済学科に入学しました。  農業経済をめざすようになったのは、 農村の小地主のせがれに生まれ、 早くから農業問題の矛盾に疑問を抱いていたからであり、 新渡戸稲造に出会ったからでした。 新渡戸稲造は、 後藤新平・民政長官の懇請により、 台湾の殖...