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ベートーベン。モーツァルトの古典派音楽を大成。『運命』、『田園』、『合唱』、『月光』

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ベートーベン。楽聖。ハイドン、モーツァルトの古典派音楽を大成。『運命』、『田園』、『合唱』、『月光』   【40分】ベートーベンの生涯  交響曲英雄・運命・田園・第九 ピアノソナタ悲愴・月光 ピアノ協奏曲皇帝    ベートーベン [ルートウィッグ・ヴァン・ビートーヴェン] (独: Ludwig van Beethoven) ・1770年12月16日-1827年3月26日。56歳没 16歳のベートーヴェンはウィーンに旅し、 憧れていた モーツァルトを訪問します 。 30歳までに耳がほぼ聞こえなく なります。 満56歳の葬儀には、2万人もの人々が参列します。 進歩的な政治思想もっており、 ロマン・ロランなど、彼を英雄視する人々が多く生まれます。 Ludwig van Beethovenは、 <Ludwig from beet hoven>のことで、 直訳は「ビート畑のルートヴィヒ」です。 祖先はオランダ人です。 【エピソード】        【注】AIより選択抜粋 難聴と「第九」の初演: ほぼ完全に耳が聞こえなくなった状態で「交響曲第9番」を作曲し、 初演では指揮をしたものの、 鳴り止まない大喝采に気づかず、 歌手に教えられて初めて気づいた。 コーヒーへのこだわり: 一杯のコーヒーを入れる際、 正確に60粒のコーヒー豆を数える習慣があった。 ナポレオンへの怒り: 『交響曲第3番』はもともとナポレオンに捧げられる予定だったが、皇帝に即位したと聞き「彼も俗物にすぎなかった」と献辞を破り捨てた。 家が散らかりすぎて何度も引越しをした。 骨伝導での作曲: 耳が聞こえなくなってからも、ピアノに耳を当てて音(振動)を感じ、作曲を続けた。  UNIVERSAL MUSIC JAPAN 不潔すぎて逮捕?:晩年は身なりに無頓着で、ボロボロの服で徘徊していたため、浮浪者と間違われて警察に拘留されたことがあります。  松竹ブロードウェイシネマ 引っ越し魔: 非常に気難しく、騒音や部屋への不満から、生涯で60回以上も引っ越しを繰り返したとされています。

菅原道真(すがわら の みちざね)。学問の神様、天神様。3月26日没

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菅原道真。学問の神様、天神様(てんじんさま)。3月26日没 菅原道真   11歳で漢詩をつくる ・845年8月1日~903年3月26日没。59歳。 福岡県太宰府市 【ショート】 菅原道真 菅原道真 菅原道真 菅原道真 菅原道真(すがわら の みちざね)は、平安時代初期の学者、政治家 です。 11歳で漢詩をあやつり、神童とよばれました。   32歳で文章博士となりました。  学問だけでなく、弓道にも優れていました。 乗馬を好み、馬で役所まで通っていました。 唐から学ぶものがないとして、 遣唐使を 廃止 させました。           【※】遣唐使の廃止         遣唐使の廃止 により、 かな文字が生まれ、紫式部、清少納言の女性文学が誕生しました。 藤原氏絶頂の時に、 宇多天皇 の信任が厚く、異例の右大臣に昇進しました。           【※】左大臣のつぎに右大臣   左近の桜(さこんのさくら)は、正殿(天皇)から見て左にあった桜の樹です。 右大臣は、 左大臣の次に天皇を助ける役目です。 古事記でも、 左は右より格上 です。 イザナキの左目からアマテラスが生まれ 、 右目からはツキヨミが、 鼻からスサノオ生まれました。 左大臣は、 藤原時平 でした。 901年、藤原時平の陰謀により 菅原道真は九州の太宰府(だざいふ)にとばされました。     【※】太宰府 太宰府は、九州をおさめる役所があるところです。 住まいは雨ももり、床も朽ちているようなあばら家でした。 菅原道真は、病気を多発し、 2年後に無念のうちに没します。 菅原道真の子ども4人も流刑されました。 菅原道真の代表歌です。京を去るときに詠みました。       ♪♪~  東風(こち)吹かば  にほひおこせよ  梅の花     主(あるじ)なしとて  春な忘れそ <(京の梅の花よ)...

平将門。平安時代の関東の新皇。Taira no Masakado。3月25日没

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平将門。平安時代の関東の新皇(しんのう)。Taira no Masakado。3月25日没 平 将門 ・903年~940年3月25日没。38歳? 平将門(たいら の まさかど)は、茨城県の武士団に乗っかり、 茨城、栃木、群馬の国府を攻め落とし、 939年に新皇(しんのう)と自称 しました。 一時は関東全体をしたがえました。 平将門は、臣籍降下した皇族の末裔(まつえい)です。 桓武(かんむ)天皇の孫にあたります。 臣籍降下とは、桓武天皇の血を引く皇子などが「平」姓をなのって、 皇族の身分を離れることです。 朝廷の財政の負担をへらすためでした。 子孫は、身一つで現地に下り、現地有力者の娘と結婚し、 妻の実家の経済、政治に依存して生活します 。 平将門は関東の守り神に祀られました。 神田明神も平将門をまつって います。 【10分】 平将門 関東の英雄へ    【 桑原政則  撮影 】 平将門の首塚 天海が平将門の霊を神田神社に移す 幸手市(さってし)の平将門の首塚