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芥川龍之介。『鼻』『羅生門』『蜘蛛の糸』の短編小説家。Akutagawa Ryūnosuke 。7月24日没

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芥川龍之介。『鼻』『羅生門』『蜘蛛の糸』の短編小説家。Akutagawa Ryūnosuke 。7月24日没 「川越みがきのつどい」無事終了。感謝。 森田初江市長、川越の観光と関連産業の課題。笛木吉五郎、熱唱の醤油観光。板本勝雄、石川県の観光。山岸博之、小浜、サバ缶のドラマ観光。犬竹一浩、絶賛の手品。 <2026/07/21  酷暑日  ホテル三光 「みなさま、感謝します。ありがとうございます」 芥川龍之介 ・1892年3月1日。東京ー1927年7月24日没。35歳。東京都 芥川龍之介は、東京大学生のときに発表した『鼻』が 夏目漱石にみとめられます。 古典文学を題材にした読みやすい短編小説 を得意にします。 理知派 とよばれます。 【※】 ・『鼻』は、平安時代の今昔(こんじゃく)物語が題材です。 ・ 『蜘蛛の糸』 は、3400字の短編です。 「芥川賞」は、友人の菊池寛がつくりました。 *     *     * 関東大震災(1923年9月1日)は、14万人の死者 をだします。 その後に、津波、不景気などが襲います。 芥川竜之介は、花の狂い咲きを見て天変地異、 関東大震災を予知します。  【※】『大震雑記』 より 「8月に藤に花が咲いているのは年代記ものだ。  八重の山吹も花をつけている。   菖蒲、蓮も咲き誇っている。  自然が発狂しているようだ」  芥川龍之介は、4年後の1927年に自死します。 (Ryunosuke Akutagawa in focus, Japan Times, March 18, 2012) 芥川龍之介 生前の映像 昭和2年(1927)   【+1】北区田端435 芥川龍之介を語る 谷崎潤一郎 【+1】 ---------- 【芥川竜之介の作品】 蜘蛛の糸  【12+】      ✕   或阿呆の一生 【58+】 杜子春 【41+】 鼻  【24+】    ✕   羅生門  【23+】 芥川竜之介の作...

緒方洪庵。大阪で適塾を開いた日本近代医学の祖。岡山、津山、オランダ、大阪大学。7月25日没

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緒方洪庵。大阪で適塾を開いた日本近代医学の祖。岡山、津山、オランダ、大阪大学。7月25日没 2026年7月21日  (火) 18時半~    川越みがき のつどい    @ホテル三光             ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 森田 初江   川越市長『川越の観光と関連産業の課題について』 笛木醤油社長  笛木吉五郎  (埼玉県物産観光協会副会長) 板本勝雄(石川県 代表。 石川県人会副会長 ) 山岸博之(福井県  代表。 若狭湾観光連盟会長 )  第2部は「暑気払い」。   個人自由発表も 緒方 洪庵 ・1810年8月13日。岡山県-1863年7月25日没。54歳。 江戸 緒方洪庵(おがた こうあん)は、 29歳のとき大阪で オランダ医学の 適塾(てきじゅく) を開きます。   適塾とは、 緒方洪庵の号である「適々斎」が名の由来です。     橋本左内(さない。開国論者)、     福沢諭吉、     大村益次郎(ますじろう。兵学者) を育てます。 適塾の自由な学風と、洪庵の学者としての名声をしたって、 たくさんの弟子たちが集まります。 25年間に3000人に およびます。 適塾は、 吉田松陰の松下村塾 とならび称されて います。 緒方洪庵は、日本ではじめて天然痘や、 コレラの対策に力をそそいだりします。 翻訳書で西洋医学の普及につくします。 阪大の原点をつくります。 郷土に輝く人々 緒方洪庵 【+5】 【10分】緒方洪庵と津山ゆかりの蘭学者たち(津山市×大阪大学×オランダ ... 津山とオランダ、大阪大学の間には歴史的な関係 【名言】 「医者がこの世で生活しているのは、 人のためであって自分のためではない」 【緒方洪庵の妻  八重(やえ)】 緒方洪庵の妻は八重(やえ)は、17歳で洪庵と結婚しました。 9人の子どもを育てながら適塾の塾生たちから「母」のように慕われ、 洪庵の活動を支え続けました。 福沢諭吉は、大阪を訪れるたびに八重へ挨拶に立ち寄りました。 生...

岩倉具視。岩倉使節団で米欧を2年視察、西欧への猛追をはかる。Iwakura Tomomi。7月20日没

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岩倉具視。岩倉使節団で米欧を2年視察、西欧への猛追をはかる。Iwakura Tomomi。7月20日没 2026年7月21日  (火) 18時半~    川越みがき のつどい    @ホテル三光             ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 森田 初江 川越市長『川越の観光と関連産業の課題について』 笛木醤油社長  笛木吉五郎  (埼玉県物産観光協会副会長) 板本勝雄(石川県 代表。 石川県人会副会長 ) 山岸博之(福井県  代表。 若狭湾観光連盟会長 )  第2部は「暑気払い」。   個人自由発表も 岩倉使節団 (左から)木戸孝允、(一人おいて)、岩倉具視、 伊藤博文、大久保利通 ・1825年10月26日。京都 ~1883年7月20日没。57歳。京都 公家(くげ) 岩倉具視(ともみ)は、 大久保利通(としみち)らと、 公武合体 (こうぶ   がったい。朝廷・幕府の協力)を 進めます。  明治政府では 、幕府ではなく、 「天皇」が政治をとる ことを明らかにします。 1871年(明治4年)から 2年間近くも、岩倉使節団の団長として、 米欧を回り ます。 大久保利通、木戸孝允(たかよし。桂小五郎)、 伊藤博文ら高官など 約100人が参 加します。 【※】できたばかりの政府が よくも高官を2年ちかく も派遣したものです。 よその国では、考えられません。 明治維新を行った当時のリーダーたちの意気込みが 感じられます 。 岩倉使節団の行程 岩倉使節団は、 日本、サンフランシスコから米国を横断。 英国、フランス、ベルギー、 オランダ、ドイツ、ロシア、 デンマーク、スエーデン、オーストリア、イタリア、スイス 地中海からインド洋を越えて、 セイロン、シンガポール、 香港、上海 と 2年近くも旅を続けます。 旅を続けるうち、 一方的に欧米を真似ることが よいわけでは ない ことに 気が付きます。 「 和魂 洋才」の重要さです。 その後の明治政府の政策に生きてきます。 そのころアメリカは...