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葛飾(かつしか)北斎。富嶽(ふがく)三十六景。世界の浮世絵師。Katsushika Hokusai。5月10日没

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葛飾北斎。富嶽(ふがく)三十六景。世界の浮世絵師。Katsushika Hokusai。5月10日没 葛飾北斎   自画像 82歳 ・1760年10月31日墨田区~ 1849年5月10日。90歳没 葛飾(かつしか)北斎は、江戸が生んだ世界の浮世絵師です。 『ライフ Life』の 「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」 に、日本人として唯一ラ ンクイン しました。 北斎は、 ゴッホ、モネ、ドガなどの ヨーロッパ印象派 の発生に大きな影響 を与えました。 富嶽(ふがく)三十六景     神奈川沖 浪裏(なみうら) 70歳を越えて、代表作「富嶽(ふがく)三十六景」を描きました。    【※】 富嶽(ふがく):富士山の別名 。 90歳の死ぬまぎわには     「もう10年命があればなあ、本物の絵描きになれるのに…」 とさらに挑戦し続けました。 北斎は生涯に30回改号(称号変え)しました。 93回 転居 しました。 一日に3回引っ越したこともあります。 【名言】 「思えば七十歳以前に描いたものはみな、取るに足らないものだった」 【16分】 世界が絶賛!何がスゴイの?葛飾北斎  【15分】 葛飾北斎のあまり知られていない10の事実【偉人伝】  北斎館 長野県の小布施(おぶせ)町には、4年間ほど江戸と行き来をしました。  【※】 天井画をお見逃しなく。 北斎は、江戸から小布施までよく歩いて来たものです。 ( 2016/7/5~7 善光寺講メモ、参照 最下段。) すみだ北斎美術館 2016年に葛飾北斎の生誕地に誕生した美術館。 公園と一体で、左右に分かれた奇抜な4階建ての美術館。 葛飾北斎 Google Arts & Culture 小布施町 【名言】 「80歳でますます腕に磨きをかける。 90歳では奥義を究め、 100歳になれば、まさに神妙の域に達するのだ」。 【ショート】 葛飾(かつしか)北斎 葛飾(かつしか)北斎 葛飾(かつしか)北斎 葛飾(かつしか)北斎 葛飾(かつしか)北斎 葛飾(かつしか)北斎 ・・・・・・・・・・・ 2016/7/5~7 善光寺講 メモ 連雀町駐車場 7:00発 ・川越駅西口 川越インターチェンジ 上里サービスエリア...

八田與一(はった よいち)。ダムをつくり、台湾で一番感謝されている日本人。 Hatta Yoichi。5月8日没

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八田與一(はった よいち)。ダムをつくり、台湾で一番感謝されている日本人。 Hatta Yoichi。5月8日没 八田與一 八田與一夫妻 ・ 1886年2月21日~ 1942年5月8日没。56歳。 金沢市 台湾元総統・李登輝(り・とうき)は、 「台湾で一番の恩人の日本人は、 八田與一技師です」と語っています。 八田與一は「日本精神」の持ち主でした。     ・「誰もがやりたくないきつい仕事をする」     ・「公私のけじめをつける」     ・「国家と国民に忠誠である」     ・「謙虚である」 ◇                    ◆                    ◇ 八田與一は、金沢市に生まれ、 全生涯を台湾のために 尽くします。 烏山頭(うさんとう)ダム 台湾最大の平原・嘉南(かなん)平野(台中市)を、 烏山頭(うさんとう)ダム建設により、 台湾最大の穀倉地帯に変えました。 八田與一の物語は、 台湾の歴史教科書にも登場しています。 【※】 【+8分】 台湾の教科書に載っている日本人の物語 八田與一 (李登輝・元総統) 「八田與一には、義を重んじ、誠をもって率先垂範、 実践する日本的精神が脈々と存在しています」 ・・・・・・ 1942年に、八田與一は、軍に徴用されます。 フィリピンに向かう途中、船が撃沈されてしまいます。 台湾で留守を守っていた妻は、 夫が心血を注いだ烏山頭ダムに、 夫を求めて、身を投じました。 2011年の東日本大震災にあたって、日本は、 台湾から200億円相当の義援金をいただきました。 「徳は孤ならず」、です。 【コメント】 台湾の親日には、 ・優秀な台湾びいきの日本人が 台湾に出向いていたこともあります。: 児玉源太郎、 後藤新平、 新渡戸稲造、 西郷菊次郎(西郷隆盛の子)、 八田與一 ・また「大陸中国人の台湾支配がひどすぎたこともあります」(明石元二郎)。

嘉納治五郎。柔道の父。5月4日没。Kanō Jigorō

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嘉納治五郎。柔道の父。5月4日没。Kanō Jigorō 嘉納 治五郎 32歳  ・1860年12月10日- 1938年5月4日没。77歳。兵庫県 嘉納治五郎は、いろいろの柔術の長所をとり入れ、 「柔道」と名づけて講道館を おこし、 これを広めました。 同年に東京大学医学部を卒業している人物に 森鴎外がいます。 『雁 (小説)』の登場人物「石原」は 嘉納治五郎をモデルにしているとも言われています。 嘉納治五郎は、 柔道以外にも、日本におけるスポーツの道を開きました。 「柔道の父」、「日本の体育の父」 ともよばれます。 1879年、渋沢栄一の依頼で渋沢の飛鳥山(あすかやま  北区)別荘にて グラント前アメリカ合衆国大統領に柔術を演武しました。      飛鳥山は、8代吉宗がつくりました。           嘉納治五郎は、 東大を卒業し、教育者としても尽力 し、 1882年から 学習院教頭、 1893年より25年間ほど現・筑波大学の学長 をつとめました。 【名言】 「人生には何よりも「なに、くそ」という精神が必要だ」 【コメント】 空手道にも、諸流派が 一つにまとまるためには 、 嘉納治五郎のような、学にたけ、人望がある超一級の人が必要でした。 【2分】 嘉納治五郎 熊本大学     ハーンを招聘   講道館