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八田與一(はった よいち)。ダムをつくり、台湾で一番感謝されている日本人。 Hatta Yoichi。5月8日没

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八田與一(はった よいち)。ダムをつくり、台湾で一番感謝されている日本人。 Hatta Yoichi。5月8日没 八田與一 八田與一夫妻 ・ 1886年2月21日~ 1942年5月8日没。56歳。 金沢市 台湾元総統・李登輝(り・とうき)は、 「台湾で一番の恩人の日本人は、 八田與一技師です」と語っています。 八田與一は「日本精神」の持ち主でした。     ・「誰もがやりたくないきつい仕事をする」     ・「公私のけじめをつける」     ・「国家と国民に忠誠である」     ・「謙虚である」 ◇                    ◆                    ◇ 八田與一は、金沢市に生まれ、 全生涯を台湾のために 尽くします。 烏山頭(うさんとう)ダム 台湾最大の平原・嘉南(かなん)平野(台中市)を、 烏山頭(うさんとう)ダム建設により、 台湾最大の穀倉地帯に変えました。 八田與一の物語は、 台湾の歴史教科書にも登場しています。 【※】 【+8分】 台湾の教科書に載っている日本人の物語 八田與一 (李登輝・元総統) 「八田與一には、義を重んじ、誠をもって率先垂範、 実践する日本的精神が脈々と存在しています」 ・・・・・・ 1942年に、八田與一は、軍に徴用されます。 フィリピンに向かう途中、船が撃沈されてしまいます。 台湾で留守を守っていた妻は、 夫が心血を注いだ烏山頭ダムに、 夫を求めて、身を投じました。 2011年の東日本大震災にあたって、日本は、 台湾から200億円相当の義援金をいただきました。 「徳は孤ならず」、です。 【コメント】 台湾の親日には、 ・優秀な台湾びいきの日本人が 台湾に出向いていたこともあります。: 児玉源太郎、 後藤新平、 新渡戸稲造、 西郷菊次郎(西郷隆盛の子)、 八田與一 ・また「大陸中国人の台湾支配がひどすぎたこともあります」(明石元二郎)。

嘉納治五郎。柔道の父。5月4日没。Kanō Jigorō

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嘉納治五郎。柔道の父。5月4日没。Kanō Jigorō 嘉納 治五郎 32歳  ・1860年12月10日- 1938年5月4日没。77歳。兵庫県 嘉納治五郎は、いろいろの柔術の長所をとり入れ、 「柔道」と名づけて講道館を おこし、 これを広めました。 同年に東京大学医学部を卒業している人物に 森鴎外がいます。 『雁 (小説)』の登場人物「石原」は 嘉納治五郎をモデルにしているとも言われています。 嘉納治五郎は、 柔道以外にも、日本におけるスポーツの道を開きました。 「柔道の父」、「日本の体育の父」 ともよばれます。 1879年、渋沢栄一の依頼で渋沢の飛鳥山(あすかやま  北区)別荘にて グラント前アメリカ合衆国大統領に柔術を演武しました。      飛鳥山は、8代吉宗がつくりました。           嘉納治五郎は、 東大を卒業し、教育者としても尽力 し、 1882年から 学習院教頭、 1893年より25年間ほど現・筑波大学の学長 をつとめました。 【名言】 「人生には何よりも「なに、くそ」という精神が必要だ」 【コメント】 空手道にも、諸流派が 一つにまとまるためには 、 嘉納治五郎のような、学にたけ、人望がある超一級の人が必要でした。 【2分】 嘉納治五郎 熊本大学     ハーンを招聘   講道館  

松平信綱。3代 家光を補佐。武断政治から文治政治へ。川越藩の名君。Matsudaira Nobutsuna。5月4日没

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松平信綱。3代家光を補佐。武断政治から文治政治へ。川越藩の名君。Matsudaira Nobutsuna。5月4日没  松平信綱 ・1596年12月19日。埼玉県伊奈町~ 1662年5月4日没。67歳 松平信綱は、9歳より、3代家光を出生時より補佐し、 幕府の老中首座もつとめ、幕藩体制を固めました。 徳川家に59年にわたり奉仕 しました。 特に3代  家光には、家光の誕生以来47年間奉仕 しました。 才知に富み、伊豆守という官職にかけて 「知恵伊豆」(= 知恵出づ) と言われました。 23年余にわたり川越藩主を つとめました。 1638年の川越大火後に、城域を倍増し、 今に残る 十ヶ町四門前(じっかちょう しもんぜん)という町割り をしました。     ・川越の城下町の整備、     ・野火止用水の開削(かいさく)、     ・新河岸(しんがし)川 舟運(しゅううん)の開設、     ・武蔵野新田の開発 などに手腕を発揮しました。 舟運は川越に川越商人に莫大な利益をもたらしました。 また江戸の技術文化も たくさん川越にもたらしました。 川越まつりを始めたのも 松平信綱 です。 墓所は、埼玉県新座市の平林寺にあります。 「川越まつり」は、松平信綱の「島原の乱」の反省から 島原天草一揆は、 江戸幕府を揺るがすほどの大事件 でした。 鎮圧を指揮した松平信綱は、 その後も老中首座として、 幕府の中心人物にとどまり続けました。 松平信綱:川越藩一の名君 【15分】 松平信綱の生涯     歴史の細道