2010/09/19

全体知の巨人・空海


空海の肖像  ※WP
全体知の巨人・空海(774年ー 835年、61歳)

空海は、804年30歳のとき唐の長安に渡りました。

当時の長安は、ユーラシア各地から
さまざまな民族がつどう国際都市でした。

空海は、日本ですでに完璧な中国語を話しました。
サンスクリット語は中国で学びました。

長安ではわずか数ヶ月で師匠の恵果(けいか)から
真言密教の最高位を授けられました。
恵果は真言の第7世、空海は第8世です。
空海は、真言密教ばかりでなく、
    土木工学、
    薬学、
    冶金学
などの当時の先端科学も持ち帰りました。

日本全国に残るタメ池や井戸は、その名残です。
弘法(こうぼう)信仰は、このようなところからも生まれました。

空海のつくった綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)は、
一種の工科大学で、
給食制で誰にでも門戸を開放しました。

空海は、全体知の巨人として、平等の世界を訴えると同時に、
この世の現実的な課題にも向き合っていました。


◇                    ◆                    ◇

空海年表

774年  誕生  
平安時代初期、讃岐(香川県善通寺市)で生まれます。

788年
平城京にのぼり、学びます。

793年  19歳
都での勉学に飽き足らず、山林で修行に入ります。

797年  23歳
三教指帰(さんごうしいき)をあらわします。
三教指帰は、儒教、道教、仏教の比較思想論です。立身栄達の手段である儒教や、現実逃避の手段である道教よりも、仏教のほうが深い、との論です。
804  30歳 
遣唐使船で唐に留学します。

805年 
恵果(けいか)より密教の正統を継ぎます。

816年
和歌山県・高野山に金剛峯寺を建て、真言宗を開きます。

823年
朝廷より京都に東寺をたまわり、貴族の信仰を集めます。
綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を東寺に開き、庶民の教育に努めます。

…年
讃岐の満濃(まんのう)池をはじめ、各地に灌漑をほどこします。

能書家で、嵯峨天皇、橘逸勢(たちばなのはやなり)と共に三筆といわれます。

835年
奥の院に入定(にゅうじょう、入滅、死去)します。

死後、朝廷から弘法大師(こうぼうだいし)とおくりなされました。

高野山・金剛峯寺のページ