寛永寺を江戸城の鬼門封じに


江戸城の鬼門軸と寛永寺
東叡山 寛永寺
天海は、50年間にわたり家康、秀忠、秀光の3将軍に仕えます。

天海は、江戸にいろいろなしかけをほどこします。
江戸は当時世界最大の都市でした。
寛永寺には、江戸城の鬼門封じの意味が込められています。

1625年、天海僧正が90歳の時、上野に寛永寺が建立されます。
川越からでは遠すぎるとのことで、徳川秀忠が寄進したものです。

東叡山(とうえいざん)という喜多院の山号を寛永寺に譲りました。

東叡山は、関東天台宗の総本山です。
東叡山とは、東(関東)の比叡山という意味です。

今の上野公園も含む広大な敷地を保有していました。

朝廷側の比叡山は全国を支配していましたが、関東の580ほどの寺社は東叡山が治めるようになりました。

天海僧正は、自分が住職の東叡山喜多院は、以前の星野山(せいやさん)喜多院にもどしました。

寛永寺は徳川家の先祖代々の墓のある菩提寺(ぼだいじ)となりました。

5代綱吉をはじめ6人の将軍や天璋院篤姫もここに眠っています。

比叡山延暦寺は「延暦時代」に建てられました。
それに対抗して、「寛永時代」に建てられたので寛永寺という名称にしました。


【追】
寛永寺の左甚五郎作の竜は、あまりに見事なできばえなので、毎夜池へおりてきて、水を飲んだといわれました。