川越の成田山物語、石井照典主監

石井照典 主監 @川越成田山の客殿
背後の絵は、成田山ご本尊の不動明王
2010年11月16日、成田山川越別院の客殿で石井照典主監(しゅかん)のお話をうかがいました。

石井照典主監は、1940年熱海の生まれです。
そば屋さんの6男坊です。 

自宅200坪にはお不動様を建立してあり、毎月28日には護摩を焚いていました。

中学1年のときに成田山新勝寺に入りました。
中1年生から高2年生まで20人ほどが同室の合宿のような生活をおくりました。
行(ぎょう)は期限があるから、我慢できたが、合宿生活は低学年の身にはきびしかったそうです。

マラソンを得意とし、フルマラソンを80歳までおこなう予定です。

全国に80以上の成田山があります。

そのなかで、9の別院があります。
その他は末寺などです。
別院とは、スーパーで言えば、チェーン店(直営店)のようなものです。
末寺はフランチャイジーです。

成田山川越別院は、別院第1号です。
成田山総本山の住職(貫首、かんす)が別院の住職も兼ねます。

川越別院のトップは、主監とよびます。

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総本山成田山新勝寺は、朝廷が940年の平将門の乱を鎮めるためにつくりました。

弘法大師・空海が「天皇の願いを兼ねるには、不動明王をまつることです。」との言葉により、不動明王を本尊にしています。
悪人をも救う不動明王 不動明王 #2
先端科学者、全体知の巨人、空海

歌舞伎の市川家の屋号は「成田屋」です。
成田山とは深く結びついています。 

市川海老蔵の結婚式も成田山でおこなわれました。
歌舞伎一八番の「不動」は、不動明王のことです。 

7代目市川團十郎は、終生毎年21日間の断食をおこないました。
成田屋公式サイト

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成田山川越別院は、昔は、川越八幡に仮住まいしていました。 
石川照温師が開きました。
開山堂には、石川照温師がおまつりしてあります。

亀の放生池(ほうじょうち、捕えた生物を放ち逃すこと)には200匹以上の亀がいます。

太子堂には、弘法大師をおまつりしています。
空海の太子堂
中央が弘法大師・空海 @太子堂
お話のあとで、深呼吸の仕方を習いました。

「ヒマラヤの上空の澄んだ空気を思い浮かべ、
体の隅々まで、
ゆっくり吸い込みます。

出すときは、
倍の時間をかけて、
体全体の毒素を少しずつ
はき出していきます。」(石井照典主監)

そのあと、みんなで歌を歌いました。
石井照典主監の、お経できたえた、長~い朗々たる大音声(だいおんじょう)が客殿に響きわたりました。

【追記】
11月23日には、成田山川越別院で火渡りの儀式があります。

空海の真言宗、最澄の天台宗は、仏教以外の要素も多く取り入れています。
バラモン教、ゾロアスター教(拝火教)やキリスト教(ネストリウス派)の要素も仕入れています。
「護摩たき」やお盆の「火送り」などの火の儀式もそうです。

護摩(ごま)とは、サンスクリット語のホーマ(homa、たく)の音訳です。