2021/11/22

川越観光案内 第12回 真行寺(しんぎょうじ):武田信玄の妹・真行尼が川越に開基

川越観光案内  第12回  真行寺(しんぎょうじ):武田信玄の妹・真行尼が川越に開基  

川越観光案内  第12回  真行寺(しんぎょうじ) 2016年7月

※ 旧稿の掘り起こしです。写真 9枚 は省略です。喪失。

副題↓

武田信玄の妹・真行尼が開基。本堂の引き戸には、武田家の紋所・菱形を4つ合わせた武田菱(びし) が燦然と。


NPO武蔵観研 会長  桑  原  政  則


(この下からリード) -----------------------------------

真行寺は、武田信玄の妹・真行尼 (しんぎょうに、八重姫)が建立しました。第2代住職は、武田勝頼の次男・靖清(やすきよ)です。

------------------------(ここまで)

武田信玄の妹・真行尼 (八重姫)が建立

真行寺(しんぎょうじ)は、武田信玄の妹・真行尼 (八重姫)が、1573年(天正元年)川越に真行寺を建立しました。
川越は寺の多い街(74寺)ですが、女性が開いた珍しい寺です。 武田の遺臣たちが安心して住める町でもありました。

武田勝頼の次男が真行寺第2世住職に

1582年には、武田勝頼の次男・靖清(やすきよ)が真行寺第2世住職に就任しました。在世中に本願寺末寺になりました。

真行尼の人間関係: 兄は、武田信玄

真行尼の父は武田信虎です。 信虎はわが子・信玄との確執で、駿河の今川義元のところへ逃れます。 80歳を超えて、全国流浪の旅にもでかけます。
兄は、武田信玄。信玄の側室は諏訪御前、その子は、 武田勝頼。
姉は、駿河の今川義元の正室。


武田一門は、甲府、八王子を経て川越へ

武田一門の者は、甲府、富士吉田、大月・八王子を経由し、坂戸市に多く土着しました:岩崎、若山、宮島、松本、坂西、小鹿野、小川、林、関口、小川氏など。 次第に川越の街道沿いに移り住むようになりました。 

真田信昌、幸政は、真田幸村のいとこです。真行尼に、甲府から同行しました。


真行寺の檀家は広範囲

かつては、寺は村の中心にあり、檀家がそのまわりを囲んでいました。 しかし真行寺にあっては、檀家が川島町、伊草、北田島、古家上、上福岡などと外側に広がっています。 天下大乱に備えてでしょうか。


坂戸は八王子千人同心の宿場として発展

坂戸は八王子千人同心街道の宿場として発展しました。 千人同心(せんにんどうしん)は、武田旧臣からなり、 日光勤番(きんばん、交代勤務)などを担当しました。 八王子を出ると、坂戸が1泊目の宿場にあたっていました。

坂戸では、武田遺臣たちは諏訪社をまつり、畑を水田に変えました。

宿駅を開いたのは後北条の大道寺駿河守で、1584年のことでした。 高麗(こま)川の流路の付け替えなどの大規模な自然改造をおこないました。


岩崎家の福沢桃介は電力王

岩崎家の福沢桃介は、慶應義塾で学んでいるときに、 福沢諭吉に見込まれて、福沢家の婿養子になりました。 明治、大正、昭和にわたり、日本の電力王として令名を轟かせました。 福沢桃介の先祖・岩崎兵庫は、 真行尼が甲州を出て、川越に真行寺を建立するまで護りました。 岩崎家は寺の筆頭総代を務めました。


岩崎勝平(かつひら)は鬼才の洋画家

岩崎勝平(かつひら)洋画家です。長く放浪し、 「孤独と貧困の鬼才」とよばれました。 友人の川端康成などの励ましだけが支えでした。 父は川越商業会議所副会頭を勤めるなど川越の有力者でした。 伯母には「激情の歌人」として知られる 杉浦翠子(すいこ、旧姓は岩崎、兄は福沢桃介)がいます。 岩崎勝平は福沢桃介の甥にあたります。 絵画は川越市立美術館が所蔵しています。


新選組の渡辺市造

 墓誌には渡辺七造と記されています。


真行寺の概要

山号          至誠山

院号          成就院

寺号          真行寺

宗派          浄土真宗東本願寺派(俗称:お東さん)。中院並びの光西寺も同派。
創建          1573年(永禄2年)

本尊          阿弥陀如来

住所         〒350-0838 川越市宮元町1-2

バス        東武バス(神明町車庫行)10~20分。東明寺橋(とうみょうじばし)下車1分

徒歩          蔵造りの町並みの交差点・札の辻を新河岸川に北進します。広済寺を過ぎ、東明寺           (とうみょうじばし)橋をわたり、右折した50メートル先の2階建ての寺院です。


【参考文献】

柳井賢治『真行尼物語』

松本憲和『諏訪の八重姫登場』【注】真行尼は諏訪頼重の娘に

【後記】

 本稿作成にあたり、真行寺の 第20代・武田浩学 住職(『大智度論の研究』、文学博士)に お世話になりました。ありがとうございました。取材・文責は桑原政則、写真は石山貞夫・文化財保護協会副会長です。

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