河越重頼の供養塔、常楽寺

河越太郎・平重頼 の供養塔
河越重頼の供養塔は、河越館(かわごえやかた)のとなりの常楽寺にあります。
河越重頼の娘は、源義経の正室です。

河越館(かわごえやかた)と常楽寺 【地図】
〒350-0816 埼玉県川越市大字上戸194


常楽寺
改築中の常楽寺 2004年7月
武蔵の国は武士の発祥の地でもあります。

武蔵一帯を検地した源頼朝は、
広大な肥沃な平野であることから重要視します。
ときがわ町の慈光寺に銅鐘を奉納したりしています。


秩父出身の河越重頼(しげより)は、源頼朝の挙兵にも参加し
頼朝から重用(ちょうよう)されるようになります。

河越重頼の妻は、源頼家(頼朝の子)の乳母でした。

河越重頼は、17歳の娘を源義経にさしだし、頼朝に媒酌(ばいしゃく)もしてもらいました。
頼朝が媒酌したのはこのときのみです。

後年、頼朝は、義経(1159-1189)と仲違いしました。

すると、河越重頼は、義経の縁者ということで、疑心暗鬼にかられた頼朝から、所領を没収され、命までも奪われました。

のちに河越重頼の遺族は、無実を知った頼朝から、没収された領地を返されました。

 <*  河越重頼の供養塔は、川越の養寿院にもあります。>

 <*  「河越」は江戸時代から「川越」になりました。>

ときがわ町・慈光寺
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秩父の見直しが始まっています。
和銅(708-715)という年号は708年、秩父で発見された銅にちなみます。
この銅から日本最初の貨幣・和同開珎(わどうかいちん)がつくられました。
江戸、川越を開いたのは、秩父氏です。
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川越は、マチナカの外に観光コースをつくり、また他の市町村との観光連携を深める必要があります。
河越館(かわごえやかた)は、いずれ観光スポットになるでしょう。
川越・秩父連携が深まりそうです。