2009年7月11日

鬼押出しには寛永寺別院が

鬼押出しの東叡山寛永寺別院の山門

浅間山観音堂からのながめ

寛永寺別院の浅間山観音堂

  • 浅間高原にある鬼押出し園は、1783年(天明3年) の浅間山噴火によって生まれました。
    火口の鬼があばれ、岩を押し出した、というのが名前の由来です。
  • 東京上野の東叡山寛永寺の別院である浅間山観音堂が設置されています。
    寛永寺の別院はここだけです。
    • 「東叡山」という山号は、川越の喜多院から寛永寺に移されたものです。天海が喜多院と東叡山の貫首(住職)でした。
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  • 1783年には、青森県の岩木山と浅間山が噴火しました。
    噴煙のため日射量がへり、冷害となり農作物はとれず、「天明の大飢饉」が起こりました。50万人ともいわれる死者が出ました。
    農民は都市部へ逃げ出し、江戸、大阪では米屋の打ち壊し事件が頻発しました。
  • 同じ1783年には、アイスランドでも噴火が起こりました。
    北半球一体の日射量が減り、冷害をもたらしました。
    これが1789年のフランス革命を導いたといわれています。
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  • 川越喜多院の五百羅漢は、天明時代から50年をかけて建立されたものです。
    天明の大飢饉も意識して建立にはげんだことでしょう。
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  • ドライブルート

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