2012/12/02

存応:徳川家を増上寺の檀家に


存応(ぞんのう、源誉存応、1544-1620)は、鎌倉時代の存貞の弟子です。
<※ 存貞は、蓮馨寺初代で、増上寺第10世です。 >

存応は存貞に従い、鎌倉から蓮馨寺に移り修行します。
後に大本山・増上寺の第12代目法主(ほっす)になります。

1590年、徳川家康が入府すると、存応は親交を深め、徳川家を増上寺の檀家にしました

増上寺中興の祖といわれます。

1610年、存応は徳川家の推薦で、朝廷より 「観智国師」という称号を受けます。
国師は国中でただ一人のみに授けられます。

大学者であった存応が、喜多院の天海と論争をしたとの記録が残っています。
天海も学識深く、家康の宗教顧問でした。

1616年、家康が没すると、存応は 増上寺で葬儀の導師を務めました。

 存応は、壇林の制度を整えました。壇林は僧侶養成大学です。
 関東には18檀林あり、蓮馨寺もその一角を占めます。

存応の弟子に呑龍(どんりゅう)がいます。

存応の増上寺に徳川6将軍が、天海の寛永寺に6将軍が埋葬されています。
ともに川越の高僧がかかわっています。

存応の長伝寺