松下幸之助。1954年に観光立国をとなえる。4月27日没。94歳

松下幸之助。1954年に観光立国をとなえる。4月27日没。94歳     

松下 幸之助 

・1894年〈明治27年〉11月27日 - 1989年〈平成元年〉4月27日没。94歳

「観光立国」ということばをを最初に使ったのは、松下幸之助です。
パナソニック(ナショナル、松下)を一代で築きあげました。

1954年(昭和29年)5月に「観光立国の弁」という論文を文藝春秋に発表しました。

  • 日本の「景観の美」や「自然の美しさ」はいかなる埋蔵資源にも勝る。
    • 富士山はいくらみても減らない。
    • 【桑原政則追記 2024年】 Mt.Fujiは、稀有の観光資源。入山料は1万円でも安すぎます。

  • 観光立国こそ、わが国の重要施策である。
    • 日本人の視野が国際的になる。
    • 国土が美化される
    • 道路、水道などが整備される。

  • 観光産業は「輸出産業」である。
    • 地域の特徴をアピールできる。
    • 交通機関、旅行会社、土産店、宿泊施設、建設業、農林水産業に好影響をおよぼす。
    • 観光は平和のパスポートである。
すでにこの頃「観光省」を設立すべきと説いています。

松下幸之助は、パナソニックを一代で築き上げました。

座右の銘は
「青春とは心の若さである」

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原節子  「永遠のマドンナ」



松下幸之助「観光立国の弁」 

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日本が優れた国家をめざすには、観光立国になる必要があります。

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