松平信綱。3代 家光を補佐し、幕藩体制を固める。武断政治から文治政治へ。川越藩の名君。Matsudaira Nobutsuna。5月4日没

松平信綱。3代家光を補佐し、幕藩体制を固める。武断政治から文治政治へ。川越藩の名君。Matsudaira Nobutsuna。5月4日没 

松平信綱

・1596年12月19日。埼玉県伊奈町~ 1662年5月4日没。67歳

松平信綱は、9歳より、3代家光を出生時より補佐し、
幕府の老中首座もつとめ、幕藩体制を固めました。
徳川家に59年にわたり奉仕しました。

特に3代 家光には、家光の誕生以来47年間奉仕しました。

才知に富み、伊豆守という官職にかけて
「知恵伊豆」(= 知恵出づ)と言われました。

23年余にわたり川越藩主をつとめました。


1638年の川越大火後に、城域を倍増し、
今に残る十ヶ町四門前(じっかちょう しもんぜん)という町割りをしました。


    ・川越の城下町の整備、
    ・野火止用水の開削(かいさく)、
    ・新河岸(しんがし)川 舟運(しゅううん)の開設、
    ・武蔵野新田の開発
などに手腕を発揮しました。

舟運は川越に川越商人に莫大な利益をもたらしました。
また江戸の技術文化もたくさんもたらしました。


川越まつりを始めたのも松平信綱です。

墓所は、埼玉県新座市の平林寺にあります。



島原天草一揆は、
江戸幕府を揺るがすほどの大事件でした。
鎮圧を指揮した松平信綱は、 その後も老中首座として、 幕府の中心人物にとどまり続けました。










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