西郷隆盛。奄美妻・愛加那(あいかな)の息子は京都市長にも
息子の菊次郎と若き日の愛加那 http://goo.gl/p0B6x |
西郷隆盛の流謫(るたく)の家。 奄美大島・龍郷(たつごう)町にて 。2008年 |
【出所】国会図書館 |
流謫(るたく)の身であった西郷隆盛は、シマの娘・愛加那を
33歳の時に妻にしました。
愛加那は22歳でした。
ここで3年間暮らしました。
二人の子供、菊次郎、菊子は、島妻制度の掟にしたがい、
薩摩の西郷本家に引き取られました。
母の愛加那は孤独な生涯をシマで送りました。
西郷は、「菊池源吾」とシマでは名乗っていました。
長男に菊池の「菊」をとって菊次郎とつけました。
菊次郎は、台湾の知事をやり、京都市長にもなりました。
西郷は、鹿児島で別の女性と結婚して、次男を寅年にもうけました。
寅太郎です。
シマ(奄美)生まれの長男が菊次郎です。
鹿児島の次男が寅太郎です。
そのころの本土人の琉球、奄美観があらわれています。
◇ ◇ ◇
その昔、名門・肥後の菊池氏の一族が南下し、
西郷姓を名乗りました。
西郷隆盛も肥後菊池氏の出です。
徳川家康が一番愛した女性が、肥後菊池の流れを汲む
西郷局(さいごうのつぼね)
です。
西郷局の子供が、2代徳川秀忠です。
秀忠は、江(ごう)の旦那です。
【※】江(ごう)
母は織田信長の妹。
浅井三姉妹の長姉は淀殿(茶々)、次姉・初(はつ)は京極高次正室、江(ごう)は第2代・徳川秀忠の正室です。
◇ ◇ ◇
東北地方に多い菊池一族も、
肥後熊本から海路で青森県に至り、
南下を始めたといわれてます。
西郷隆盛の奄美大島・流謫の地【地図】
名言
「敬天愛人(天を敬い、人を愛する)」
「天」とは、真理のこと。
征韓論を分かりやすく解説(西郷隆盛の視点) 【+6】
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西郷局(さいごうのつぼね)
です。
西郷局の子供が、2代徳川秀忠です。
秀忠は、江(ごう)の旦那です。
【※】江(ごう)
母は織田信長の妹。
浅井三姉妹の長姉は淀殿(茶々)、次姉・初(はつ)は京極高次正室、江(ごう)は第2代・徳川秀忠の正室です。
◇ ◇ ◇
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