江戸時代の4つの口 |
キリスト教の禁圧、
商業活動の規制を
目的としたもので、国際社会からの孤立をめざしたものではありませんでした
《*貿易赤字対策というのが実情のようです。家康は対外活動を推進していました。》
鎖国ということばが意識されたのは、江戸時代も200年たってからのことでした。
鎖国時代にも4つの口はあいていました。
幕府は、
- 松前藩をとおしてアイヌと貿易をおこなっていました。
- 対馬藩をとおして朝鮮と貿易をおこなっていました。
- 長崎をとおしてオランダ、中国と朝鮮と貿易をおこなっていました。
- 薩摩藩をとおして琉球と貿易をおこなっていました。
そのころ、琉球王国は日本ではありませんでしたので、
諸国と自由に交易を
いとなんでいました。
薩摩藩は琉球をとおして、世界情勢をさぐり明治維新を実質的に用意しました。
琉球国とのパイプがなければ、日本は植民地になっていたかもしれません。
しかし、日本の植民地化を救った琉球国は、1609年島津藩の従属下に入りました。
以後過酷な状態におかれ、奪われ続けます。
《*中国からは与えられこそすれ、奪われることはありませんでした。
沖縄人は今も概して中国・台湾びいきです。
仲井真弘多(なかいま・ひろかず)知事は、中国帰化人(蔡姓)です。
中国帰化人は、沖縄ではステータス・シンボルになります。
稲嶺惠一前知事もそうです。》
1879年、琉球国は沖縄県に転落させられました。
足を踏んだ者は歴史を忘れがちです。
* * *
【年号】
1609年 琉球国、薩摩の支配下に
◇疲労多くなる薩摩の支配
1879年 琉球、沖縄県に
◇ 一夜で泣く泣く沖縄県に》