出雲大社の拝殿 http://goo.gl/LeMnD |
「命(みこと)」とは、高貴な人に対する尊称です。
ところが、高天原(=たかまがはら、神の世界)に住んでいた天照大神(アマテラスオオミカミ)が降りてきて(=天孫降臨)、国を全部譲れとせまりました。
オオクニヌシはあらがいましたが負けました。
またオオクニヌシの次男も、戦いを挑んだが負け、諏訪湖まで逃げ、永遠に諏訪から出ないことで許しを得ました。
諏訪大社はオオクニヌシの次男・建御名方命(タケミナカタノミコト)をまつる神社です。
オオクニヌシはアマテラスに破れ、「現世から退き、あの世(霊界)のことをする」ことになりました。
縁結びなどもあの世の領分だから、これ以降、出雲大社は縁結びの神様として有名になりました。
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出雲大社には多くの謎が隠されています。
出雲大社の原型。島根県庁 |
まず、巨大な建物です。
「雲太、和二、京三」(うんた、わに、きょうさん)とは、平安時代の日本の三大建築物のことです。
「雲太、和二、京三」(うんた、わに、きょうさん)とは、平安時代の日本の三大建築物のことです。
雲太→ 出雲太郎→ 出雲大社
和二→ 大和二郎→ 大和(やまと)の東大寺大仏殿
京三→ 京三郎→ 京都の大極殿(だいごくでん、御所の建物)
出雲大社は、高さが48メートルもあり、大仏殿よりも高かったです。
なぜ、朝廷の反逆者をまつる出雲大社は、アマテラスの子孫である天皇の御所よりも、また鎮護国家の目的で建てた仏教の総本山の東大寺大仏殿よりも、大きかったのでしょうか。
それは、激しい怨念を抱いて死んでいったオオクニヌシのたたりをおそれ、御霊(みたま)を丁重にまつるためだったからです。
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参拝者にそっぽを向かされているオオクニヌシ |
参拝者に向き合っているのは、アマテラス側の5体の神です。
なぜでしょうか。
それは、表向きにはオオクニヌシをまつることにして、人々をアマテラス側の神々に礼拝させるためのシカケだからです。
これらアマテラス側の神々(御客座五神、おきゃくざごしん)は、大怨霊オオクニヌシが地上に降りてこないように見張るいわば看守の役目をしています。
出雲大社は、オオクニヌシの霊魂を地上にださせないようにするための牢獄ともいえます。
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また、オオクニヌシは西を向かされているのは、西が日の沈む方向であり、死の国の方向であるからでしょう。
アマテラス側としては、オオクニヌシには、生き返ってもらいたくなく、またこの世にたたりをもちこんでほしくないので、西を向いてもらっているわけです。
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向きが逆のしめ縄 |
出雲大社は、伊勢神宮などの他の神社とちがい「死」の宮殿であるので、シメ縄の向きもほかの神社と反対になっているのでしょう。
日本では、死者に関係するものは、向きを逆にします。
死者には、左前の白衣を着せます。
北枕にします。
屏風(びょうぶ)は上下さかさまにします。
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また、出雲大社での拝礼は「二礼、四拍手、一拝」です。
ふつうは、「二礼、二拍手、一拝」です。
オオクニヌシが「死(=四)の国の王」であるので「四拍手」にしてあります。
オオクニヌシに「この世に戻ってはだめなのだ、そのかわり丁重にまつるから」ということを、何回も何回も自覚させるために、アマテラス側が多くの参拝者に死(シ)拍手を打ち続けてもらうようにしたのでしょう。
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雲は太陽(=アマテラス)の敵です。
オオクニヌシが雲であることを示し続けるために、その地を「出雲」と定めたのでしょうか。
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出雲大社の神官(しんかん)は、天皇家と先祖が兄弟です。
アマテラスは、長男には家督を譲り、次男は出雲大社の神官にしました。
現代の神官は第84代にあたります(= 写真)。
激しい怨念を抱いて死んでいったオオクニヌシのたたりをおそれ、丁重にまつるための措置です。
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オオクニヌシのような大きな犠牲者を出せば、その鎮魂のために、出雲大社のような大きな社を建て、自分の子孫にそれを守らせるなどの莫大な犠牲をはらわねばなりません。
これ以降日本の歴史においては、「和」を守ることが、重要になりました。
【cf.】井沢元彦『逆説の日本史』(小学館)
出雲大社の公式サイト
出雲大社のページ