2020/07/30

ビスマルク。ドイツ帝国建国の父、鉄血宰相、ドイツの「信長+家康」。7月30日没

ビスマルク。ドイツ帝国建国の父、鉄血宰相、ドイツの「信長+家康」。7月30日没
Otto von Bismarck (オットー・フォン・ビスマルク)
・1815年4月1日。プロイセン~1898年7月30日没。83歳没



プロイセン略史
1)1800年代までのドイツは、40近い国にわかれていた少国家連合国です。 
2)1866年,普墺戦争(ふおうせんそう。プロイセン⇔オーストリア戦争)で、オーストリアを破ります。
3)1870年、フランスを破ります。
4)1871年、ドイツ人の統一国家を成立させます。
(【受験】 1871:「ひとはない、ビスマルク以外に」 ほぼ明治維新のころ)


ビスマルクは、ドイツの 「信長+家康」です。

細かく別れた藩を一つにし、ドイツ帝国をつくりあげた英雄です。
プロシア首相からドイツ帝国宰相になります。

岩倉使節団は、ビスマルクに会い、感激しましす。
ドイツを模範として、近代化をすすめることにします。

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【※】岩倉使節団 
岩倉使節団 

左から木戸孝允、山口尚芳、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通
明治4年(1871年)から明治6年(1873年)まで2年間、107名で構成。
 

ビスマルク主催の晩さん会にて

ビスマルクが大久保らに「 イギリスで不平等条約は解消できたかい?」
日本側「国際法を知らなかったので何も改正できません。」

ビスマルク
「大国はね。自国に利益がある時は国際法に従うと言うんだ。
でも、国際法に従うと不利だ、と思うと軍事力で解決しようとする」

国際社会で、小国が主権を守るためには、
軍事力を強化
する必要がある」

大久保利通は、ビスマルクを師と仰ぎます。
伊藤博文もあこがれ、ビスマルクを真似て葉巻をくゆらせます。

ドイツもイタリアも日本も、
同じ頃に統一しました。

ともに「遅れてきた青年」です。

そのためのちに「日独伊三国同盟」
つくりあげることになります。

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ビスマルクは、貴族の家に生まれます。
ケンカ好きのワルガキですが、勉強はしました。
身長は、190センチありました。

プロイセンの首相になったとき、
「ドイツ統一の問題は、民主的な方法では、解決できない。
鉄と血によってのみ解決できるものである」としました。

鉄は武器、血は兵士、のことです。


1866年,普墺戦争(ふおうせんそう)で、オーストリアを破ります。
cf. ビスマルク、ローン、モルトケのプロイセン3羽鴉

「ドイツ統一のためには、フランスの力がじゃまだ」として、
1870年には、フランスに戦争をしかけて、パリを占領します。


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ビスマルクのドイツ統一の功績は、いつまでもドイツ人にたたえられています。

ビスマルクだけで、西洋史のポイントがわかります。


【ビスマルクの名言】

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」 

< 先人たちが経験したこと、すなわち歴史を学ぶことで、
沢山の経験を身に着けることができる >

・・・・・・・・・・・更に詳しく

【ゆっくり解説】オットー・フォン・ビスマルク  アニメ【+26】
    ごちゃごちゃの
当時の歴史が、数回見て理解できます










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