徳川家康の10大事件
徳川家康 |
徳川家康の10大事件
- 1560 (19歳)桶狭間の戦い 今川義元 戦死 家康、岡崎城にて自立
- 1570 (29歳) 姉川の戦い 織田信長と共に浅井長政、朝倉義景に勝利
- 1572 (31歳) 三方ヶ原(みかたがはら)の戦い 武田氏に大敗
- 1575 (34歳) 長篠の戦い 織田軍と組んで武田勝頼を破る
- 1582 (41歳) 5カ国を治める大名に 織田信長 が本能寺の変にて自死す
- 1584 (43歳) 小牧・長久手の戦い 豊臣軍と戦う
- 1590 (49歳) 豊臣秀吉の小田原攻めにて先方を勤め、北条家を滅ぼす
- 1590 (48歳) 豊臣秀吉により関東へ国替えとなる
- 1600 (59歳) 関ヶ原の戦いに勝利。天下人に
- 1614 (73歳) 大坂の陣 と1615年夏の陣で豊臣家を滅ぼす
1)1560年(19歳) 桶狭間の戦いにて今川義元 戦死。のちに岡崎城にて自立
桶狭間の戦い |
【※】今川義元は、人質 徳川家康を自分の有力武将に育てようと、丁重に遇します。
太原雪斎が徳川家康の師匠です。
徳川家康の母も岡崎の家臣たちも駿河ですごしています。
今川義元は、政治経済に明るいすぐれた大名でした。
平和で安全な駿河には京風文化や学問が発達しました。
今川家の子孫は、江戸時代には徳川家に召し抱えられ、
品川に屋敷を与えられました。
徳川家康は、江戸幕府を開いてからは、
人質時代の思い出の駿府で暮らしています。
2)1570 (29歳) 姉川の戦い 織田・徳川 連合軍が浅井、朝倉 連合軍に勝利
姉川は、琵琶湖の北にあります。
浅井長政は、織田信長の妹 お市を正妻とし、信長とは同盟関係にありました。
姉川の戦いでは、浅井長政は朝倉義景に味方し、28歳で滅亡しました。
3)1572 (31歳) 三方ヶ原(みかたがはら)の戦い 武田氏に大敗
三方ヶ原の戦い |
三方ヶ原は遠江 浜松の北方にあります。
徳川家康は遠江(とおとうみ)を3年前に平定していました。
武田信玄(52歳)は短期決戦で攻めてきました。
徳川軍は総崩れになり、大敗北となりました。
しかし武田信玄は病が悪化し、死去しました。
徳川家康の生涯を三つの時期であらわすことがあります。
「生誕の岡崎、出世の浜松、大御所の静岡(駿府)」 浜松市(80万人)には、 スズキ、ヤマハ、ホンダ、カワイなど本社をおく大企業が目立ちます。
4)1575 (34歳) 長篠の戦い 織田軍と組んで武田勝頼を破る
三河 長篠の戦い |
馬防柵での防御が有名です。
5)1582 (41歳) 甲斐・信濃を奪い、5カ国を治める大名となる
織田信長 が本能寺の変にて暗殺
【※】本能寺の変は、
成り上がりのイケイケ企業の社長 織田信長に、
こきつかれてクタクタになった明智光秀のしわざです。
織田信長の日本統一計画は、豊臣秀吉、徳川家康とに受け継がれました。
6)1584 (43歳) 小牧・長久手の戦い
【※】織田信長を継いだ豊臣軍と1年以上戦い、講和
小牧・長久手の戦い |
長男 織田信忠、その嫡男 <豊臣秀吉
次男 織田信雄、徳川家康
3男 織田信孝、柴田勝家
織田の家督を誰が継ぐかを豊臣秀吉は有利に進めます。
3男 織田信孝、柴田勝家陣営は、戦いで、豊臣秀吉に敗れて
織田信孝も柴田勝家も自害します。
残るのは次男 織田信雄、徳川家康連合です。
小牧・長久手の戦い が始まります。
とどのつまり、
豊臣秀吉は徳川家康にかないませんでした。
豊臣秀吉は、次の手として、次男 織田信雄を攻めて降伏させました。
結果、徳川家康は豊臣秀吉と和議を結ぶことになってしまいました。
ともあれ、小牧・長久手の戦い では、徳川家康は見事な采配をしました。
柴田勝家の二の舞いをのがれました。
7)1590 (49歳) 小田原攻めにて先方を勤め、北条家を滅ぼす
小田原攻め |
四国、九州も支配下にした豊臣秀吉にとって残るのは
関東の北条氏と東北の伊達氏でした。
1590年豊臣秀吉は20万の大軍で小田原城を包囲します。
小田原城内では「降伏」か「籠城」かで小田原評定が続きます。
豊臣秀吉は北条氏政に切腹を命じ、子の北条氏直を高野山へ追放します。
5代続いた北条氏は滅びました。
8)1590 (48歳) 家康、豊臣秀吉により関東へ国替えとなる
関東へ国替え |
9)1600 (59歳) 関ヶ原の戦いに勝利。天下人に
【※】
関ヶ原の戦いは、1600年に徳川家康の東軍と石田三成の西軍が
関ケ原(岐阜県)で戦った戦いです。
東軍が勝利しました。これによって徳川家康が日本を統一します。
戦国時代の終わりと江戸時代の始まりを象徴する戦いでした。
10)1614 (73歳) 大坂の陣。冬の陣と1615年の夏の陣で豊臣家を滅ぼす
【※】
大坂の陣は、1614年から1615年にかけて行われた戦いで、徳川家康は、豊臣家を滅ぼしました。
大坂の陣で、豊臣秀頼(秀吉の息子)などの豊臣家の勢力は壊滅しました。この勝利により、徳川家康の支配体制が確立しました。
安定した政治と経済により、平和な時代を築きました。
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