日野富子。 応仁(おうにん)の乱を始め、戦国時代の口火を切る。6月30日没
日野富子 |
・1440年 - 1496年6月30日 (室町後期から戦国時代)
日野富子は、室町幕府 第8代将軍 足利義政の妻です。
夫とは別性を名乗っています。
第8代将軍 義政の弟 義視(よしみ)が
後継ぎになることになっていました。
その直後、日野富子が、長男を生みました。
日野富子は、わが子を将軍にすることにし
山名宗全(やまな そうぜん)とむすびました。
対して、8代 義政の弟 義視派は、細川勝元と組みました。
日野富子が、応仁(おうにん)の乱をはじめました。
1467年から11年間、京都を中心にした戦乱です。
【京都弁の御婦人、この前の戦争とは、応仁の乱のこと】
「京都は昔、えらい目に遭うたんどすえ。
この前の戦争、応仁の乱で10年以上も、焼け野原になってしもたんえ。
ほんまにえらいこっちゃったんどす。」
室町幕府の力はおとろえ、
以後100年間におよぶ戦国時代へとうつっていきました。
【8代 足利 義政】
引退後に銀閣寺を中心に東山文化をはぐくみました。
能楽、茶の湯に没頭しました。
【7分】11年にも及んだ応仁の乱!引き金を引いた女…日野富子【漫画】
昔は女性が活躍:アマテラス、ヒミコ、紫式部、清少納言、北条政子、日野富子
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